740 ▽空の亀裂

「恨むなよ……」


 王国の敵とはいえ、やはり人間を殺すというのは気分の良いものではない。

 向こうはこちらを覚えていなかったようだが、名も顔も知っている相手ならなおさらだ。


 ジュストは跳ね飛ばしたマルスの首を拾い上げて見開いた瞳を閉じさせた。

 その瞬間、ファーゼブル輝士たちから大きな歓声が上がる。


「あの星帝十三輝士シュテルンリッターをあっさりと倒してしまうとは!」

「さすがは英雄王様のご子息だ! ジュスティッツァ様ばんざーい!」


 あくまで英雄王の息子として扱われる。

 そんな自分を顧みてジュストは苦笑いを漏らした。

 まあ、今更そんなことで気分を落ち込ませる必要もないだろう。


「まだ危機は去っていませんよ」


 ジュストは表情を引き締め、マルスの首を頭上に掲げた。


「誰か、これを持って街壁の上からシュタール兵に撤退勧告をして来てください。星輝士が倒されたと知れば敵の士気も挫けるかもしれません」

「で、では私が!」


 ジュストは名乗り出た年かさの輝士にマルスの首を渡す。

 受け取った輝士はそれを抱えて街壁上部へ続く塔へ駆けて行った。


「他の方々はすぐに戦闘準備をして下さい。あと、市民の避難誘導を忘れずに。敵があれで引かずに街門を破ってきたら、そのまま市街戦になるでしょう」


 ルティアでの経験を活かし、ジュストは周りの輝士たちにすばやく指示を出した。

 連合輝士団にいた頃と違い王国での彼の立場は単なる見習い輝士である。

 本来ならば輝士たちが命令に従う必要性はないのだが……


「わかりました! すぐに活動に当たります!」

「一番隊から四番隊は戦闘準備に! 五番隊から七番隊は市民の避難誘導に!」


 やはり目の前で星輝士を倒したのが効いたのだろう。

 各部隊の隊長らしき輝士たちは、素直に指示通りの行動をしてくれる。


「さて……」


 問題はここからだ。

 ジュストは輝攻戦士であるマルスを倒した。

 しかし、決して輝攻戦士と同等の活躍ができるというわけではない。


 さっきは輝攻戦士の弱点である『三撃の後の隙』を狙って勝てた。

 輝攻戦士に生身で敵うわけがないという相手側の油断もあっての勝利である。


 もし慎重に、輝攻戦士としての特性を最大限に活かして戦われていたら、まず勝てなかったはずだ。


 そして何より、五〇〇〇の兵と戦うような力を今のジュストは持っていない。

 先ほどから街壁に攻撃を加えている南部連合の新兵器も気になるところだ。


 ここからは純粋な兵力がものを言う集団戦となる。

 王都を守れるか否かは、輝士たちひとりひとりの活躍にかかっているのだ。

 あとはせめて、マルスが死んだことでシュタール帝国の軍勢だけでも撤退してくれたら……

 そう願うばかりである。


 ぴしり。


「ん?」


 ジュストは奇妙な音を聞いた。

 最初は街壁にヒビが入った音かと思った。

 しかし今のところ、どこも破壊されている様子はない。


「シュタール帝国兵に告ぐ! お前たちの切り札である星輝士は我らファーゼブル輝士団の手で打ち取られた! これ以上の被害を出したくなければ――」


 マルスの首級を持って街壁に上がった輝士の声が聞こえてくる。

 ジュストはなんとなく、その声を追って空を見上げた。


 そして、彼は見た。

 空に走った大きな亀裂を。




   ※


「くそっ……」


 マルスが討ち取られた。

 敵の輝士が掲げるのは変わり果てた姿の兄の首。

 メルクは歯を食いしばりながら、それを遠くから睨みつけていた。


 なんて愚かな最期だったのだろう。

 単身で敵地に乗り込み、返り討ちに合うなんて。


 兄は昔から功を焦って失敗する所があった。

 以前に帝都で起こった吸血鬼事件の時もそうである。


 いつか取り返しがつかないことになるから、もうちょっと考えて行動してくれと、過去に何度も諫めたのに……


「うおおおおっ! マルスうううううううっ!」


 そんなマルスの死に対し、メルク以上に激高している人物がいた。

