389 ▽悪友

 ジルは全力で走った。

 路地裏の角を頻繁に曲がっている。

 追手と一定の距離をとり続けるためだ。


「いい加減に止まらんと、牢獄にぶちこむぞ!」


 相手は小型とはいえ輝動二輪。

 通りに出たらたちまち追いつかれてしまう。

 オトリを引き受けたからには、ナータたちを逃がすため、意地でも時間を稼がなければ。


 しかし、体力に自信があるとはいえ、酒の入った体で全力疾走すれば息も上がる。

 おとなしく捕まるつもりは毛頭ないが、いつまでも逃げ続けられるわけではない。


 時間は十分に稼いだ。

 そろそろ大丈夫だろう。


 次の角を曲がったところで、手近な建物の中に隠れる。

 最後にちらりと後ろを振り返り、追っ手との相対距離を測って、再び前を見た瞬間。


「うわわっ!」


 またしても、出会い頭に小型輝動二輪が突っ込んできた。

 今度は素早く身を引いたため、転倒はしなかった。

 だが、避けなければ完全に轢かれていた。


「あぶねーな……っておまえ、何で戻ってきてんだよ!?」

「ここでいいわ。降ろして」


 胸をなでおろす長髪の少年。

 そして、輝動二輪の後部座席から降りるナータ。

 ジルは必死に逃げ回った努力を水の泡にしてくれた二人を全力で殴りたかった。


「貴様らっ!」


 すでに衛兵の乗る小型輝動二輪はすぐ近くまで迫っている。

 ジルは肝を冷やしたが、ナータは動じた様子もない。


「てやっ」


 彼女は手近に転がっていた空き缶を拾い上げると、向かってくる小型輝動二輪の進路上に投げつけた。


「う、うわっ!」


 空き缶を踏みつけ、衛兵の乗る小型輝動二輪がバランスを崩す。

 体勢を立て直すため急減速したところを後ろから迫っていた別の衛兵に激突された。


 結果、二台の小型輝動二輪は、もつれ合って転倒。

 盛大なクラッシュ音が裏路地に響いた。


「なっ、なっ」


 ジルは言葉を失った。

 対するナータは涼しい顔で、ここまで運んでくれた長髪の少年に言う。


「あ、ご苦労さん。あんたはもう帰って良いわよ」


 自分がしたことなんて気にもとめてない様子である。


「で、でも」

「っていうか逃げなきゃヤバいでしょ。それとも、あたしたちの身代わりになってくれる?」

「わ、わわっ」


 ナータは少年に背を向け、路肩に駐車してある大型輝動二輪の前にしゃがみ込んだ。


 その声に底知れぬ恐怖を感じたのだろう。

 長髪の少年は自分の機体を反転させて一目散に逃げ出した。


 衛兵を事故らせておいて、なんとも思っていない女。

 こんなやつを目の前にして、誰が彼の逃亡を責められるだろう。


「おい、おまえは何をして――」


 ジルがナータに声をかけた瞬間。

 彼女の弄っていた輝動二輪が、砂をふるいにかけるような甲高い嘶き音を上げた。


「かかった」

「おまえ、まさか」

「逃げるわよ」


 すでにナータは輝動二輪に跨っている。

 それは衛兵が乗っているような小型とはまるで違う。


 大型輝動二輪、BP750ベルサリオンペサーレ

 王宮輝士団の正式採用こそ逃したものの、市民が購入できる中では最高級の機体である。


 当然、かなりの高級品である。

 機体には厳重にロックがしてあったはずだ。

 だがナータは、あっさりと鍵をはずしてしまった。


 しかも、エンジンを起動させた。

 わかりやすく言えば、無断拝借しようとしている。


「最悪だ! おまえは最悪だ! この犯罪者!」

「いいから、捕まりたくなかったらさっさと乗りなさい!」


 もちろんジルだって捕まりたくはない。

 衛兵はすぐに起き上がって追いかけてくるだろう。

 人通りも少ないので、どこかの建物に逃げ隠れるのも難しい。


 なにより、万が一にも捕まったら、牢獄入りは免れない。

 ならば今更、罪を一つ増やすのに何の問題があろうか。


 ジルが後部座席に跨る。

 ナータはアクセルを吹かした。

 甲高い爆音が、夜の路地に響き渡る。


「おまえ、こんなの乗りこなせるのか?」

「任せなさい」


 自信たっぷりに頷いて、ナータは機体を急発進させた。

 危うく振り落とされそうになったが、どうにかシートに捕まって耐えた。


「いやっほぅ!」


 ナータが叫ぶ。


「こいつ、完全にハイになってやがる……」


 酔っ払いに命を預ける不安は拭えない。

 だが言うだけあって、彼女は大型輝動二輪のパワーを完全に制御していた。


「ま、待てっ!」


 衛兵が小型輝動二輪を起こしながら、制止の声を上げた。

 その時にはすでに二人を乗せたBP750は通りに出ている。

 機体は圧倒的な馬力で、衛兵たちをはるか後方に置き去りにしていた。




   ※


 昼間のにぎわいには程遠いとはいえ、ルニーナ街は夜も人が絶えない。

 お城デパートや商店街は十時に閉まるが、裏通りの飲食店はまだ営業中だ。


 そんなルニーナ街のメインストリートを、ナータとジルを乗せたBP750は疾走していた。


「あんた、体重の移動うまいわね。運転しやすいわ」

「よく兄貴の後ろに乗ってるからな」


 さすがに感覚がマヒしてきた。

 ジルにもだんだんと余裕が出てきている。

 このままフィリア大通りに入れば、あとは家まで一直線だ。


 ターニャは無事に家に帰れただろうか?

