410 ▽絶交宣言
ジルは眠りから目を覚ますと、寝ぼけ半分で手を伸ばす。
しかし、求めていたぬくもりは得られなかった。
「んあー……よっと」
仕方なく、覚悟を決めて起き上がる。
布団の半分がめくれ上がっていた。
下着を穿いて部屋を出てダイニングへ。
そこではフォルツァが食事をとっていた。
「おはよ、お兄ちゃん」
「ああ……って、お前その格好はなんだ」
ジルはわざと見せつけるように両腕を開く。
「ん、別にいいじゃん。母さんたちまだ帰ってこないんだし」
「年頃なんだから、恥じらいというものがあるだろう」
「照れてるの?」
「そういう問題じゃない」
ジルは兄が食べているモノに目をとめる。
彼はバターを塗っただけのパンを囓っていた。
「これから仕事なんだし、もっと栄養のつくもの食べなきゃダメだよ。何か作ってあげる」
「魅力的な提案だが、時間がないんだ」
すでに外は薄暗い。
時計を見ると、午後八時になっていた。
夜勤は九時からと言っていたから、すぐに出ないと間に合わない。
どうやらゆっくりしすぎたようだ。
フォルツァはパンを飲み込むように食べ終えると、テーブルの上の輝動二輪のキーを掴んだ。
すでに仕事着である支給品のチェーンメイルを着こんでいる。
「気をつけてね」
「ああ。友達と仲良くな」
すれ違いざまに頭を撫でられる。
ジルは照れながらうなずいた。
※
翌日。
ジルは少しだけ早めに登校した。
朝の時間を狙い、ターニャと少し話をしてみるつもりである。
しかし、彼女はまだ学校にいなかった。
一時限目が始まっても、まだ来ない。
ようやくターニャが登校してきたのは、四時間目の途中だった。
遅刻の理由が気になったが、授業中に聞くわけにもいかないので、休み時間になるまで待つ。
昼休みがやってきた。
「あのさ、ちょっと話が」
「悪いんだけど後にしてもらえる?」
チャイムがなると同時に席を立って話しかけた。
だがターニャはそっけない態度で目も合わせてくれない。
何をするのかと思えば、彼女はバレー部のアルマに話しかけていた。
「おはよう」
「あ、ターニャさん。昨日のことで聞きたいことがあるんですけど」
ジルだけではなく、教室中が騒然とした。
先日の事件を知っている者は全員だ。
あのアルマとターニャに親しげに……
それも、アルマの方が敬語で接しているのだ。
ターニャもそれを当然のように受け入れて話している。
二人の周りにバレー部員が集まる。
他のクラスからもぞろぞろとやってきた。
彼女たちはそのまま、教室の外に行ってしまった。
「どうしたんだろう、あんなに仲良さそうに……」
「さあ? 先日の一件の後、友情を深めあったのでは……」
好き勝手に想像を脹らます周りの女生徒たち。
そんな中、ジルは呆然と去って行くバレー部員たちの後姿を見ていた。
噂話にざわつく教室。
ナータだけが、一人静かに鍵開けの本を読んでいた。
※
放課後のチャイムが鳴った。
「ターニャ!」
ジルは即座に席を立ち、帰り支度をしていたターニャを呼び止める。
ターニャは鬱陶しそうな顔で、ジルを強く睨み付けてきた。
「なに? 急いでるんだけど」
なりふり構っていられないと思っての行動だったのは認める。
だが、そんな目で見られるとは予想もしていなかった。
ジルは思わず言葉に詰まってしまう。
「あの、その……」
そのまま何も言えずにいると、ターニャは無言で立ち去ろうとしたので、ジルはとっさに彼女の腕を掴んでしまった。
「待って――」
「放して!」
その手を強引に振り解かれる。
予想外の彼女の力にジルは驚いた。
が、それ以上に、はっきり拒絶されたことがショックだった。
「なんなの? 急いでるって言ってるじゃない。用もないのに呼び止めないでよ!」
「あ、あの……」
頭の中が真っ白になる。
聞こうとしていたセリフはすべて霧消してしまった。
それでも、何かを言わなきゃと思い、思いつくままに質問をする。
