第四章 凪いだ君の心の奥底 2
探索庁所属一〇五小隊、一一三小隊、一一四小隊。
三つの小隊に研究庁の整備人員、総計二十二人が共同執行した調査任務。その帰りには、十三人しか残っていない。人数は半分近く減ってしまった。
昔、透矢が墓守で小隊を組んで調査任務を遂行するときは、できるだけ安全を期するために、成果こそ少なくなってしまうのだが、生きて帰れるものは約八割から九割ぐらいだった。
だから、皆と一緒に黒の制服を着て見納めをするときに、半分近くという数字を聞いて、それなりのショックは受けた。
中央都市での調波官の葬式は、まず研究庁に死体の検査をし有益な情報を獲得してから、戦友であった現役調波官に見納めをさせる。それから、ようやく死体を家族に返還し、葬式を行うようになっている。
そして、家族がいない場合は、調波官専属の墓地に埋蔵する。
今はまさに、家族のない調波官たちの告別式が終わったばかりのときだ。
管理省に入って一週間ぐらいしか経っていないので、感傷になれと言われても困るところだが、墓守では何度も経験したことだ。ここにいる調波官たちの気持ちを知るつもりだ。
だから、透矢は声を終始声を出さず、ただただ、感情の処理に時間がほしいものに、静けさを残すだけだった。
少し気掛かりがあるとすれば、死者の顔見知りでもない自分がここにいていいのか、ということぐらいだろう。
それを見破ったのか、告別式が終わり調波官たちが次々と退場していく中、外に出て凪乃を待っていると、隣から晴斗が軽く肩を叩いてきた。
「気にしなくていいよ」
「……何をだ?」
「こんな世界だから、世界と戦ってる人間であれば、皆仲間だ。弔いぐらい、してもいいと思うよ」
考えてることがバレて、思わず晴斗の顔に目を向ける。すると、そこには穏やかな微笑みを浮かべた顔があった。
「やけに落ち着いてるな」
「それは……ま、悲しいけど、二週間に一回ぐらいのことだから、そうも落ち込めないさ。それに、毎度毎度参加できるわけじゃないしさ、生きてるときは泣いてきたんだから、せめて、逝くときは笑って送りたいんだ」
「嵐司と似たようなこと言うな、お前は」
「あの人もこう言うんだね。圏外で、こんな……やっぱりすごいや」
「………」
「ん? どうしたの? なんか変なこと言ったのか?」
「………。いや」
一瞬の沈黙に疑問を感じて聞いてきた晴斗に、透矢は答えるべきかと逡巡して、やがて言葉を口にする。
「中央都市の人は、もっと利己的だと思ってた」
「それは……あながち間違ってないかな。事実上、圏外の人たちを見捨てているんだから。でも、悲しいことは悲しい。こればかりはここでも同じさ」
「そうだな」
特に意味もない相槌を打つと、それきり会話は途絶えた。
照葉は先に千紗に連れて戻ってもらったんだから、残りはまだ中にいる凪乃だけだ。透矢と晴斗が無言に空を眺めながら、彼女が出てくるのを待つ。
とはいえ、数分が過ぎても、凪乃は出てこない。
「………?」
「羽月のこと、気になる?」
「別にそうじゃねぇ」
「まあ、でもそうだね」
疑問に思い横目で式場の中を一瞥すると、それに気づいた晴斗が困ったような笑顔を浮かべながら言った。
「羽月はこういうの、いつも遅いんだからね。先に帰って大丈夫だよ。俺がちゃんと連れて帰るから」
「別にいいけど……あいつが……?」
予想外の言葉に微かに眉をひそめる。
「気になるなら中に戻ってみないか。ちょっとだけ、羽月のことを知るかもしれないしね」
「………?」
言っている意味が分からず、けど、なんとなく気になるので、透矢が踵を返し、また式場に戻っていった。
廊下を通り式場に戻ると、ちょうど、棺の蓋を閉めているところだった。
九人の中もう半分は閉め終わっている中、凪乃がうちの一つの棺をそのガラスのような目でじっと見つめている。
人形のようにぽつりと突っ立っていて、やや俯きがちで、じっと、見つめているだけだった。
