395 ▽本屋にて
「オーバーヘッドとか、馬鹿じゃないの」
ジルはグラウンドに倒れたまま、試合終了のホイッスルを聞いた。
呆れ顔で手を差し伸べるナータに起こされ立ち上がる。
「てて……いや、それしか思いつかなくって」
「まったく、信じられないやつよね」
お前に言われたくないとジルは思った。
まあ、馬鹿されているわけではないだろう。
少し遅れて、チームメイトたちが駆け寄ってくる。
「すごいわっ、感動したっ」
「ジルさんと同じチームでよかったよ」
「あんなすごいシュート、プロでも見たことないわ!」
仲間たちにもみくちゃにされ、ジルは嬉し恥ずかしな気持ちになった。
たかが体育の授業ではあるが、やっぱり試合で勝つのは嬉しい。
ふと、ジルはターニャが目の前にいることに気がついた。
……!?
瞬間、ぞくりとしたものが背中に走った。
「すごいね、さすがジルだよ」
だが、それも一瞬のこと。
そこに立っていたのは、いつも通りのターニャだった。
なんだろう、今の悪寒は。
……いや、きっと気のせいだ。
落ちたときに打った背中の痛みが勘違いさせただけ。
そうに違いない。
ターニャに悪意を向けられるなんて、絶対にありえないことだ。
「あ、ああ。ごめんな、本当はターニャにパスするべきだったんだろうけど」
「なに言ってるの。私がパスをもらったって何にもできないよ。むしろ、自分でどうにかしなさいって怒ってたかも。ほら、背中汚れてるよ」
ぱたぱたと体操服の背中を払ってくれる。
ターニャはやっぱいつも通りのターニャだった。
ジルは失礼な想像をしたことを心の中で謝っておいた。
※
放課後。
ジルはカバンに少しばかりの荷物を詰めながら、ターニャに話しかけた。
「今日ヒマ? カルト通りに寄ってかない?」
ターニャはちょうどカバンを肩にかけるところだった。
彼女はジルと違って毎日教科書を持って帰っている。
「私はいいけど、部活は?」
「今日は三年がテストだから休み。バレー部が試合で体育館を使うから、自主練もできない」
午後は基本的に部活にあけくれるジルにとって、貴重な休みの日だ。
昨日迷惑かけたお詫びも兼ねて、彼女にお茶でも奢ろうかと考えたのだ。
「カルト通りに行くの? あたしも行くわ。ちょうど欲しい本があったのよね」
ナータが話に入ってきた。
午後の授業は気が抜けたようだったが、単に眠かっただけのようだ。
「剣闘部も休みなのか?」
「違うけど、今日は自主休暇」
まあ、せっかく少しずつ元気を取り戻しているのだから、水を差すつもりはない。
※
「何の本を買うんだ?」
カルト通りに続く道すがら、ジルはナータに尋ねた。
南フィリア学園と下の街道を隔てる緑のトンネルはまだ青々しい。
九月にはなったが、夏は過ぎ去っていないぞと木々たちが主張しているようだ。
木漏れ日に照らされるナータの横顔。
彼女はにやりと笑みを浮かべながら答えた。
「鍵開けの本よ。やっぱり本気でやるからには、しっかり勉強しないとね」
ジルは思わず転びそうになった。
「それは、やっぱりルーチェの家の部屋の鍵を開けるため……」
「当然でしょ。他に何があるのよ」
やる気が出たとナータは言っていたが……
元通りではなく、変な方向に進んでいるらしい。
「まずは技術を身につけなきゃね。部活なんかしてる暇ないわ」
言うべき言葉が見つからない。
だが、塞ぎ込んでいるよりはマシだろう。
そう自分に言い聞かせ、話題を変えることにした。
前を歩くターニャには聞こえないよう、そっと耳打ちする。
「なあ、昨日の輝動二輪、どうなったかな」
西はずれの研究所、その近くの林に乗り捨ててきた輝動二輪。
人が近くを通りかかった程度じゃ発見されないはずだ。
役所に回収される可能性はある。
だが、ジルたちが盗んだ証拠はなにも残していない。
自宅までかなりの距離を歩くことになってでも、遠くに捨てた甲斐はあったと思いたい。
「元あった場所に手紙を置いておいたわ。ちょっと借りたんで、西の森に隠してありますって」
「なっ……」
「無断で借りたんだもの、それくらいは当然でしょ」
