第四章 それぞれの目に映るもの 4

 会場から離れてしばらく、人がほとんど会場に集まったことで静まり返った墓守基地の一つの部屋の前に、凪乃と嵐司が足を止めた。

「ここは?」

「加苗の仕事部屋だ」

 どこかいたずらする子供のように、流し目で凪乃を見やると唇に人差し指を当てる。

「忙しいところだろうが、まあ加苗ならちょっとだけ時間もらっちまっても大丈夫だろう」

 そう言いながら、嵐司が適当に扉をトンッと叩くと返事を待たずに扉を開け放つ。

 すると、真っ白な部屋が目に入った。

 部屋の床は、黒い点や線を綴った白の何かに埋め尽くされたのだ。その様子はまるで吹雪が過ぎた後の街のように見える。文字がみっしりと書かれている紙片だ。よくよく見ると、赤い線を何本も引かれる地図もちらほら見える。

「よ、加苗、遊びに来たぞ」

「………」

 部屋の奥に座っており、今も手を忙しく動かし、ときに動きを止め、また何かを思いついたかのように文字を書き込む姿が目に入る。

 ふわふわしたクリーム色の髪に、ラフな格好。ここにきたときに凪乃をここに置くと言い出した人、左雨加苗だ。

 しかし、その印象に残りやすい格好を目にしても、凪乃は一瞬加苗だと分からなかった。いつもの無邪気なイメージと違って、嵐司が声かけても返事しないほど真剣な何かがそこにあるのだ。

