399 ▽変化を受け入れる勇気

 ボールは地面をゆっくりと転がり、やがて隅っこの溝にはまって停止した。

 その動きに自分の人生を重ねてしまい、ターニャはやり場のない怒りを感じた。


「どうせ……」

「ターニャさん?」


 思わず飛び上りそうになった。

 振り向くと、公園の入り口に、小型輝動二輪に跨ったフォルテがいた。

 時計を見てみるが、時刻はまだ八時にもなっていない。


「早いね。もう来てたんだ」


 砂をふるいにかけるような音を鳴らし、小型輝動二輪が近づいてくる。

 危ない危ない、余計な事をぼやかなくて良かった……


「フォルテ君、仕事はもう終わったの?」


 沈んだ気持ちを悟られないよう、ターニャは努めて平静を装った。

 ……うん、大丈夫。

 これくらいの演技は日常茶飯事だから。


「うん。今日は早く上がったから、そこのショップで時間つぶそうと思ってたんだけど、ターニャさんの姿が見えたから……ひょっとして、こんな早くから待っててくれたの?」

「あ、ううん。家に居てもすることないし、時間まで散歩でもしてようと思っただけ」

「そっかぁ。早めに来てよかったよ」


 思っていたより、一時間も早く会えた。

 さっきまでの暗い気持ちがスッと引いて行く。

 心がぽかぽかと温かくなる、この気持ちは演技じゃない。




   ※


「ハンドルはそのまま。体を倒して、曲がったらすぐに起こす……そう、そんな感じ!」


 フォルテの指導を受けながら、ターニャは公園内を輝動二輪でぐるぐると走り回っていた。

 最初は怖かったカーブも次第に慣れ、今ではほとんど減速せずに曲がれるようになった。


「うまいうまい。やっぱりターニャさんは上手だよ」

「フォルテ君の教え方が良いからだよ」

「そんなことないって。だって、一回も転んでないじゃん。これならすぐおれより上手くなるよ」


 お世辞だとわかっても、好きな人に褒めてもらうのは嬉しい。

 ターニャは調子に乗って、今まで以上に車体を傾けた。

 急角度のUターンにチャレンジ。

 が、


「わ、わわっ!」


 砂地の地面が滑り、あえなく転倒してしまう。


「ターニャさん!?」

「いたた……」


 半身砂まみれ。

 お気に入りの服の袖が破れてしまった。

 破れた服の隙間からは、軽い擦り傷になっているのが見える。


 しかしターニャは自分のことより、倒してしまった小型輝動二輪の方を心配した。


「ご、ごめんなさい! フォルテ君の輝動二輪、傷つけちゃった!」

「そんなのいいよ。それより、怪我はない?」


 ターニャは傷を隠して微笑む。


「私は大丈夫。怪我もないよ」

「それならよかった。けど、いきなり無茶だよ、あんなの」

「ごめんなさい……」


 調子に乗ってしまったことを反省。

 フォルテ君は優しいから、怒ったりしなかった。

 けど、高価な輝動二輪を倒したら、普通はもっと怒られてもおかしくない。


「どうする、もう止めておく?」


 フォルテが心配そうに尋ねる。

 ターニャは続けたいと思っていた。

 しかし、借りている輝動二輪を傷つけてしまったのだ。

 今日はもう、この辺りで止めておいた方がいいかもしれない。


 残念だけど今日はここまでにしましょう。

 そう言おうとした時、フォルテとは違う男の声が聞こえた。


「そうだな、止めておいた方がいい。免許も持っていないのに事故なんて起こされちゃ、いい加減に見て見ないフリをするのも難しいからな」


 ターニャとフォルテは同時に声の方を振り向いた。

 金髪の青年輝士、レガンテさんが苦い顔でこちらを見ている。


「そしたら貸した君も同罪になる。輝動二輪に乗りたいのなら、まずは役所へ免許を取りにいくことをお勧めするよ」

「え、あ」


 そうなのだ。

 小型とはいえ、輝動二輪は使い方を間違えれば走る凶器になる。

 安全のための講習とテストを受け、役所で免許を交付してもらわなければ、乗ってはいけないという決まりがあるのだ。


 公園の中とはいえ、無免許で乗っていれば法律に触れる。

 そしたら学校に連絡が行って、親にバレる可能性も十分にある。


「ご、ごめんなさい」

「あの、ターニャさんは悪くないんです。おれが無理やり乗らないかって勧めたから……」


 ターニャは素直に謝るしかない。

 フォルテは嘘をついてまで必死にかばってくれる。

 レガンテはしばし二人の顔を交互に見比べていたが、やがてフッと表情を和らげた。


「先日と同じで今日は非番の身だし、補導する気はないよ。それより傷の手当てをした方がいい。二人でうちに来なさい」