 もし万が一のことがあったら……

 フォルテのやつは生かしておかない。


 ……などと考えていると、背筋が凍るような声が、後方から聞こえてきた。


『そこの輝動二輪、止まりなさい』


 恐る恐る後ろを振り返る。

 二人を追ってくるのは大型輝動二輪。


 RC900ロッソコリーニョ

 王宮御用達の輝士団正式採用車だ。


 名実ともに国内最強最速の機体。

 市販はされておらず、あるのは公用車のみ。

 つまり、乗っているのは紛れもない、本物の輝士である。


 さっき事故った衛兵が応援を呼んだのだろう。

 拡声機を通して聞こえる声は、明らかにジルたちに向けられていた。


 麻痺していた感覚が、血が通ったようなシビレとともに蘇ってくる。

 輝士が出動するほどの大事件になってしまった。

 しかも機体の性能はあっちの方が上。

 逃げられる望みは低い。


「ちっ、うっとおしーわね」


 しかし、ナータは慌てない。

 アクセルを捻り、機体をさらに加速させる。


「わわっ」


 後ろに引っ張られるような加速感。


『前のBP750、今すぐ危険行為を止めなさい!』


 輝士の声が強さを増す。

 ナータはアクセルを緩めない。


「ちょっと、激しくいくわよ」


 言うが早いか、ナータは急に機体を旋回させ、路地裏に入った。

 表通りとは違った薄暗い通りを、機械マキナの馬が全速力で駆ける。


 当然、輝士の乗った輝動二輪も追ってくる。

 路地に入ったくらいで諦めるような相手ではない。


「じょーとー」


 ナータは巧みなハンドル捌きで大型輝動二輪を操った。

 狭い路地を右に左に猛スピードで疾走していく。

 ジルはしがみつくだけで精いっぱいだ。


「きゃあっ!?」

「おっと」


 二回ほど、通行人にぶつかりそうになった。

 ジルはそのたびに心臓が止まりそうになったが、ナータの運転に迷いはない。


 後続の輝士は、危険回避のため、こまめに減速する。

 危険運転をするたびに、相手との距離は離れていった。


 機体性能の差に加え、二人分の体重というハンデがある。

 ……はずなのに、どういう腕をしてるんだこいつは。

 ともかく、今はナータの技量に助けられている。

 余計な突っ込みはしないでおこう。


 路地を抜けて、フィリア大通りに出た。

 そのままピャットファーレ川沿いに通りを南下する。


 路地裏から出てくる輝士の姿がミラーに映った。


『貴様らぁっ! いい加減にしろっ!』


 声は完全に怒号に変わっていた。

 とんでもない加速で距離を縮めてくる。

 やはり、直線では正式採用車には敵わない。


「ナータ、追いつかれるぞっ!」

「仕方ないわね。あそこに逃げ込むとしましょ」


 ナータは機体を左に旋回させた。

 川に架かる橋を渡る。

 再び路地に入り込む。


「いたっ」


 お尻にひびく衝撃が強くなった。

 路面が悪いのだ。


 左右の建物は古ぼけた色に変わる。

 やがて、道は道じゃなくなった。


「おまえ、まさか……」

「ここに輝士は入れないわよ」


 その通りには違いない。

 だが、正気の沙汰とは思えない。

 こんな時間に隔絶街に入り込むなんて。

 いろんな意味で、襲ってくれと言っているようなものだ。


「さて、この辺でいいかしら」


 ある程度奥に入り込んだ所で、ナータは機体を停止させた。


 輝士は追ってきていない。

 下手に隔絶街に入って住民を刺激すれば、別の問題に発展するからだ。


 だからといって、ジルたちにとっても安全な場所というわけではない。

 ナータは輝動二輪から降りると、街中と変わらない様子で奥へと進んでいく。


「お、おい」


 ジルは慌てて彼女の後を追った。

 足取りはしっかりしているが、彼女の行動は読めない。

 輝士をまくために隔絶街に入るって理屈はわかるが、なぜ奥へ向かうのか。


 街中と違って、輝光灯のひとつもない。

 周囲の雰囲気はとても薄気味悪かった。


 隔絶街に立ち寄るのは初ではない。

 だが、何度来ても気持ちの悪い場所だと思う。

