755 ▽竜将の真意

 ドンリィェンは扉を閉めてエミルの小屋を後にした。


「頼んだぞ、エミル」


 彼女に任せておけば、しばらくの間は大丈夫だろう。

 そのまま彼は竜王の谷の上部へと移動する。


 居住区の天井にあたる黄土色の大地。

 そこにはすでに部族の若者たちが集合していた。


 一〇〇を超えるドラゴンの群れ。

 血気盛んな竜族の若者たち。


 彼らは出陣の時を今かと待ちわびている。


「長らく待たせた。これより作戦を開始する」

「ギャアァァァァァス!」


 大地を揺るがし、天を裂かんばかりの咆哮が響く。

 ビシャスワルトでも類を見ない最強の兵団だ。


 ウォスゲートが開かれた時に始まった、二つの世界の大戦争。

 これまで戦いに参加できなかった彼らは竜族の戦士たちは猛っていた。


「魔王様のご息女ヒカリヒメは無事にすることに成功した。さあ、今こそ我ら竜族が人類世界ミドワルトへと赴き、この無益な争いを不可逆的に終結させるのだ!」


 再びの大咆哮が上がる。

 待ちに待たされた戦士たちの士気は高い。


 仮の話だが、彼らがウォスゲート開放当初から魔王軍として対ミドワルト戦線に加わっていれば、寄せ集めの雑兵共が一年かけて得た成果など、わずか数日で上回っていたことだろう。


 それほどに竜族の精鋭たちの力は他種族と隔絶している。


「あの、長」


 ふと気づけば、竜族の少女がドンリィェンを見上げていた。

 ミドワルトからヒカリヒメを乗せて来たラグである。

 戦いに参加しない彼女は人間形態のままだ。


「どうした?」」

「いえ、その……」

「ヒカリヒメを騙した形になったのが心苦しいか」


 ラグは注意深く見なければわからないほど、わずかに首を縦に動かした。


「俺とて思いは同じだ。しかし、これは必要なことなのだ。お前も竜族の民なら何を一番に優先考えるべきかわかるだろう」

「はい……」

「お前に命令を与える。今すぐ魔王の館へと飛び、ヒカリヒメを保護したことの報告と、竜族決起の虚報を伝えてくるのだ」

「わかりました」


 ラグは伏せていた顔を上げる。

 そして力強く頷いた。


 竜族の民ならば長の命令は絶対だ。

 ラグは葛藤を打ち消して、気持ちを切り替えた。

 竜化し、伝令役としての任務を全うすべく、大空へと飛び立つ。


「……すまない」


 次第に小さくなっていくその姿を眺めながら、ドンリィェンは誰にともなく謝罪の言葉を呟いた。




   ※


 竜の大群がマーブル模様の空を飛ぶ。

 ドンリィェンは竜族の勇士ベグスの背に乗っている。


「もう少し左だ」


 当然のことだが、竜族の長であるドンリィェンも、竜形態に変化することはできる。

 ひとりだけ普段から人間形態のままでいるのはいくつかの理由があった。

 群れ全体に指示を出しやすいというのもその一つである。


 やがて、彼らの行く手に真っ黒な次元の扉が見えてきた。

 かつて第二魔王城があった場所に作られたウォスゲートである。

 だが、そのゲートは一年前と比べて明らかに小さく、不安定になっていた。


「一年間、待った甲斐はあったな……」


 ゲートを開くための鍵となった次元石はすでにヒカリヒメの手で破壊されている。

 二つの世界を繋ぐ次元の裂け目は、一度閉じれば余程のことがない限りもう開くことはないだろう。


 彼ら竜族の目的もまもなく――


「っ!」


 その気配に気づいたのはドンリィェンだけだった。

 他の竜族の戦士たちはみな、直前までそれの接近に気付かない。

 群れに停止命令を出すよりも早く、そいつは彼らの進行方向に割り込んできた。


「ギャァス!?」


 まるで雷光のようだった。

 地平線のかなたに気配を察知してから一秒足らず。

 そいつは竜族の群れの正面に立ち、最強の軍団を強制的に停止させた。


「よお、ドンリィェン」


 丸い帽子をのせた短い金髪。

 身に纏うのは闇のような漆黒の衣装。

 己の身長よりも大きな大剣を肩に担いだ少女。


 黒衣の妖将カーディナル。


「貴様もこちらの世界に戻っていたのか」

「あっちにはもう用はないからね」

「なんだと? それは一体どういうことだ」

「魔王はもうミドワルトには戻らないよ。館でずっと待ってるって」

「……まさか、すでに覇帝獣ヒューガーが人類を滅ぼしたのか!?」


 将が率いる魔王軍による侵略がフェイクだったことはドンリィェンも知っている。

 魔王の本命は覇帝獣ヒューガーという名の大怪獣を直接人間の街に送り込むこと。

 侵略ではなく根絶やしが目的なのだ。


 覇帝獣ヒューガーの召喚時期は不明だったが、もしや手遅れだったか……?