 滂沱の涙を流しながら大声で叫んでいるのは五番星ユピタである。


「畜生! 畜生っ! 絶対に仇は取ってやるからなああああああっ!」


 以前から二人の仲が良かったのは知っている。

 最近は特に親友と言って良いくらい、常に行動を共にしていた。

 兄の死をこんなにも本気で悲しんでくれる人物がいるのは、肉親として有難いことであるが……


「全軍突撃だぁ! マルスの敵討ちをしろっ! ファーゼブルのやつらは皆殺しだぁ!」

「待ってくださいユピタ殿、ここは一時撤退すべきです!」


 ユピタは怒りのあまり冷静な判断力を失っている。

 メルクは慌てて彼を止めたが、返ってきたのは憎しみの目と怒声だった。


「ふざけるなっ! マルスが殺されたんだぞっ! 貴様、それでもあいつの妹かっ!」

「兵たちも兄がやられたことで激しく動揺しています! ましてや敵には兄を倒すほどの強者がいるんですよ! このまま総攻撃をかけたところで、無駄な犠牲が増えるだけの結果になるのは、火を見るよりも明らかです!」

「臆病風に吹かれた弱者の意見など聞いていないっ!」


 マルスが死んだことで、部隊の指揮権は自動的に次に星輝士序列の高いユピタに移っている。

 このまま彼を説得できなければ、本当に総攻撃を仕掛けることになってしまう。


「とにかく、冷静になって私の話を聞いてください。何も敵に背中を向けて逃げろと言っているのではありません。ここは一度部隊を下げて、情報収集を行った上で堅実な作戦を練ってから――」


 ぴしり。


 奇妙な音が響いた。

 それは、彼女たちの頭上から。


「なんだ……?」


 メルクは思わず説得の言葉を中断して空を見上げた。




   ※


「シュタール帝国の陣営が騒がしいな」


 ビッツは起動二輪に乗ったまま南部連合の野営地に入った。

 半日かけて飛ばしてきたので多少は疲労もあるが、まずは戦況を把握しなければならない。


「どうやら星輝士がひとり倒されたみたいですよ」


 彼を出迎えて説明したのは、一時的に指揮権を預けてあるリモーネだ。

 現在、前線はシュタール帝国輝士団に任せ、南部連合軍は遠距離からの砲撃に集中している。


「ファーゼブル王国に星輝士を倒すほどの戦力が残っていたのか?」

「内部に潜入させた工作兵からの通信によれば英雄王の息子が現れたとか」


 やはり、ジュストだ。


「殿下の仰った通り、我々は後方に下がっていて正解でしたね。このままファーゼブルがシュタールと共倒れになってくれるなら万々歳なのですが」

「そう都合良くはいかないだろう。シュタールの指揮官がよほどの間抜けでない限りはな」


 もちろん、対策は考えてある。

 最悪の場合は自分が出る必要もあるだろう。

 あるいは先に王都に戻らせたアンドロを使って、内部から……


 ぴしり。


 奇妙な音が聞こえた。


「なんの音だ」

「わかりません。先ほどから定期的に聞こえてくるのですが……」

「敵の大規模輝術の兆候かもしれん。すぐに輝術師を呼んで調べさせろ」

「はっ。ただちに調査を開始させます」

「な、なんだあれは!?」


 リモーネが命令を復唱した直後、兵たちの中から叫び声が上がった。


「王子の御前だ! 騒がしいぞ!」

「し、しかしリモーネ隊長、あれをご覧ください!」


 騒ぐ兵たちの視線を追って空を見上げる。

 空の一点に、まるでガラスが割れたようなヒビが入っていた。

 それはみるみるうちに剥がれ落ち、空が欠け、その向こうにある暗闇が露になる。


「なんだ……!?」


 あまりの理解不可能な現象に、ビッツも思わず驚きの声を漏らした。

 やがて、暗闇の中から巨大な『それ』が姿を現した。


「大規模召喚の術式……」


 誰かがそう呟いた。


 金色の胴体。

 山よりも大きな体躯。

 想像を絶する怪物が、空間を超えて現れる。


 だが、あれは一体何だ!?

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