435 ▽操り人形

「はあい、ジルう」


 顔の前で二本指を立て、彼女らしくない軽快な挨拶をしながら、ターニャは地上に降りてくる。


 やはり見間違いではなかった。

 彼女は空を飛んでここまでやって来たのだ。


「それにナータにい、セラァとばかちびまでいるじゃなあい」

「ばかちびって言うな! どいつもこいつも失礼だ!」

「君はターニャか。随分と雰囲気が変わったな」


 薄く化粧をした大人びた容姿。

 トレードマークの三つ編みを切り落としたミディアムヘア。

 それはセラァたちの知るターニャのイメージとは全く異なるものだ。

 外見だけでなく、喋り方や、空から現れるという非常識な行動も含めて。


「ちょうどいいわあ。まとめて始末してあげましょうかねえ」


 娼婦のごとき妖艶な表情で微笑むターニャ。

 ジルは吐き気を催すような嫌悪感に苛まれる。


「ふん、そっちから来てくれるなんてね。今度こそぶっ潰してあげるわ」


 うなだれていたナータも、輝動二輪を降りて光の棒を構えた。

 が、強気な台詞とは裏腹に、彼女の足下はふらついていた。


「待てナータ。ここはアタシが――」

「そうねえ、あんたのそれはちょっと厄介だからあ」


 ジルが制止しようとした直後、ナータが突然うつぶせに倒れた。

 いや、倒された。


「なっ……」

「触れるのも危険そうだしい、おいたな腕を使い物にならなくしてあげるう!」


 ボキリ。


「いっ、ぎゃあああああっ!」

「あはっ、あははははっ!」


 鈍い音。

 ナータが絶叫をあげて地面を転げ回る。

 ターニャはその様子を見下ろしながら、おかしそうに笑っていた。


「な……ん……?」


 何が起こったのか、すぐには理解できなかった。

 離れた位置にいたターニャが一瞬にしてナータの前まで移動した。

 彼女の腕を掴んで強引に地面に引きずり倒し、躊躇することなく右腕を折ったのだ。


 ターニャの周囲に舞う、淡く輝く粒子。

 それは輝攻戦士の証であった。


「ああ、気持ちいいわあ! ムカつくやつを腕力ねじ伏せるのって、こんなに気持ちいいのねえ!」

「ターニャ、おまえっ!」

「なあにいジルう!? ああ、私と話がしたいって言ってたっけえ! いいわよお、いくらでも聞いてあげるう! お前と話すのもこれが最後になるだろうしねえ!」

「このっ……!」


 頭に血が上る。

 グローブを嵌めた右拳を握り締める。

 そんなジルを止めたのは、セラァの呟き声だった。


「……まずいぞ、ジル。周りを見てくれ」


 ジルは彼女の視線を追った。

 いつの間にか、神殿の周りが大勢に取り囲まれている。

 それは先ほどまで、防壁の内側で外敵から神殿を守っていた市民たちだ。


 いつの間に侵入されたのか、彼らが戦っていたテロリストの少年たちもいる。

 彼らは争う事もなく、生気のない顔を晒しながら、何をするでもなくただ突っ立っていた。


「な、なんだ、どうなってんだ?」

「うふふう。驚いたかしらあ?」


 ターニャが右手を掲げて空を指差す。

 周囲の市民や少年たちも同じように右手を挙げた。

 まるで、すべての指先が空に繋がっているように、一糸乱れぬ動作で。


「この人たちはねえ、私の人形にしちゃったあ!」


 大声で告げるターニャの表情は狂気に染まっていた。


「ああもう、すっごい素敵な能力よねえ! こんな手っ取り早い力があるなら、道場なんて開かずに最初から与えてくれればよかったのにい!」

「与えて……?」


 輝攻戦士の力。

 そして、この集団催眠術。

 さっきまでのターニャは、そんなもの持っていなかったはずだ。


「あらあ、口が滑っちゃったあ。ま、いっかあ。どうせお前らはここで皆殺しにするんですものねえ! と、いうわけでえ――」


 彼女の目がギラリと光る。

 ジルはとっさに拳を構えた。

 その直後、ターニャの姿が消える。


「ぐっ!?」


 突然の痛み。

 ジルは後ろから髪を掴まれていた。


「あははっ、遅い遅いいいっ!」


 一瞬にして背後に回られた。

 彼女はジルの頭を引っ張って仰け反らせ上から覗き込んでくる。


 見開かれた瞳。

 頬が裂けたように笑う口。

 間近で見たその顔は、よく見知った親友のものとはとても思えなかった。


「ねっ、ジルう! わかるかなあ! 私がね、もうちょっと力を込めればあ、ジルは死んじゃうんだよお! ずーっと仲良くしてきたのにい、こんなに簡単に殺せちゃうんだよお!」