「最近、なにかやってるの?」
ターニャは答えない。
無機質な瞳でジルを睨む。
「ほ、ほら。急にサッカーとか上手くなったじゃん。なにか習い事でも始めたのかなって。アルマたちとも、最近仲がいいみたいだし」
しどろもどろで言葉を紡ぐジル。
「ジルには関係ないでしょ」
「なっ!」
そんな彼女に返ってきたのは、突き放すようなそっけない一言だった。
思わずカッとなって、ターニャの腕をもう一度掴んでしまう。
「関係ないってなんだよ! 友だちが何やってるか知りたいのが、そんなに悪いのか? なんで教えてくれないんだよ。そんなに話したくないっていうなら――」
「殴ってでも強引に聞きだす?」
侮蔑の表情と共に、ターニャは腕を掴むジルに手を重ねた。
そして、ジルが抑えつける以上の力で、強引に指を開かせる。
「そうだよね。ジルなら貧弱な私なんて、いざとなったら力尽くでいうこと聞かせられるって思ってるんだよね。いいよ、やってみなよ」
言葉とは裏腹に、ターニャの手に込められた力は、驚くほどに強い。
もちろんジルも本気で力を込めたわけではないが、ターニャが自分に向ける表情と言葉があまりにショックで、ろくに抵抗もできずに腕を捻りあげられてしまう。
「い、痛いよっ」
「……ふん」
ターニャはつまらなそうに手を離した。
背中を向けた彼女から、驚くほどに冷たい言葉が投げかけられる。
「もう私に構わないで」
「な、なんで……あたしは、ターニャが心配で」
普段からは考えられないくらいジルは弱気になっていた。
消え入りそうな声を出した瞬間、ターニャはものすごい勢いで振り向いた。
「心配? 心配ね。あははっ、さすがジルは優しいね。いつもそう。そうやって上から目線で偉そうにさ。楽しい? 弱い私を守ってあげるのは楽しい? ふざけないでよ。いつもいつも、そうやって見下ししちゃって。もう私はジルの助けなんか要らない。ひとりでなんでもできるんだから。もうあんたなんかに偉そうな顔をさせない……フォルテ君も、絶対に渡さないから」
ターニャは一気にまくしたてる。
彼女の顔は明らかに怒りの色で満ちていた。
「なん、で……」
わけがわからなかった。
どうして、ターニャは自分にこんな表情を向けるんだ。
見下してなんかいない。
偉そうにしているつもりもない。
ただ純粋に、ターニャのことが心配だったのに。
なんで怒ってるの?
フォルテってなんだよ。
あんなやつのことなんかどうでもいい。
その名前がここで出てくる理由もわからない。
ターニャの怒りは収まらない。
ジルは肩を掴まれ、壁際に押し付けられた。
「い、痛いってば」
ジルの抗議を無視し、ターニャはさらに辛辣な言葉を吐く。
「大っ嫌いよ、ジルなんか。ちょっと体力に自信があるってだけで、みんなからチヤホヤされちゃってさ。本当はただの偽善者なのに。昔のジルを知ったら、みんなどう思うだろうね?」
「え……」
頭の中が真っ白になった。
ターニャの吐く毒はそれだけ留まらない。
彼女は手加減なく、さらに言葉の刃を突き立ててくる。
「あんただけじゃないわ。何でもできるくせに気取らないナータも嫌い。何にもできないくせにバカみたく人生を楽しんでるルーチェも嫌い。あんたたちと一緒にいて、私がどれだけ惨めだったかわかる? わかんないわよねえ。あんたみたいな体力バカに、私の苦悩なんてさ!」
「やっ」
掴んだ肩を引っ張られ、ジルは床に引き倒される。
「どうして、こんなこと……」
床に這いつくばりながら、ジルは目の前にある彼女の上履きを眺め呟く。
「もう心配しないでいいわよ。私、しばらく学校には来ないから」
そう言い残し、ターニャは今度こそ教室から去って行った。
ジルは放心したまま起き上がることもできない。
教室に残っていた生徒たちのざわめきが、ひどく遠くに聞こえていた。
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