 フォルテが驚いてこちらをを見る。

 とっさに隠せず、破れた袖から傷が覗いてしまった。


「女の子の怪我も見抜けないようじゃ、まだまだ君は半人前だな」


 ターニャはいたたまれなくなった。

 もちろん、隠した自分が悪いのであって、フォルテは悪くない。

 このまま帰るのも気まずいので、二人はレガンテの家にお邪魔することにした。




   ※


 レガンテのアパートには昨日の彼女さんもいた。

 簡単な手当をしてもらい、破れた服を預けて、借りた長袖シャツに腕を通す。

 少し袖と裾が長いけど、胸元のサイズはちょうどよかった。


「その身長でその胸は反則よね」


 彼女の名前はレティさんと言うらしい。

 レティさんはいたずらっぽく笑いながら、頬を染めるターニャの頭を撫でた。


「可愛いわぁ。服は直しておくから、ゆっくりお茶でも飲んでてね」

「あ、いえ。悪いです」

「いいから」


 レティさんに勧められるまま、ターニャは隣の部屋に移動した。

 そこではフォルテとレガンテがお茶を飲みながら何か話をしていた。


「あ、ターニャさん。怪我は大丈夫?」

「うん。ちょっと擦りむいただけだから」


 ターニャは自然にフォルテの隣の席に座る。

 レガンテさんはカップに紅茶を注いで差し出してくれた。


「よかったらお菓子もどうぞ」

「ありがとうございます……フォルテ君、レガンテさんと何の話をしていたの?」


 お礼を言いつつ、ターニャはフォルテに尋ねた。

 彼がとても楽しそうな表情をしていたから気になったのだ。


「レガンテさんの若いころの話を聞いていたんだ」

「こらこら、今でも十分若いつもりなんだがね」

「あ、ごめんなさい。そういう意味じゃ……」

「冗談だよ」


 フォルテが焦ってフォローすると、レガンテさんはおかしそうに笑った。


「レガンテさん、いちど機械マキナ工場に就職してから、衛兵を経て輝士になったんだって」

「へぇ、ぜひ私も聞かせていただきたいです」

「女の子が聞いて楽しい話でもないかもしれないけどね」


 ターニャは姿勢を正し、レガンテの話に耳を傾けた。


 レガンテはファーゼブル王国北部の都市、フィリオ市の出身である。

 彼は特に体格に優れていたわけでも、輝士の家系に生まれたわけでもない。

 若い頃はむしろ、家で本ばかり読んで過ごしているような虚弱な少年だったらしい。


 中等学校を卒業した頃に両親が他界。

 彼は残された妹を養うため工場で働くことを選んだ。


 工場務めは実入りが良いものの、やりがいのある仕事では決してなかった。


「このまましがない町工員として人生を終えるんだ……あの日まではそう思っていたよ」


 ところが、彼は運命的な出会いを果たす。

 人生の師とも言うべき輝士との邂逅だ。


 レガンテは働きながら師の下で輝士修行を行った。

 生活費が足りない分は、なんと師から援助もしてもらった。

 師は「レガンテが持っている才覚を見込んでの先行投資」と言った。


 レガンテは、二十歳にして衛兵隊に転職を果たす。

 衛兵隊ではめきめきと頭角を現し、二年後には分隊長を務めるまでになった。


 そして、つい先日。

 彼は王都で正式な輝士に任じられた。

 数年前まで町工員だったとは思えない、大出世物語である。


「今の自分があるのは、師匠と出会った偶然と、支え続けてくれた妹の存在があったからさ」


 ターニャは彼の話に聞き入っていた。

 変化を受け入れる勇気があれば、人はいくらでも変われる。

 先日彼から聞いた言葉には、ものすごい実体験が伴っていたわけだ。


 綺麗事なんて思ったことを、今さらながら反省したい。


「レガンテさん、すごく頑張ったんですね」

「運が良かったのも事実だがね。師匠に出会わなければ、今も工場で働いていただろうし」


 フォルテはレガンテの生き方に憧れる同時に、強い希望も感じたのだろう。

 話を聞いている間、彼がずっと瞳を輝かせていたのをターニャは横眼で見ていた。


「その師匠さんは、現役の輝士なんですか?」

「いや、今はもう引退して落ち着いてるよ」

「フィリオ市で?」


 フォルテはレガンテの人生を変えたという輝士に興味心身の様子だ。

 もし自分もそんな人と出会えれば……と思っているのだろう。


「いや」


 レガンテは小さく前置きをしてから、予想外の事を言った。


「今も一緒にいるよ。ほら、すぐ隣の部屋に」

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