629 ◆目覚めたら、異世界

 あたしたちがいた部屋には、よく見なきゃわからない扉があった。

 自称女神が壁にあるボタンを押すと、触れてもいないのに左右に開く。

 扉の向こうはだだっ広い通路で正面は大きなガラス張りの窓になっている。


「えっ……」


 そこから外の景色を見たあたしは思わず言葉を失った。


 見たこともない景色が広がっていた。

 白を基調とした無数の四角い建築物が立ち並ぶ街。

 そのすべてがお城デパートより遙かに高く、噂に聞く高層棟トゥルムのよう。


 半透明のチューブが建物の間を縫うよう縦横無尽に伸びていて、その中を平べったい箱のような乗り物が、輝動二輪よりもずっとはやい速度で移動している。


 遠くには真っ白な壁が聳え立つ。

 空は見えず、街壁はどこまでも空へ向かって伸びていた。


「何ここ……どっかの輝工都市アジール、なの?」

「いいえ、違います」


 自称女神のミサイアがあたしの独り言に首を振って応えた。


「じゃあ一体どこなのよ」

「深く詮索しない方がいいですよ。元の世界に戻りたいならね」

「……元の世界って。まるで異世界にでも来ちゃったみたいな言い方ね」

「実際、その通りです。ここはあなたのいたミドワルトとは全く別の世界ですから」


 ダメだ、ついていけない。

 女神さまの次は異世界だって?

 どこまでが冗談で、どこまでが本気なの。


「ほら、何しているの」


 通路の先から別の女がやって来た。

 室内だというのに黒い幅広の帽子を被っている。

 多分、さっきの黒い機械マキナから聞こえていた声の主だと思う。


「さっさと彼女を連れて行きなさい。慈愛の女神ミサイア」

「慈愛の女神ミサイアって呼ばないでください」


 帽子の女は自称女神の抗議を無視した。


 そして、あたしをじろじろと眺める。

 それはもう舐めるように上から下までじっくりと。


「ふーん……」

「な、なによ」


 なぜか身の危険を感じ、思わずに胸元を両手でガードしてしまう。

 帽子の女は妖艶に微笑みながらこう言った。


「まあいいわ。ようこそ、インヴェルナータ。私たちの世界へ」




   ※


 自称女神と帽子の女に連れられて通路を歩く。

 左側はずっと大きな窓が続いていて、嫌でも外の景色が見えてくる。

 天を貫く建築物が無数に建ち並び、見たこともない乗物がチューブの中を走る街。


「異世界、ね……まるで神話の中の世界だわ」

「貴女たちの感性だとそうなるのね。私たちに言わせれば貴女たちの住むミドワルトの方がよほどファンタジーな世界なのだけど」


 帽子の女が肩越しに首を向けながら言った。

 この女に見られると何故か背筋がゾワゾワする。

 捕食者に狙われる小動物の気分になるのは何故だろう。


「そんで、いったいどんな理由があってあたしをここに連れてきたのよ」

「あー、ぶっちゃけ単なる事故なんだけど……」


 自称女神が気まずそうに言った。


「詳しい話は責任者の方からしてもらいます。ちょっと歩くけど、しっかり着いてきて下さいね」

「勝手に逃げだそうとしたら警告なく撃ち殺すから。そのつもりでいなさい」


 物騒な脅迫をしながら、よくわからない小型の物体をちらつかせる帽子の女。

 どっちにせよ、ここが本当に異世界なら、逃げても意味がない。

 ムカつくけど言うことを聞くしかなさそうだ。


「ここよ」


 自称女神の足が止まる。

 扉の横には『天使室』と書いた札が貼ってあった。

 女神の次は天使とは、おもいっきり笑い飛ばしたいところだけど……


「インヴェルナータさんは、五大天使って知ってるかしら?」

「は?」


 自称女神がよくわからないことを言う。


「貴女たちの世界の神話よ」

「あ、ああ、それね。聞いたことあるわ」


 泥の文明から人間を救い出した主神。

 その主神に力を貸したのが、もう一柱の神とも呼ばれる聖天使。

 五大天使っていうのは、その聖天使に付き従っている、腹心の部下ような存在のはず。


 あたしは神話なんて創作としか思ってないから、テストのためにさらっと単語を覚えた程度の知識しかないけど……


「その五大天使のひとりが、この向こうにいるの」

「は?」


 何言ってんだこいつ。


「あたしの世界の伝承でしょ。なんでそんなやつが、こんなところにいるのよ」

「だから、ここは――」

「そこまでにしておきなさい、慈愛の女神ミサイア」


 帽子の女が説明をしようとした自称女神の言葉を遮った。


「あまり余計な事を知りすぎると、元の世界に戻す許可が下りなくなるわよ」

「そ、そうですね……ところで慈愛の天使って呼ばないでください」


 結局、よくわからないまま話は終わってしまった。

 あたしはうろ覚えの神話知識を思い出す。


 主神に協力して、人類に文明を与えた聖天使。

 そいつらがミドワルトを離れた後に作って移住した世界がたしか……


 永遠の楽園ヘブンリワルト


 もしかしてあたしは、とんでもない所に来てしまったんじゃ……?




