750 ▽魔王の館にて
ここはビシャスワルトの最奥部。
ミドワルト侵攻の拠点とは別の、真の魔王城。
将たちですら立ち入ることを許されていない魔王の私邸だ。
その一室で、魔王の側近アクデスは恐怖に打ち震えていた。
「なんだ、あれは……!」
魔王様がお怒りになられている。
このように激しく感情を表す姿などこの五百年、一度も見たことがない。
「なんだあれは、なんだなのだあれはッ!」
魔王様が拳を叩きつけると、玉座の肘置きが真下の地面ごと抉り取られ消失する。
もはやいつ、その怒りが自分に向いてもおかしくない状況である。
特殊な能力を持つという理由で側近に選ばれたアクデスは、魔王様の力に抗う術は一切持っておらず、ただ震えて嵐が過ぎ去るのを待つことしかできなかった。
アクデスの能力は遠視と投影。
それも次元を超えるほどの強力な使い手である。
ウォスゲートが開いてさえいれば、ミドワルトの様子をも映し出すことができる。
アクデスはその力を用い、魔王様に最高の娯楽を楽しんで頂くつもりであった。
投影していたのはファーゼブル王国と呼ばれる国の首都。
しかし、
突如として現れた謎の巨像によって。
「……アクデス」
「は、はっ!」
名を呼ばれた瞬間、アクデスは死を覚悟した。
だが怒りが彼に向くことはなく、魔王様は低い声でこう告げた。
「下がれ」
「は……?」
「下がれと申した! 今すぐ館から出て行け! 貴様だけではない、他の何人たりとも我が声の届く場所に近寄るなと伝えよ!」
「か、畏まりました!」
魔王様の勘気を被る。
それは多くの場合、死と同意語である。
ところが魔王様が命じたのは、この場よりの退出であった。
逆らうつもりも理由を問う必要もない。
アクデスは即座に魔王様の私室から退去した。
廊下に出ると、せわし気に働いている館の侍女の姿を見つけた。
「アクデス様? そのように慌てて、如何いたしま――」
「全員すぐに館より立ち退くのだ! 魔王様の厳命であるぞ!」
「っ!? か、かしこまりました!」
彼女も理由を問う愚は犯さない。
それほどに魔王の側近であるアクデスの言葉は重い。
彼の慌てぶりはそれだけで異常事態が起こったことを雄弁に物語っているのだ。
「すべての者は館から離れるのです! 魔王様のご命令です!」
館に残っている者すべてに口頭で伝令する。
万が一にも、一人たりとも、命令に背く者を出してはならない。
魔王様がこれ以上お怒りになれば、この世界そのものが崩壊しかねないのだから。
※
「全員の退去を確認しました!」
侍女長が点呼を取り、全員が館から出たことを確かめる。
ほとんどが理由もわからないまま命令に従った形である。
「アクデス様、魔王様に一体何があったのでしょう……?」
当然、落ち着いた後は彼に問いかけてくる者もいる。
隠す必要もないと、アクデスは正直に答えた。
「魔王様の秘策が破られたのだ。ヒトの使う、謎の兵器によってな」
「なんと……!」
ミドワルト侵攻、もとい完全破壊という究極の目的。
そのためには魔王軍による侵攻など目くらましに過ぎなかった。
そもそも五人の将自体、魔王様の腹心の部下とは言い難い。
ビシャスワルトで最も強い五人を集め、一定の権限を与えただけ。
さらに言えば反乱を阻止するための監視も兼ねていたと言っていいだろう。
魔王様に心から賛同していた将などほとんどいない。
先の戦いで亡くなったエビルロード殿と、新参者のカーディナルくらいだ。
特に服属に納得していない竜将はいつ裏切ってもおかしくない。
それ故に、このタイミングでの作戦結構だった。
ところが、魔王様の偉大な計画は謎の兵器によって台無しにされた。
その悲嘆とお怒りがどれほどのものか、心中察するに余りある。
「わ、我々の命を捧げて、魔王様をお慰めすべきではないでしょうか……?」
「勝手な判断をするな。そのような命令は下されていない」
彼ら側付きにとって今の状況は、両の足で立つ大地を失うほどの不安である。
特に侍女たちは魔王様のお怒りを鎮めるためなら何でもするだろう。
故郷に家族を残しているアクデスは己の命が惜しいが……
「とにかく、待つしかない」
どれほどの怒りであろうと、必ず静まる時が来る。
その時に生きてお役に立てるならそれに越したことはない。
アクデスは跪き、魔王の館に向かって祈った。
侍女たちも神に祈りを捧げる信徒のごとくそれに倣う。
「魔王様、どうかお怒りをお沈め下さい……」
「どうか心お健やかに……」
※
館にひとり残った魔王。
アクデスの能力で作られたスクリーンにはまだ映像が残っている。
ファーゼブルという国を
巨大ロボットが。
「うおおおおおおい! なんだよあれ、メッチャかっけえええええええ!」
近くに誰もいないことを確認した上で、魔王は己を偽ることなく叫んだ。
その声に計画が失敗した悲嘆や怒りなどは微塵もない。
ただ歓喜と興奮に声を張り上げる。
「やっべ、マジやっべえ! ファンタジー舐めてた! いや、機械とか微妙にあるレベルで文明が進んでるのは知ってたけど、まさか巨大ロボットが出てくるとは思わないだろ!?」
側付きはもちろん、将やビシャスワルトの民の前では決して見せない姿。
体を覆う暑苦しい闇の衣を取り払い、ラフな格好を露にしながら、魔王と呼ばれる青年は叫んだ。
「来るのか? 俺の所に来るんだよな!? ミドワルトを代表して魔王を倒しに来るんだろ、待ってるぞ! 名前覚えたからなぁ……輝攻戦神グランジュスト!」
真の敵へ対する怨念にも似た怒りも。
目的のために狭間の地ミドワルトを滅ぼすと決めた葛藤も。
己を蝕むあらゆる負の感情を忘れて、魔王は少年のように無邪気に声を張り上げた。
この五〇〇年……
いや、この地に来てから一〇〇〇年以上か。
久しく忘れていた興奮に、魔王ソラトは今だけ身を浸していた。
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