386 ▽なぐさめ会

「勉強といえば、ジルはこの間のテストはどうだったの?」


 会話の中身がやばくなってきたので、ターニャはさりげなく助け舟を出してやった。

 酔っ払いから会話の主導権を取り戻すには、適当な話題を提供してやればいい。

 貴族会の老人をあしらう際につけた知恵である。


「あ、ああ。全然ダメだったよ。部活ばっかしてたからなぁ。ナータはどうだった?」


 成績の悪いジルにとっては触れられたくない話題である。

 だが、話題を変えるのにはちょうどいいので、今回は利用させてもらう。

 せっかく元気づけるために連れ出したのに、余計に沈ませていては意味がないから。


 ナータは無言で自分のカバンを開けた。

 そこから数枚の紙を取り出してジルに突きつける。


「おまっ、これ」


 それを受け取ったジルは驚きの声を上げる。

 ターニャは彼女の手の中を紙を覗き込んだ。


「わ……」


 さすがに驚きを隠せなかった。

 新学期始めのテストの答案用紙だった。

 右上の点数は、すべて二桁に達していない。

 数学の答案に至っては、まさかの丸一文字だった。


 普段のナータの学力は常に学年トップである。

 ターニャも成績はいい方だが、いつも彼女には敵わないのだ。

 それが努力のたまものであることは理解しているから、悔しくても僻みはしなかったのだが……


 この点数はいったいどうしたことか。


「コペ婆に呼び出されてたのは、これが原因だったのか……」

「ルーちゃんがいないのに勉強なんて頑張ったって仕方ないもん」


 本気で言ってるなら恐ろしいことである。

 文武両道、才色兼備、剣闘部のエースで成績も学年トップ。

 街一番の美少女とまで言われた才女が、こうも落ちぶれるものなのか。


 その剣闘部にも、最近では顔を出していないらしい。

 ナータにとってルーチェが大切な人だということはわかっている。

 けど、いくらなんでも、そこまで落ち込むか……と、思わずにいられない。


 ターニャはルーチェの顔を思い浮かべた。

 珍しい桃色の髪ピーチブロンド以外は、特に目立つ容姿でもない。

 成績は中の下、運動は苦手、子ども好きだが、他人にうらやまれる取り柄があるわけでもない。

 いたって普通の女子だ。


 まあ、何が大切かは個人の自由だし。

 他人であるターニャにどうこう言える話でもない。

 ここまで彼女のことを思っているなら、気を紛らわすこと自体が無理だったのだろう。


 困っているジルを肴に酒を飲むのを楽しめばいいか……

 などと考えていると、


「ねえちゃんたち、女だけかい」


 野太い声が隣の席からかけられた。

 見るともなしにターニャはそちらを振り向く。

 三人組の男が、ニヤニヤ笑いながらこちらを見ている。


「よかったら一緒に楽しまねえか? 俺たちもさ、男だけで寂しいんだよ」


 ジルが露骨に不快そうな顔をした。

 ただでさえナータのお守りに気を使っている。

 この類の手合いに絡まれて、いい感情など持つわけがない。

 憂さ晴らしに暴れないでしょうねと不安に思ったが、ナータはもっとひどかった。


「気晴らしに殺すわ」


 血走った眼でナイフを握りしめ、立ち上がる。

 今の彼女なら本気でやりかねない。

 ジルは慌てて止めに入った。


「とりあえず落ち着け、な?」

「その手を放してもいいわよ」

「あたしが追い払うから、おまえは水でも飲んで酔いを覚ませ」

「うっさい。気易く女に取り入ろうとする醜い男なんて、存在そのものが不愉快なのよ。男なんてみんな死ねばいいわ。あいつさえ現れなければよかったのよ、クソが!」

「なんだと……?」


 ナータは目の前の男たちではない、別の誰かに怒りをぶつけているようだ。

 しかし酔っ払いの理論など、部外者の彼らにわかるはずもない。


 案の定、自分がクソ呼ばわりされたと勘違いした男たちは、みるみる怒りに染まっていく。


「おい姉ちゃん、誰がクソだと? 初対面なのに、そりゃあんまりなんじゃねえか? ちょっと……いや、かなり美人だからって、調子に乗ってんじゃ」

「ちょっと黙ってろ馬鹿! ……そうだな、その男が悪い。おまえは何にも悪くないから、ともかく落ち着いて、まずは酔いを醒ましてだな」


 ジルが男を怒鳴りつけた。

 火に油を注ぎつつ、フォローを続けるとは。

 わかっていたことだが、彼女もかなり空気の読めない人間だ。

 男たちがあっけにとられたのも一瞬、バカにされたことを理解し席を立つ。


「おい、いい加減に――」


 男の一人がジルの肩に手をかけた。

 その瞬間、彼女は座ったまま肘を男の腹部に叩きつける。

 腰を浮き上がらせ、体を回転させ、男を投げ飛ばして床に転がした。


「なっ!?」


 呆気にとられている別の男の脳天に強烈なハイキック。

 やはり相当ストレスがたまっていたらしい。

 攻撃に迷いは見られなかった。

 もちろん、手加減はしているだろうが……


 格闘道場の家に生まれ、父や兄から地獄の修行を強制されてきたジル。

 過酷な少女時代を送ってきた彼女にとって、そこらのチンピラなど相手にもならない。

 やられるなどとは思っていなかったが、致命傷を与えず一撃で気絶させる技術は流石である。


「やるわね、ジル。あたしも加勢するわよ」


 しかし、ナータはそういうわけにもいかない。

 空いた皿をひっつかみ、残った男の頭を思いっきりぶん殴った。

 皿が割れる音が周囲に響き、店中の視線が彼女たちに集まってしまう。


「ば、ばかっ!」


 手加減なし。

 さすがにやり過ぎである。

 顔を青くしたジルがナータを取り押さえる。


「だって、こいつらがっ」

「だからって皿で殴るかフツー!?」


 ターニャから見れば、ジルの行動も常軌を逸しているのだが。

 彼女としては、騒ぎさえ起こさなければそれでいいらしい。


 どっちにせよ手遅れだ。

 騒ぎに気づいた酒場の主人がやってきた。


「お客さん、どうかしましたか!?」

「あっ、いやっ」


 倒れている三人の男。

 ナータの手には割れた皿の破片。

 空気の読めないジルに酔っ払いのナータ。

 彼女たちが上手い言い訳を思いつくとは思えない。


 仕方ない、助け船を出してあげよう。


「この人たちが、いきなり声を掛けてきて……」


 ナータたちが余計な事を言う前に、ターニャが主人に説明する。


「断ったら大声を出して、かなり酔ってたのか、立ち上がった拍子に足を滑らせて……私たちのテーブルに倒れてきたんです」

「ふむふむ。それで皿に頭をぶつけて、勝手に気絶したと」

「はい」


 もちろん、作り話である。

 だがまさか女三人が男三人に乱暴を働いて一方的に潰したとは思われないだろう。


 男たちが倒れた拍子に、テーブル上にあったコップはすべて床に散乱している。

 ほとんどナータが飲んだものだが、言わなきゃ誰が飲んだかはわからない。

 彼らが相当に酔っていたと思わせるのは難しくないだろう。


「すみませんけど、彼らが起きてまた絡まれると嫌なんで、お会計をお願いできますか? サワー三杯と、おつまみ二皿です」


 ついでに勘定もごまかしておこう。

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