 竜族の参戦を待たなかったのなら、館へ向かわせてしまったラグの身も心配だ。


 ドンリィェンが己の判断を後悔していると、黒衣の妖将はにやにやと笑い、驚くべきことを言った。


「半分正解で半分ハズレ。送り込んだ覇帝獣ヒューガーが返り討ちにされたんだよ」

「な……!」


 予想もしていなかった答えに絶句する。

 覇帝獣ヒューガーが倒されるなど、それこそあり得ない話だ。


 ビシャスワルトの創世より存在する神話の怪物、覇帝獣ヒューガー

 その圧倒的な戦闘力は一言で表すなら『規格外』だ。


 数は少なく知能も無いに等しいが、戦闘力は将をはるかに上回る。

 ドラゴン形態となったドンリィェンですら楽に勝てる相手ではないだろう。

 また不確定情報ながら、魔王ですら敵わない正真正銘の怪物個体も存在するらしい。


「何者なのだ、その相手は」


 ヒカリヒメの足止めに成功している今、ミドワルトに覇帝獣ヒューガーを倒せる者がいるのだろうか?


 可能性があるとすれば……あの黒髪の少年か。

 だが、あれから後方にある人類の街まで戻ったというのも考えづらい。


「詳しくは聞いてないけど、よほど魔王の興味を引くやつだったみたいだよ? あいつが本来の目的を忘れてぜひとも会いたいって思ってる程度にはね」

「……」


 不確定要素には違いない。

 しかし、上手く扱えれば強力な味方になるかもしれない。

 魔王がビシャスワルトから動かないのも、逆に考えれば大きなチャンスである。


 どちらにせよ、場合によっては今後の作戦に大きな変更を加えることもあるだろう。

 ドンリィェンはしばし思案に耽っていたが、それよりも眼前の問題に気付いた。


「黒衣の妖将、貴様はどうするつもりだ?」

「変わらないよ。自分の目的のためにすべてを利用するだけさ」

「そのすべての中には我々も入っているということか」


 このタイミングで現れたということは、何らかの理由があって近づいてきたのは間違いない。


「察しがいいね。それじゃ単刀直入に言うけど、ルーチェを引き渡して欲しい」

「ヒカリヒメを?」

「連れてこいとは言わないよ。竜王の谷の通行許可をくれ」


 一体どこで聞きつけた?

 こいつは何がしたいんだ?


「断ると言ったらどうする」

「その時は仕方ないね」


 カーディナルは肩に担いでいた大剣を構えた。

 竜族の戦士たちが色めき立ち、一触即発の空気が流れる。


「我々と争うつもりか」

「必要とあれば」

「竜族の精鋭を相手に、たった一人で勝てると思っているのか」

「少なくとも、この場にいるおまえ以外の全員を細切れにする自信はあるぞ。その後は追ってくるおまえから逃げ回りつつ、竜王の谷を許可証なしで強行突破するっていうのはどうだ?」


 過信ではないだろう。

 今の妖将はそれだけの力を持っている。

 特にスピードで圧倒的に勝るこの女を相手に、仲間を守りながらの戦闘は難しい。


「ヒカリヒメをどうするつもりだ。魔王の下へ連れていくのか」

「そんな無意味なことをするつもりはないよ」

「では……」

「おっと、そこまでだ」


 カーディナルは人差し指を立て、口元に充て小声で呟いた。


が聞いている」

「……っ!?」


 ドンリィェンは思わず首を振って左右を見回した。

 当然ながら、彼ら竜族と妖将の他には誰もいない。

 遠くから誰かが見ているということもないはずだ。


 少なくとも、彼が認識できる領域内では。


「だから詳しいことは話せない。けど、竜族に対して危害は一切加えないし、ルーチェにとっても悪いようにはしないよ。おまえの邪魔をする気もないから、あいつを任せてくれさえすればそれでいい」


 ドンリィェンは考えた。

 この場でこいつと争うのが悪手であるのは間違いない。

 それではこの後に控えている大作戦が実行できず、目的が果たせなくなる。


 しかし、ヒカリヒメを渡せという要求は……


「なあ、冬蓮ドンリィェン


 至高を巡らす竜族の長にカーディナルは優しく語りかける。


「おまえ、わたし、そして魔王。みな目的は違うけど、本当の敵は共通しているはずだ。そうだろう?」


 そうだ。

 彼らビシャスワルトの民にとっての本当の敵。

 いや、ミドワルトに住む者たちだって、何も知らないだけで……


「わかった」


 ドンリィェンは自分の指先に傷をつけた。

 体から流れた血が空中に文様を描く。

 光り輝いて一枚のカードとなる。


「持っていけ。それがあれば竜王の谷はフリーパスだ」


 長の血で描かれた証明書だ。

 これがあれば多種族の者が咎められることはない。

 カーディナルはそのカードを受け取ると、満足そうににやりと笑った。


「感謝するよ」

「その代わり絶対に竜族の者を傷つけないと約束しろ。万が一のことがあれば、何を犠牲にしようと必ず貴様を殺す」

「わかってるって。わたしだってで争いたくなんてないしね。それじゃ、また」


 カーディナルはカードを懐に収めると、現れた時と同様に雷速で遥か後方へと消えていった。


「ギャゥ……」


 竜族の勇士たちが口々に低い声で啼く。

 強敵を前にまったく動けなかったことの不甲斐なさ。

 そして、あいつを谷へ近づけることへの不安があるのだろう。


 先ほどまで最高潮にあった竜族の精鋭たちの士気は、あっという間に挫かれてしまった。


「……まったく、最悪のタイミングで出てきてくれる」


 ドンリィェンは気を取り直し、改めて全軍に指示を出した。


「黒衣の妖将は放置する。今はとにかくミドワルトへと急ごう」

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