577 ▽桃色の歌姫
奇襲は不可能になった。
どうする、イチかバチかで突っ込むか?
あるいは防御力に自信を持つ獣将のこと、あえて受けようとするだろうか?
いや、ダメだ。
この一撃には皆の命が掛かっている。
やぶれかぶれの特攻にすべてを賭けることはできない。
獣将はこちらに気付きながらも、ベラとゾンネの相手を続けている。
たとえいま乱入しても、間違いなく避けられてしまうだろう。
チャンスを待つ。
やがて、その時は訪れた。
「
「
二人が左右からそれぞれ輝術を放つ。
獣将の足下が凍り付き、
拘束できる時間は五秒にも満たないだろうが、それだけあれば十分だ。
「今だ、やれ!」
ゾンネの合図を待たず、ジュストはすでに駆けていた。
「うおおおおおっ!」
一三〇倍にまで膨れあがった輝力。
白い闇を纏った聖剣を手に、獣将へと向かって飛ぶ。
ところが。
ジュストは獣将がニヤリと口元を歪めるのを見た。
「フゥゥゥ――ガアッ!」
大きく息を吸い込んだかと思うと、獣将は開いた口腔から、オレンジ色の火炎を吐き出した。
軌道を逸らすことも、足を止める間もない。
火炎は急速に膨れあがり、ジュストの体を包んだ。
「うわああああっ!」
ただの炎ではない。
まとわりつくような巨大な火柱だ。
視界は完全に覆われ、輝粒子の上からも強烈な熱が伝わる。
ジュストは地面を転がりながらも聖剣だけは必死に離さなかった。
もし
「ウラァ!」
獣将が身体を捻り大きく腕を振る。
足下の氷縛と周囲の光の花片は一瞬にしてかき消えた。
「ラァ!」
「ぐわあああっ!」
そのまま巨体からは想像もできない俊敏さでゾンネに体当たりする。
油断はしていなかっただろうが、ゾンネは攻撃を避けられなかった。
紫髪の輝士は輝粒子をかき消され、地面に転がった。
右手は奇妙な方向にねじ曲がっている。
「くっ……!」
残ったベラは距離をとって魔剣を構える。
ジュストの身体を蝕んでいた炎はようやく消えた。
だが、すでに彼の体を覆う輝粒子は完全に消失している。
両腕は酷い火傷を負い、もはや剣を振ることもできそうにない。
「くくく……なあ、お前ら。俺様のことを馬鹿だと思ってたろ?」
獣将は声をかみ殺したような笑い声を漏らし言う。
「『まさかこんな奥の手を隠していたなんて! とっておきの技さえ使えば絶対に勝てるはずだったのに!』……そういうツラしてんぜ。俺様はな、弱えくせに策を巡らせりゃ勝てると思ってる、お前らみたいな小賢しいザコどもを圧倒的な力で叩き潰すのが何よりも大好きなんだよ! アハハハハ!」
二人の連携に振り回されていたのも、
「く……」
もはやジュストは敵を睨むことしかできない。
その姿を遠くから眺めながら獣将は笑う。
「俺様の将としての序列は第二位だ。第四位であるエビルロードの爺さんと同程度に考えるんじゃねえよ。てめえら人類戦士なんざ、本気を出しゃ一瞬でミンチにできるんだぜ。いい加減に自分たちの弱さを理解したか?」
「エヴィルごときが、調子に乗るな!」
「あぁ!?」
ベラが悪態をついた次の瞬間、獣将の蹴りが彼女の体を吹き飛ばした。
「がぁッ!?」
「ベレッツァさん!」
避ける暇も、防ぐ余裕もない。
ベラは近くの民家へ蹴り飛ばされた。
「弱えくせに粋がってんじゃねえよ。馬鹿かテメエは」
いくら待ってもベラは姿を現さない。
ゾンネのダメージを見るに、おそらく彼女も無事ではないだろう。
獣将という化け物の前では、まるで子供扱いだ。
「さあて、と……」
獣将はジュストの方に向かって歩いてくる。
「とんだ期待外れだぜ。以前にあっちで戦った術使い程度の相手はいるかと思えば、吹けば飛ぶような小者ばかり。ああ、くだらねえ! せめてこの街を跡形もなく破壊し尽くしてストレス解消すといくか!」
