616 ▽夜将出撃
夜将リリティシアの住む居城は、かつてのマール海洋王国の王宮を改造した城であるが、人間が住んでいた頃の原型はほとんど留めていない。
ビシャスワルトから連れてきた兵たちに死ぬ気で働かせ、三ヶ月かけて自分好みの黒く巨大な城に作り替えたのだ。
主塔の高さは二〇〇メートルに迫る。
見張り塔の数は一〇を超え、そのすべてに飛行種族用の出撃窓がある。
城の外周はヒトの使う破城槌でもビクともしない城壁が取り囲んでいる。
見張り番を任せているのは遠距離射撃能力のある種族ばかり。
敵が近づたところで即座に彼らの餌食となるだろう。
また、主塔から見下ろす広場には常に数百から数千の兵が控えており、前線で戦っている本隊が消耗すれば、即座に彼らが予備戦力として利用される。
下層部にはあらゆる種族が暮らす居住区が拡がっていて、マール海洋王国侵攻を任されたリリティシア配下の十万近いビシャスワルト人が暮らしている。
ここはまさに城郭都市。
難攻不落の魔城である。
ちなみに、ストレス解消のオモチャを兼ねた、かわきを癒やすための
兵達のモチベーション維持にヒトの備蓄は必要だが、自らを高貴なるビシャスワルト貴族と放言するリリティシアは、下等なミドワルト人など側に置いておきたくなかった。
そのリリティシアは現在、自室にて睡眠を取っている。
貴族らしい豪奢な造りの部屋である。
ビシャスワルト人にとっての睡眠は食事よりも重要だ。
ましてやビシャスワルトでもっとも美しい戦士を自称する夜将。
その称号に反し、夜更かしは人間の反撃以上に気をつけたい大敵だった。
ちょっとした小屋ほどもある天蓋付きのベッド。
ふかふかの羽毛布団を被り、安らかな寝息を立てていた夜将リリティシアは――
発音で目を覚ました。
「何事!?」
さすがに歴戦の将であるリリティシアは即座に跳ね起きた。
廊下に出て不寝番の側近を呼びつける。
「何があった! 報告しなさい!」
「はっ」
近距離次元跳躍で壁から姿を現した青肌の妖魔が説明をする。
「第四及び第六見張り塔で謎の爆発があった模様です」
「謎の爆発ですって? ヒトの夜襲ではないの?」
「それは現在、調査中で――」
妖魔の声を遮るように、またも爆発音が轟いた。
連続で二度、本塔のかなり近くである。
「こんな所まで侵入されて誰も気付かないのか!? さっさと見つけ出して八つ裂きにしろ!」
「は、はっ……!」
人間どもが城の近辺を探っているのは以前からわかっていた。
やつらの行動は神出鬼没であるが、恐らくは地下に潜んでいると見込んでいる。
遠くから偵察をするしかできず、どうせ直接的な行動は起こさないと、今まで目こぼししてやっていたのだが……
「侵入したヒトを捕らえたら拷問してアジトの場所を吐かせなさい。解放軍の本隊を呼び戻して、総攻撃をかけるのよ」
「はっ!」
「り、リリティシア様! 大変です!」
別の妖魔が同じ壁から姿を現した。
こちらは遠距離次元跳躍で飛んできたようである。
「解放軍が……全滅しました!」
「は?」
こいつが何を言っているのか、リリティシアは理解できなかった。
現在、解放軍本隊には南方にあるヒトの大きな街の攻略を行わせている。
自分が出向けばすぐに終わることだが、じわじわと攻めることでヒトに恐怖を与え、兵たちの活力にするという目的があった。
その分、数は多めに投入して三万ほど。
リリティシア配下の実に五分の一を戦力である。
数日前の定例報告では、まだ街壁周辺で小競り合いを続けていたはずだ。
総攻撃の命令は下していないし、苦戦するような敵戦力がいるとも聞いていない。
「この数日の間に何があった!? それに、この襲撃は――ぐわっ!?」
すぐ近くの壁が外からの爆風で吹き飛ばされた。
巻き込まれた妖魔は声も上げずに絶命し、
こんな所にまで入り込んでるのか!
