415 ▽飴玉と筒

「ははは。恥ずかしがることはないさ。愛の形は一つじゃないし、人間なら抑えられない変態的欲求のひとつやふたつあっても当然だ。私はそんな細かいことは気にしないよ」

「はなして! もうルーちゃんに会わせる顔がないの!」


 割れたティーカップの破片で喉を刺して自害を図るナータ。

 それを後ろから抑えつけて阻止しようとするアルディの顔に肘がガシガシ当たるが、彼は顔色一つ変えなかった。


「それに、君はそれだけうちの娘を好いていてくれているんだろう?」

「うっ……」


 思わず手の力が緩んだ。

 その隙に破片を奪い取られる。


「早くに母親を亡くしたあの子が元気に育ってくれたのは、君やベラのような友人がいてくれたおかげだと思っている。私も仕事が忙しく、なかなか家にいてやれることができない。君さえよければ、これからもずっとあの子の友だちでいてやって欲しいと思うのだが、いかがだろうか?」

「えっと…………はい」


 なんてバカなことを考えていたんだろう。

 死んだらもうルーちゃんに会えないじゃないか。


「いや、しかし、すまん。君に羞恥を与えるつもりはなかったのだが。そうか、まだ二人はそういう関係にはなっていないのか……」

「だから、そういう関係もなにも、私とルーちゃんはただの友達ですからっ」

「そうだね、あまり大っぴらに話したいことでもないだろう。失礼。年を取ると、どうもその辺の機微が察せなくなってしまう。若いころは私もけっこう遊んでいたのだがね」


 もう何を言っても通じそうにない。

 というか、仮に「そういう関係」だとしてもだ。

 あんなことをしていたのを知られたら死にたくなるに決まっているだろう。


 とりあえず、これからも頑張って生きよう。

 今日のことは必死に忘れることにする。


「さて後片付けをしないと」

「あっ、すいません。あたしがやります」

「いやいや、半分は私のせいだから。それより……」


 アルディは懐に手を入れ、透明な袋を取り出した。

 中には白いアメのようなものがいっぱい詰まっている。


「なんですか、これ?」

「もし君があの子……ルーチェと深く触れあったのなら」

「だから、してませんってば!」

「そういう意味ではない。ただ、念のためだ。あの子と長く一緒にいたのなら、この薬を飲んでおいた方がいいだろう」


 薬……?


「……ルーちゃん、なにかの病気なんですか?」

「うん、まあその一種というか。あの子本人は問題ないんだがね」


 妙に歯切れが悪い物言いだ。

 あの元気なルーちゃんが病を患っているなんて、そんな話は聞いたことがない。


「もし、奇妙な自覚症状が現れたら、すぐに服用してくれ。副作用はないから安心してくれていい」

「はぁ……」


 なんだか心配事ばっかりだ。

 まあ、親が平気だと言うなら大丈夫だろう。


「えっと……じゃあ、そろそろおいとまします」

「私も仕事に戻るとしよう。よかったら途中まで送って行くよ」

「いえ、一人で帰るのでいいです」


 これ以上、この人に付き合っていたら身が持たない。

 ナータは荷物をまとめ、そそくさと家を出て行こうとした。

 するとアルディ氏は急にまじめな声色になり、ナータを呼び止める。


「言い忘れていたが、しばらく家には来ない方がいいだろう」

「はぁ、そうします」


 言われなくてもそのつもりだ。

 家主にバレてなお不法侵入を繰り返すほど神経は太くない。

 それに、これ以上恥ずかしい思いをさせられるのもごめんだ。


 視線を合わせずに出ていこうとする。

 と、スッと後ろから何かを差し出された。

 ナータはゾッするようなと悪寒を感じて振り返る。

 いつの間にか、アルディ氏がナータのすぐ背後に立っていた。


「これを持って行きなさい」


 一瞬前まで、間違いなく彼は向いの椅子に座っていた。

 目を離したのはほんのわずかな時間だけ。

 一体いつの間に後ろを取られた?


 ナータは剣闘部のエースである。

 中等学校時代はそれなりにケンカも慣らした。

 戦闘勘はあるつもりだが、まったく背後に立たれた気配を感じられなかった。


 差し出されたのは平べったい円筒形の筒。

 控え目な装飾が施されたそれは、ちょうど剣の柄のように見える。


「これは?」


 ナータは手にした筒を見る。

 ボタンのようなものが二つ付いていた。


「護身具だよ。危険を感じたら迷わず使いなさい」

「危険って一体何から――」


 再び顔を上げて、ナータはまたしてもぎょっとした。


 アルディ氏は先ほどと同じ位置……

 ナータの座っていた席の向かい、椅子に腰かけたままである。


「あのっ、いま、目の前にっ」

「ん? どうしたかね」


 彼は何事もなかったかのように紅茶を啜っている。

 心霊現象? 幻覚?


 いや、手の中の筒の感触は本物だ。

 これは深く追求しない方がいい気がする。

 ナータは一礼して、さっさと逃げ出すことにした。


「おっ、おじゃましましたっ!」

「気をつけて。また世界が平和になったらおいで」


 もう二度と来るもんか。

 ナータは彼が最後に発した不穏な言葉には気を止めなかった。




   ※


 もらった謎の筒を手の中でくるくると回しながら、ナータは帰路についていた。


 それにしても、とんでもないことになった。

 まさか、ずっと監視されていたとは……

 浅はかな行動を死ぬほど後悔する。


 ここ数日間の努力は完全に徒労に終わった。


 散々な結果になって、どっと疲れが押し寄せてくる。

 得た物といえば、得体の知れない薬と、この筒だけ。


 しかし、これはなんなんだ?

 護身具とか言っていたが、武器のようには見えない。

 スイッチらしきレバーをスライドさせても、特に何も起こらなかった。

 もらったモノをすぐ捨てるわけにもいかないので、とりあえず持って帰るしかないだろう。


 と、前方に見知った顔を発見する。

 制服姿のジルだった。


 部活が終わるにはまだ早い。

 こんな時間に一人で歩いているとは珍しい。

 肩を落としているように見えるが、試合にでも負けたのだろうか?


「よっ、今帰り?」


 何でも良いから誰かと会話して気分を紛らわせたかった。

 ナータはジルに追いつくと、ちょっと強めに背中を叩いた。


 普段なら「普通に話しかけろ!」などの怒声が飛んでくるところである。

 しかしジルは怒ることもなく、ぎこちない動作で首をゆっくりこちらに向けた。


「ああ、ナータか……」

「な、なによ、ずいぶん調子悪そうじゃない。試合でヘマでもしたの?」


 からかい半分の口調で尋ねるナータ。

 すると、なんとジルの瞳から涙がぽろぽろと零れた。


「うう、うううっ」

「ちょ、ちょっと、どしたのよ本当に! 負けたのがそんなに悔しいの!?」


 これはさすがにただ事ではない。

 あのジルが泣いているのだ。


 ジルは凶悪犯罪者にも平気で立ち向かっていくような女である。

 男勝りの一言では片付けられない一流の格闘家なのだ。

 彼女の涙を見るのはもちろん初めてのことである。


「ちがうんだよっ、部活は休んだんだけどっ、ターニャが今日も来てなかったから、家に行ったんだけどっ、会えなくてっ」

「とりあえず落ち着きなさい。ね? あたしでよければ話を聞くから」

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