獣将はすでにジュストを見ていない。
やつの目に映るのは
そして、そこに住む七万人以上の民衆の命だ。
止めなければ。
すべてが失われる。
「くっ……」
ジュストは必死に腕を上げる。
まだ白い闇を纏ったままの聖剣を構えようとする。
火傷で赤黒く変色した腕には、もうほとんど力も入らないけれど。
すでに
可能性は万に一つもないとしても、こいつを倒さなければ多くの命が失われる。
ジュストは死を覚悟して獣将と向き合った。
その時だった。
どこからか、歌声が聞こえてきた。
「あん?」
天使の声を思わせる、優しいソプラノの高音。
耳を擽るその美しい声に、ジュストは痛みを忘れて、呆然と空を眺めた。
いや、違う。
さっきまで激しかった痛みが、確かに引いている。
それどころか、今にも崩れそうだったグズグズの両腕も、元の色に戻っていく。
身体の奥から力が漲ってくる。
逆に獣将は耳を押さえて顔を歪めていた。
「なんだ……!? くそ、耳障りな声を出してやがるのは、どこのどいつだァ!?」
獣将は顔を上げた。
ジュストの真後ろにある建物の屋根をキッと睨み付ける。
彼も振り返って視線の先を見れば、そこには
「シルクさん!?」
「今です、ジュストさん! 攻撃を!」
もしかして、この歌は彼女の輝術なのか?
歌声を聞いただけのジュストの怪我を一瞬で治し、敵にも苦痛を与えるなんて。
こんな術は聞いたことがない。
だが、彼女が作ってくれたチャンス。
絶対に無駄にするわけにはいかなかった。
「うおおおおっ!」
ジュストは再び
「ウゼェッ!」
先ほどと同じく、獣将は開いた口腔から炎を吐き出そうとする。
しかし、来るとわかっているなら簡単に避けられる。
ジュストは地面を蹴って大きく左に避けた。
「二度も同じ手が通用するか!」
「んじゃ、コイツはどうよ!?」
獣将の腕が膨れあがる。
四つ足で地面を這い突っ込んでくる。
今までにない、凄まじいスピードの突進だ。
そこに割って入る二人の輝士。
「させるか、化け物!」
「フン……!」
ジュストと同じくシルクの歌で傷の癒えたベラとゾンネ。
閃熱の花片を纏った魔剣を地面に叩きつけ視界を奪う。
大地についた両手足を凍り付かせ動きを鈍らせる。
「ちっ、しまった……!」
二人はそれぞれの最強技を、ジュストのために最も効率良く時間稼ぎできるよう放った。
「今だ!」
「やれ!」
「はいっ!」
ジュストは白い闇を纏った剣を振り抜いた。
獣将は即座に起き上がって頭を庇おうとする。
「ぐおおおおおおおおおおっ!?」
獣将の絶叫が轟く。
多少の威力減はあったが、およそ一一〇倍の威力で放った
その攻撃は防御を試みた獣将の右腕を切り落とし、胴体にも大きな斬傷を与えた。
ジュストたちは距離をとって獣将を囲む。
倒すには至らなかったが、確実にダメージは与えた。
戦闘はまだ続く。
敵の次の攻撃を警戒する。
ジュストは聖剣に次の白い闇を纏わせる。
「フゥ……フゥゥウ……」
しかし、獣将は戦闘行動を続けなかった。
怒りの形相で斬り落とされた腕を拾い上げると、恐るべき跳躍で街壁の上へ退避する。
「よくも、よくもやりやがったなァ! 下等なヒトどもがァ!」
見上げるほどの高さから、獣将はジュストを睨み付け吠える。
「特に、テメエのツラは忘れねえぞ……白い闇の人類戦士ィ!」
獣将はそれだけ言い捨てるとと、くるりと背中を向けて街の外へ逃げていった。
それと同時に街壁の向こうから輝士の声が聞こえてきた。
「ま、魔王軍が……撤退を始めました!」
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