   ※


「入るわよ」


 偉そうに言いながら扉を開ける帽子の女。

 あたしと自称女神ミサイアは彼女の後に続いた。


 その中で待っていたのは――


「ん……? な、なんだよ! 入るならノックくらいしろよな!」

「貴女、ノックしても気付かないでしょう」


 どうみても、初等学生くらいにしか見えない女の子だった。


 彼女は耳を覆うヘアアクセサリのようなものを頭につけ、柔らかそうな大型のソファに寝転がりながら、その幼い顔だけをこっちに向けている。


 壁際には薄い大型の映水機みたいなものが鎮座している。

 その画面にはやたらファンシーな絵画みたいな動く映像が映し出していた。

 テーブルの上には無数のお菓子がばらまかれていて、甘い匂いがここまで漂ってくる。


「このクソ忙しいときにアニメ見ながらおやつタイムとは……いいご身分ね、第四天使」

「い、いいだろ別に。普段は忙しいんだから、ちょっとくらい気を抜いたって」

「ガチの災害発生時以外に気合いを入れてるのを見たことないのだけど?」

「うっ、それは……と」


 女の子があたしの方を見た。


「そっちの女が接続事故でミドワルトから来ちゃったって人か?」

「そうよ。慈愛の女神ミサイアが勝手に座標を変えたせいで、接続地点にいた彼女を巻き込んでしまったの」

「慈愛の天使ミサイアって呼ばないで下さい」

「ミサイアって誰だ? っていうかみさっち、なんでそんなヒラヒラした格好してるんだ?」

「それは話すと長くなるのだけど……ぷぷっ。慈愛の女神(笑)」

「笑わないでください! あなたがやらせたんでしょ!」

「なんだ、新しいあだ名か?」


 なんなんだこいつら。

 このかしましい童女がなんで神話の天使とかそういう話になるのよ。


「おっと、挨拶が遅れたな。よろしくミドワルトの人。あたしはここ責任者、第四天使エリィだ。そっちの名前は?」


 マジで天使とか名乗ってるし。

 まあ、敵意はないっぽいから、名前くらいは言ってもいいか。


「インヴェルナータよ」

「イン……何? もう一回言って」

「インヴェルナータ。呼びにくかったらナータでいいわ」

「おう。そんじゃナータ。ミドワルトに戻って慈愛の天使ちゃんの案内役をしてやってくれ」

「はぁ!?」


 大声で聞き返したのはあたしじゃなく慈愛の女神だった。

 取り乱したのが恥ずかしかったのか、彼女はこほんと咳払いしてから続ける。


「なんで私がミドワルトに行くことになるんですか。あと、慈愛の女神って呼ばないでください」

「え、最初からお前を送り込む予定だったぞ?」

「聞いてません。軍から精鋭を派遣する予定だったはずです。それに、インヴェルナータさんはこちらの世界のことを少なからず知ってしまいました。簡単にミドワルトに戻しても良いものでしょうか」

「ナータがこっちに来ちゃったのは慈愛の女神ちゃんのせいだろ? 勝手に呼び出して、こっちの都合で帰らせないってのは、流石にひどくないか?」

「そ、それはそうですけど……」

「ま、彼女がこっちで得た知識を利用して変なことしないように、最低限の監視はしておいてくれ。だから一緒に行ってくれなきゃ困るんだ。繋いだ次元ゲートは止めたまま維持してあるんだろ?」

「もちろんです。でも、あれをもう一度使うんですか? 座標を間違えて、かなり手前に繋いでしまったと報告は受けてますよね?」

「再利用しろ。次元ゲートを一回開くのにどれだけの予算が掛かるか知ってるだろ」


 こいつらの喋っている話の半分も理解できない。

 ただ、わかるのは、どうやら元の世界に帰れそうだってことと……


 なんだかものすごい面倒事に巻き込まれたらしいってこと。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る