第42話

「おふくろ…」


 実はモエは早くから息子の姿を認め、安堵と喜びに浸っていたのだが、その時は努めて平静を装いゆっくりと視線を本から息子に上げた。


「あら、タイセイじゃない。こんなところで奇遇ね」

「おふくろはなんでこんなところに?」

「たまには息抜きでね…一人旅しちゃいけない?」

「息抜きって…おふくろも呑気でいいね」

「それよりあんた、香港で学会じゃなかったの」

「ええ、だけど学会はとうに終わってるよ。学会の後、あなたの息子に何が起きたか、興味もないでしょうけどね」

「どうでもいいけど、薄汚れた格好してこんなホテルに来て、あなたはずかしくないの…えっ、ちょっと。何この娘…」


 日本語でのモエとタイセイの会話をしばらく聞いていたエラだったが、突然モエの足元にひざまずき、その足にキスをし始めた。


「エラ、いったいどうしたの」


 慌ててエラの奇行を止めに入るタイセイ。しかし、エラは瞳に大粒の涙をためて、モエの前にひざまずき、祈ることをやめなかった。そして、何度も小さくつぶやいた。


「ようやく、ようやく会えましたね。私のマリア様…」


 やがて祈りも終えて、エラが立ち上がると、モエもあきれてタイセイに懇願する。


「薄気味悪い。タイセイ、とにかくこの娘…どこかに連れて行って!」

「わかったよ…ただし、俺たちシャワー浴びたらまた来るから。せっかくだから、家族で食事でもしようぜ、おふくろ」


 おふくろの嫌がらせのために結婚したのではない。本当にエラを愛しているから結婚したのだ。だからエラも家族だよ。おふくろもきっと彼女を気に入るから…。

 しかし、そう願うタイセイの心配は無用だった。口とは裏腹に、モエは彼女に心から感謝し、とうに彼女を心の中に受け入れていた。なぜなら、命を懸けて、愛する息子を救ってくれたのは彼女なのだ。そして今、久しぶりに家族で食事をしようと、少年のころの笑顔で誘ってくれたタイセイ。この息子の心の扉を開いてくれたのも、きっと彼女なのだろうから。


「さっき、旦那さんは2番目っていったけど…ごめんなさい3番目に降格だわ」


 タイセイに腕を取られながら、部屋に連行されるエラ。マリア様との再会に興奮するエラのおしゃべりは、いよいよ止まらなかった。

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