リリティシアはとっさに自らの爪を刃として身構えた。
しかし崩れた壁の向こうには誰もおらず、外の景色が見えるだけ。
代わりに、そこから見渡せる城砦内部で次々と爆発が起こっている。
一度や二度ではない、断続的に何度も何度も、あちこちで。
ついに西側の見張り塔が音を立てて崩れ始めた。
「なんなのよ! 一体何人のヒトが入り込んでいるっていうの!?」
爆発は止まない。
それどころか次第に激しさを増している。
見張り塔、兵隊詰め所、居住区と、見境なしに破壊されていく。
ふと、リリティシアは夜闇の中にわずかな歪みを見た。
――黒い蝶!?
凄まじい速度で飛来するそれに気づけたのは、リリティシアが常人離れした動体視力を持っているからである。
ほとんどの者には夜闇を斬り裂いて飛んでくるそれに気づくことはない。
ただ、突然の爆発が起こったようにしか見えないだろう。
これは遠距離砲撃だ。
人間の輝術師にできる芸当ではない。
それにリリティシアはあの蝶に見覚えがあった。
魔王の娘。
ヒカリお嬢様。
そう、生きていたのね。
「ナメたマネしてくれるわ……!」
お嬢様は見つけ次第、拘束して、本城に連れてこいと命令を受けている。
しかし、こうもハッキリ楯突かれて見過ごすにはいかない。
きっちりとお仕置きをしてやらなくては。
リリティシアは知覚の糸を伸ばした。
黒い蝶が飛来してくる方角を探る。
そこに強大なエネルギーを発見。
待ってなさい。
今迎えに行ってあげるからね。
崩れかけた通路を蹴ってリリティシアは飛び立った。
その直後。
「おぶっ!?」
飛んできた黒い蝶が顔面にぶつかり爆発する。
並のビシャスワルト人なら致命傷になっている威力である。
将であるリリティシアならば傷つくことはないが、痛いことは痛い。
「この――」
苛立ちながら唾を吐き捨てた直後、リリティシアは見た。
自分めがけてさらに連続で襲いかかってくる黒い蝶の群れを。
「ちょっ……」
何度も何度も起こる爆発。
リリティシアは足を止めて防御の態勢を取った。
ダメージはほとんどないが、彼女の怒りはすでに頂点に達している。
「ふっ……ざけんじゃねえよクソガキがァ!」
今のは明らかにリリティシアを狙った集中攻撃だった。
あのクソお嬢様、こっちの動きを正確に把握して撃ってやがる。
「飛べる者はアタシに着いて来い! お嬢様狩りに行くよ!」
夜将は城中に行き渡るほどの大声で叫ぶ。
その声に応え、妖魔系や鳥人系の兵が集まった。
弾よけくらいには使えるだろう……
そう思ってリリティシアが集めた兵たちは、
「ぐぎゃあーっ!」
虚空から放たれた白い光に撃ち貫かれ、次々と地上に落ちていく。
「なっ……」
突如として現れた一〇〇を超える無数の白い蝶。
それが自ら超高熱の光となって、飛んでいる兵たちに襲いかかる。
呆気にとられる間もなく、さらに向かってきた黒い蝶が、またも夜将に襲いかかる。
絶え間ない爆発がリリティシアの動きを阻害する。
「クソが……!」
爆炎の中、リリティシアは見た。
白い蝶を生み出している、その中心。
圧倒的なエネルギーを秘めた桃色に輝く蝶を。
「オマエかあーっ!」
体を無数の蝙蝠に変化。
爆風から逃れつつ桃色蝶に接近。
すれ違いざまに必殺の爪でそれを斬り裂いた。
桃色の蝶を潰すと、白い蝶の発生がピタリと止んだ。
だが、すでに飛行能力のある兵は根こそぎ撃ち落とされている。
なおも飛来する黒い蝶は爆発による被害を拡大させ、彼女の居城を破壊していく。
リリティシアは怒りの形相で砲撃の来る方向を睨み付ける。
さらにいくつかの黒蝶が体に当たるが、もはや彼女は瞬きすらしない。
「ちょっと力を手に入れたくらいで、いい気になるなよ、クソガキが……!」
夜将リリティシアは砲撃をその身で受けながら、倒すべき敵の居る方角へと一直線に飛び立った。
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