 凪乃は床に散らかった紙に静かに目を凝らし、書かれた文字を見る。

「……無限因果の数式」

 そして、そう呟いた。

 その声に反応したのか、それともちょうど計算が一段落したのか、加苗は肩をピクリと震わせて、筆をおく。

「羽月ちゃんも知ってるんだね」

 そう聞いてくる加苗の口調はいつもとあまり変わっていない。だが、声には明らかに元気がなく、橙色の両目の下にもひどいクマができている。

 ここ数日寝てないと、誰が見てもわかるだろう。

「管理省で、教わった」

「あたしも教えてもらいたいなぁ、独学って大変だから……」

 本気で羨ましく思っているのか、加苗がしばらくぶつぶつと何かを言い出したが、やがて諦めたように頬を両手で叩くと、視線を嵐司のほうに向ける。

「で、なんであらしんが羽月ちゃんを連れてここにきたの? ルートの計算で忙しいって言ったでしょう」

「悪ぃ悪ぃ、だが、こいつが透矢の居場所が知りたいってね」

「………」

 嵐司が悪びれもせずに言うと、凪乃も静かに頷く。

 そんな二人を見て。加苗も仕方なさそうにため息をつく。

「まあいっか。残るのは明日の侵入ルートだけだから、自分でどうにかしてね。これならあたしも前夜祭に……ダメか、疲れた。あとで寝る……」

 回転イスを回し、二人に正面を向けると、疲れが一気に湧いてきたのか、力なく額を背もたれに置く。

「で、なんで羽月ちゃんがお兄ちゃんの居場所が知りたいの? やっぱり勧誘のこと?」

「うん」

 額を背もたれに預けたまま口にした問いに、凪乃は小さく頷く。

「勧誘……勧誘か。あたし、最初は管理省に入っても大丈夫って、お兄ちゃんが幸せならそれでいいって言ったの、覚えてる?」

「うん」

「あれは本音だよ。凪乃を利用して、ユートピアを落とそうとしてはいるけど、そのあと、お兄ちゃんが管理省に入ったらあたしはそれでもいいと思う」

 前に盗聴されることもあって、加苗は情報を隠さずに言うと、凪乃も任務に支障はないと判断したのか、特に何の反応も示さなかった。

「でも」

 と、何の前触れもなく、加苗の声のトンが急に落ちた。

 顔を上げると、いつもと違う真剣な目が真っ直ぐと、心を見透かそうとしているかのように凪乃を見つめる。

「あなたがここに来る目的、本当に勧誘なの?」

 射るような眼差しを前に、凪乃は数秒の間に無言を保ってから、ゆっくりと口を開く。

「今ついてきたら、すぐ戻っていい」

「………」

「中型調波器を設置すると、墓守の問題も解決できる」

 淡々と、事実を述べるように言葉を並べる。それから、必要な情報は提示したとばかりに、ガラスのような目で加苗を見つめ返す。

「墓守の問題も解決できる」

 強調するように、同じことを繰り返す。

 加苗はそれでも返事せず、ただ探るように凪乃を見つめていたが、やがて諦めて、頭を抱える。

「あーもー、羽月ちゃん表情がいっつも同じだから、何考えてるか全然読めないよー」

 ふわふわした髪を乱暴にかき乱し、悔しそうに叫ぶ。

「でも、ついていくかいかないかはお兄ちゃんの決めることだから、あたしは何も言わない。あとで自分でお兄ちゃんに聞いて」

「加苗と嵐司は」

「え?」

 手をひらひらさせ、透矢の居場所を言おうとした加苗だが、急に凪乃に名を呼ばれ驚いて顔を上げる。

「加苗と嵐司は、透矢と違うのに」

 でも、加苗の驚きなど気づくわけもなく、凪乃は淡々と己の疑問を口にする。

「どうして、ここまでするの?」

 墓守の歴史は十年ぐらいある。その間、透矢を中心に嵐司と加苗はずっと墓守を支えてきた。一人でも欠けば、今日の墓守はないだろう。

 とはいえ、今までの会話から見ると、二人は中央都市に対する敵意は薄い。それでいて、中央都市に入るのに相応しい実力を持っている。

 なのに、二人は中央都市に入ると考えもしなかった。ただいつ死んでもおかしくない世界で、透矢と一緒にこの都市を作り上げ、今もこうして都市をよくするためにといろいろ動いている。

 そのことに、凪乃は純粋に疑問に思う。

「え、あたし? あ……数式を見ちゃったから……」

 もともとは勧誘対象に入れられなかった加苗は一瞬びっくりしたが、すぐ納得した。無限因果の数式の計算ができる人なら、中央都市もほしいだろう。

「あたしは……ただお兄ちゃんの傍にいたいだけだよ」

 凪乃の疑問の答えは、意外にも簡単なものだった。

 考えるまでもないとばかりに、はにかんだ笑顔で少し照れくさそうに言う。

 すると、壁に寄り掛かった嵐司も不敵な笑みを浮かべ、当たり前のことを宣言するかのように口を開く。

「透矢と一緒にいると、なんか面白れぇことがありそうでワクワクするもんだ。それが俺みてぇな人にとって、一番手っ取り早く生きている実感を与えてくれるもんさ」

「………」

 二人の答えに、思わず黙り込んだ。

 傍にいたい、面白い。そんな感情から来た理由を、凪乃には理解できない。こんな世界で生きているのに、なぜ感情で行動できるのか、凪乃には理解できない。

 そんな凪乃の考えを見透かしたのか、嵐司は少し苦笑交じりに言葉を続ける。

「けどま、もっとシンプルな理由といえば」

「………」

 疑問のこもった視線を向ける。

 本気で答えを求めようとする凪乃に、二人は目を合わせ、仕方なさそうに笑うと、同時に口を開いた。

「やつは子供なんだから」

「お兄ちゃんって案外、子供だもん」

「いつも透矢に言ってるが、こんな血まみれ泥まみれの世界で、少しでも楽しめれば勝ちだ。どうしようもねぇもんをどうにかして、そんで何もできずに散るなんてリスク、少しでも頭を動かせば冒さねぇだろう? けど、それはあくまで大人の考え方だ」

 透矢のことを思い出したのか、嵐司は何かをしでかすかわからない子供を見ているかのように、愉快そうに言うと、加苗もにこりと頬を緩ませる。

「でも、お兄ちゃんはそうしない。代わりに世界に逆らうことを選んだ。そんなわがままなところは子供っぽくて、かわいくて……とても心配だ」

「だからこそ、透矢はこれからどうなるか、どんなことをやり遂げるかが気になってしょうがねぇ。ま、現実はそう甘くねぇのはお前がここにやってくることでわかったはずなんだがな」

 不敵な口調で言いながら、凪乃を正面から見据える。悪意は一切なく、だが確かに殺意のこもった眼差しだ。

「覚悟しとけよ。もしあいつが管理省に入らねぇって決めたら、俺はそれに従って、お前と戦う。そんときはせいぜい楽しませてくれよ」

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