その姿を目にして、どう話しかければいいのか分からず、ただ黙って凪乃の傍にくると、その小さな姿と棺を見守るように、凪乃と同じようにそこに突っ立つことにした。
やがて、何分が過ぎたのだろう、蓋が閉め終わって、棺も全部運ばれていったあと、ようやく、凪乃が静止から解放されたようでゆっくりと振り返る。
紫の目が透矢の姿を捉えて、きれいなまつげを動かすようにゆっくりと瞬く。まるで、透矢がいることに今仕方気づいたようだ。
見上げてきた瞳を見つめ返すと、不意に、小さな口が開いた。
「生命現象は」
「は?」
「生命の次元、L次元と仮定された次元の波長によって定義されるもの」
「………」
「原初の式の一つ、『DNA序列』の指定事象が、生命現象。でも、引き起こしはしても、維持しない。概念の存在証明が四次元以下の事象の干渉によって破壊される場合、生命現象は終結する」
「………」
「事象の欠片が沈殿する冥界は、理論上あると仮定されてる。けど、記憶現象を含む生命現象の維持、および再現は、不可能」
「………」
「それだけ」
透き通った声で意味不明のことを並べると、そう締めくくった……と思うと、凪乃がふっと、小さく握った手を、胸元に軽く触れた。
その姿はまるで、神に問う敬虔なる信者の少女のようで、今まで知らなかった凪乃の姿に透矢がわずかに目を見開いた。
「それだけなのに、なんで」
よくよく見ると、彼女の胸元に当てた手は、一枚の金属の破片をしっかりと握っている。
見慣れた調波刀の破片だ。透矢が墓守で何度もしたことだから、すぐ分かった。これは棺に納まった誰かの遺品だ。
おそらく血霧に腐食されただろう。銀色に輝くはずのそれが黒にくすんでいて、傷だらけになっている。その痛ましく傷ついた破片を小さな手に収め、透明な声で軽く空気を震わせる。
「なんで、ここが痛いの?」
「―――ッ!」
人形が生命を獲得した瞬間を目のあたりにすれば、こんな衝撃を受けるだろう。
あまりにも純粋な顔で聞かれて、透矢が言葉に詰まり声が出なくなってしまった。
「それは……」
思わず目を伏せようとしたが、なんとか堪えて凪乃を正面から見据える。なんとなく、そうしないといけないと思ったのだ。
「お前は……お前と俺が思ってた以上に、人間だということだ」
「わからないわ」
「こういうことは分かるじゃなくて、感じるものだ。悲しいと思うなら、それでいい」
「悲しくないわ。ただ、痛いだけ」
「それが悲しいというんだ」
「………」
言い切られて、凪乃が瞬き一つしてから調波刀の破片を手にしたまま両手を胸元に当て、俯きがちになり自分の手や胸元を見下ろす。
「分からない」
そして、またそう呟いた。
今度は透矢への返事ではなく、己の中で確認して出た結論を、独り言でこぼしただけだった。
そんな凪乃を見て、ようやく分かった。
この少女は、無感情なんかじゃない。そもそも、人間なんて、感情という性能が備わっていないはずがないのだ。
凪乃の言い方で言うなら、人間という生命現象の定義は、感情の性能が事前に記入されている。人間の設計図には、感情という指定事象があるのだ。
凪乃からはそれがまるで見えないから、彼女が情の欠片もない、ただの合理性を具現、理性的に動く人形だと思っていた。
そう思っていたのだが、違った。
凪乃には常人通りの感情があるのだ。
ただ、それが凍り付いて、流れるように表現することができないだけだった。
普通の人間の感情が水のように、顔に出たり仕草に出たり、ときには涙となって表現するものだとしたら、凪乃の感情は固く凍り付いた氷だろう。
その小さな体の中で、存在を気づかされないよう、氷結され、心の深く奥にしまったのだ。
あるいは、それはこの時代で傷つかず……いや、傷ついていないように思い込むための最善の生き方かもしれないが……
「………分からない」
三度もそう呟く凪乃の姿は、透矢にはひどく……悲しく見えた。
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