 そういえば、あの時もナータと一緒だったな……


 前方から複数の男が姿を現した。

 ジルはとっさに身構える。


「慌てないで。手が早いと無用な争いを呼ぶわよ」


 どの口がそんなことを……

 ジルは内心で罵ったが、ナータは気にせず歩いてゆく。

 そして自分で言ったそばから、男たちに挑戦的な口調で話しかけた。


「ちょっと、あんたたち」


 ああ、輝士の次は隔絶街の住人か。

 酔っているとはいえ、次々と敵を作る女だ。

 ジルは諦めも似た感情を抱いたが、話しかけられた隔絶街の住人は、意外な反応を見せた。


「あ、インヴェの姐さんじゃねーっすか」

「どうしたんすか、こんな時間に」


 インヴェ?

 聞きなれない呼び方だ。

 どうやらナータのことを言っているらしい。


「ちょっと厄介事に巻き込まれてね。悪いんだけど、少し休ませてくんない?」

「どうぞどうぞ。良ければ簡易ベッドを用意させますけど」

「いらないわ。海側のベンチを借りるから、飲み物でも持ってきてちょうだい。アルコールの入ってないやつ、二人分ね」

「お、おい」


 住人たちに命令するナータ。

 まるでここボスのような振る舞いだ。


「いくわよ」

「いくわよって……どうなってんだよ、これ」

「前のボスをとっちめてから、妙に慕われちゃってね。時々顔を出してるのよ」


 ジルの質問に、ナータはさらりと答えた。




   ※


 ゴミ山の向こうに海が見える。

 二人は並んでベンチに座っていた。

 ナータはオレンジジュースを一気に飲み干す。

 そして、人が変わったようなしおらしい声でこう呟いた。


「……ありがとね」


 ジルは彼女に視線を向ける。

 ナータの顔にはうっすらと笑みが浮かんでいた。


「それから、ごめん。おかげでけっこう元気でた」

「そりゃよかった」


 あれだけ暴れたら、そりゃスッキリするだろうな。

 まあ、ナータが元気になったんなら、今日の目的は達成だ。

 いろいろと大変だったけど、ジルは不思議と満足な気分だった。


「チマチマ悩んでるなんて、あたしらしくないわよね。いじけてたってルーちゃんが帰ってくるわけじゃないし。これからは前向きに頑張ってみるわ」

「ああ、その方がきっといいよ」

「ルーちゃんがいないこんな街なんか、ひとり残らず死ねばいいって思ってたけど、あんたがいてくれてよかったわ。感謝してる」

「よせよ、照れるじゃんか」


 物騒な言葉は聞かなかったことにしよう。

 ジルは受け取ったジュースを一気にあおって恥ずかしさを隠した。


 ルーチェがいないのは、ジルにとっても寂しい。

 でも、今ここに残っている人間には、辛い顔をして欲しくない。

 だからジルは無理にでも明るく振る舞うし、みんなにも元気でいて欲しいと思う。


 友達だから。

 せっかく親しくなれたんだから。

 こういう考え方はルーチェに教わったことだと、ふと思い出す。


「しかし、隔絶街のボスになってたとはな……ルーチェの財布を取り戻したときか? お前のファンや後輩が聞いたら卒倒しそうだ」

「別にボスじゃないわよ。それにフィリオ市に比べたらこっち不良たちのレベルなんてぜんぜん低いし、なんの自慢にもなんないわ」

「はいはい、とんだお嬢様だ」

「そういうあんたも、ここじゃかなり有名なのよ。前に輝術使いのゴロツキを倒したことあったでしょ。あいつかなりの暴君だったみたいで、みんなずっと辟易してたんだって」


 そういえば、そんなこともあったな。

 あれはナータと知り合ったばかりの頃だったっけ。


「忘れたよ、そんなこと」


 ジルは適当に答えて、残ったオレンジジュースを一気に飲み干した。

 酔っ払って、ケンカして、輝動二輪で輝士と追いかけっこして。

 最後は隔絶街でこうして海を眺めならジュースを飲む。


 ものすごく密度の濃い、わけのわからない夜だった

 だけど、楽しかった。


 こいつナータといると、本当に退屈しないよな。

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