「くっ……」

「ねえねえ! 良いかなあ!? 殺しちゃうけど、いいかなあ!?」


 ジルの髪を掴むターニャの手は彫像のように堅い。

 いくら振り解こうとしてもビクともしない。


 速さも力もまるで敵わない。

 フォルテと戦った時にも感じた無力感。

 グローブ一つじゃ覆せない、圧倒的なパワーの差。

 これが輝攻戦士の力なのか。


「ああ、でもでも! やっぱりジルは最後までとっておきたいわあ! なにせ親友ですものねえ! ほら、放してあげるからあ、抵抗してもいいわよお!?」


 髪を掴んでいた手が離される。

 直後に背中を思いっきり蹴飛ばされた。

 抵抗すらできず、ジルは顔面を地面に打ちつけた。


「あはっ、弱い弱いい!」

「ター、ニャ……」


 立ち上がろうにも、頭がクラクラして動けない。

 体を起こすこともできない。


「それじゃあ、まずは誰を殺そうかしらあ! セラァ? ばかちび? それとも、先にナータに止めを刺しちゃおうかなあ!?」

「う、ああ……」

「やめろっ! たーにゃんもうやめろっ!」


 ナータは倒れたまま右腕を押さえうめき声を上げている。

 ミチィはしゃがみ込んで耳を塞ぎ、小動物のように震えている。

 そんな中、セラァだけが毅然と両足で立ち、ターニャの目を見返していた。


「あらあ、どうしたのセラァ?」

「……君は」

「もしかして命乞いかしらあ? うふふう、そうねえ、考えてあげないこともないわよお! あなたは私と近いものねえ! おんなじ可哀想な家に生まれた同士、仲間になることを許可してあげてもいいわよお! もちろん、私の下についてもらうけどねえ!」


 ギリッ、と歯ぎしりをする音が聞こえた。

 セラァは顔を歪め、ターニャに向かって言い放った。


「君は、哀れだな」

「……あ?」


 その一言で強烈なテンションは鳴りを潜める。

 ターニャは急に低くした声で問い返した。


「ねえ、あんた今なんて言った」

「哀れだと言ったのだ。深い怨念に蝕まれ、世界を恨み、本当に大切なものすら見えなくなった君のことをね。あまつさえ身の丈に余る力に振り回され、自らの手で壊そうと――」

「黙れっ!」


 ターニャの手から炎が迸る。

 業火がセラァの真横を通り過ぎていく。

 ほんの少しズレていれば焼き殺されていただろう。

 しかし、セラァは微動だにせず、ターニャを睨み据えていた。


「何で私があんたなんかに同情されなきゃいけないのかしらあ? っていうか、あんたの方がよっぽど悲惨な人生を送ってるじゃなあい。私、知ってるのよお。あんたが義理の父親から、どんなひっどい仕打ちを受けながら生きてきたのかってことをねえ!」

「え……?」


 それはジルの知らない話であった。

 いつも飄々と生きているように見えるセラァ。

 彼女が家庭の事情を抱えているなんて聞いたこともない。

 あの無表情の下で、何を考えているかなんて、考えたこともなかった。


「確かに、僕たちはお互い良き親には恵まれなかったようだね」


 セラァはいつもと変わらない、口元だけの笑みを浮かべて、


「でも、僕は友達にまで恨みを向けるつもりはないよ」


 決然と言い切った。


「なんですって……?」

「僕が僕でいられるのは、ミチィやジル、そしてバスケ部のチームメイトたちのおかげだった。たとえ家でどれほど理不尽な仕打ちを受けようが、その怒りを周囲に振りまいて友を傷つけてやろうだなんて、そんなことは一度だって思ったことはないよ」

「う、うるさいっ!」


 ターニャの姿が消えた。

 次の瞬間、彼女はセラァの頬を殴りつけていた。


「ぐはっ!」

「うるさいのよお、あんたはあ……!」


 セラァは数メートルほど吹き飛ばされ、ミチィのすぐ側に転がった。


「ひっ!」


 うつぶせに倒れたまま動かなくなった友人を見て、ミチィは悲痛な声を上げる。


「どいつもこいつも、本っ当にムカつくわあ……」

「あっ、やっ、やめ、やめやめ」


 倒れるセラァに近づくターニャ。

 その前にミチィが立ち塞がる。

 彼女は涙目で両手を拡げた。


「なあに、ばかちびい? 先に殺して欲しいのお?」

「だめ、だめだめっ」


 恐怖に震えながらも、必死に友達を守ろうとするミチィ。

 それを見るターニャの顔に邪悪な笑みが浮かぶ。


「うふっ、良い顔ねえ。あのばかちびがこんな風に怯えるなんて……もっとあなたが絶望に沈む顔を見てみたいわあ!」


 倒れていたセラァがゆっくりと立ち上がる。


「あ、せら……」


 ミチィは一瞬だけ表情を和らげるが、


「たとえば、友達に殺してもらうっていうのはどお!?」


 ターニャが声を張り上げると、それを合図にしたように、セラァはミチィの首に手をかけた。


「ひっ!? せ、せら……なんで!」

「無駄よお! そいつはもう私の操り人形なんだからねえ!」

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