遅刻した理由はそのためだったのか。
「おまえ、その時に見つかってたらどうするつもりだったんだよ」
「そんなヘマしないわよ。だからってそのままにはしておけないでしょ。人の物を盗むなんて、最低の人間のやることだわ」
無断拝借と盗みの違いがジルには区別できなかった。
どうやらナータには自分なりの筋みたいなものがあるらしい。
悪人なんだか、善人なんだか。
「ひとつ聞きたいんだが」
ちょっとした不安が過ぎり、ジルは神妙な面持ちでナータを睨んだ。
「昨日、自分がやったこと、覚えているんだよな?」
「あたりまえでしょ?」
何を変なこと聞いているんだこいつ、と言わんばかりの顔でナータは答えた。
※
本屋に着くなり、ナータは技巧書の棚に釘付けになってしまった。
さすがに犯罪利用可能な鍵開け専門書などは置いていない。
いろいろ読み比べて、自分なりに研究するようだ。
ターニャは小説の新刊コーナーを眺めていた。
彼女は読むだけでなく、自分でも趣味で小説を書いている。
書いていることはえらく難しく、めったに本を読まないジルには理解できない内容だが。
ジルは別に買いたい本もない。
スポーツ雑誌でも立ち読みしようかと思った。
目当てのコーナーにやって来ると、見知った顔と出会った。
「よう、フィオ」
ジルが声をかける。
彼女は立ち読みしていた雑誌から顔をあげた。
オレンジ色の髪に、赤いリボンが特徴の、バスケ部の後輩である。
「ジル先輩、こんにちは」
フィオは本を棚に戻して丁寧にお辞儀する。
運動部らしくない、丁寧で落ち着いた物腰の少女である。
しかし試合になると途端に熱くなる彼女の人格をジルはよく知っていた。
今年、唯一の一年生レギュラーに選ばれただけあって、ジルも普段から彼女のことはよく気にかけている。
「お買い物ですか? ジル先輩が本屋なんて、意外ですね」
「あたしは特に買いたい本はないんだけどね。ターニャとそこのあいつが」
ジルは親指を立て、技巧書の棚にへばりついているナータの背中を差した。
「インヴェルナータ先輩ですか」
「そう」
ナータはいろんな意味で有名人である。
下級生の間でも、名はかなり知られているようだ。
しかし、フィオの表情はなぜか暗かった。
「インヴェルナータ先輩って、すごく頭がいいんですよね。お勉強忙しいんでしょうか」
「え? ああ、どうなんだろうな」
この間0点を取ったことは秘密にしておいてやろう。
しかし、なぜフィオがナータのことを気にするんだ?
「あのですね、私と同じクラスに剣闘部の子がいるんですけど」
フィオは遠慮がちに説明をはじめる。
「普段はクソ生意気なアマ……じゃなくて、すごく元気な子なんですけど、最近、ずっと塞ぎこんでるんですよ。なんでか理由を聞いてみたら、憧れのインヴェルナータ先輩がちっとも部活に出て来ないからって、彼女、すごく心配してるみたいでした」
「そ、そうか」
わずかに垣間見えた後輩の本性は見なかったことにして、ジルはナータの後ろ姿に視線を向けた。
おい、後輩が心配してるらしいぞ。
お前はいつまでもなにやってんだよ。
「あいつもなんだかんだ忙しいみたいだし、今度あたしから伝えておくよ」
「はい、ありがとうございます。よろしくお願いしますね」
ジルが言うと、フィオの表情がぱぁっと晴れた。
部活の外で後輩の喜ぶ顔を見られるのは嬉しいものだ。
「そのクラスメートの子と、すごく仲いいんだな」
何気なく言った言葉であった。
しかし、ジルがそれを口にした瞬間、フィオの表情が激変した。
「冗談じゃない。誰があんなクソアマと友達なもんですか」
親の仇を見るような逆三白眼の目で睨みつけられた。
ジルがぽかんとしていると、フィオは慌てて口元を押さえ、笑顔を取り繕う。
「……はい、一番の親友なんですよ」
「お、おう」
二オクターブくらい声のトーンが変わった。
ジルは買い物を終えたらしいターニャを発見。
後輩に別れを告げて、そそくさとその場を離れた。
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