EX5 親友 編 - luce che illumina l'inverno -

378 ◆戦災孤児

 あたしの記憶は、薄汚れた町を一人彷徨っているところから始まっている。


 それ以前のことは、なにも覚えていない。

 どんな家で、どんな家族と暮らしていたのかも、わからない。

 記憶のはじめにある場所が、どこの町だったのかも、実を言うと不明だ。


 あたしはいわゆる戦災孤児だった。

 二十年前、ウォスゲートと呼ばれる空間のひずみが突如として発生。

 世界中に現れたゲートからは異界の魔物エヴィルが溢れ出し人々を襲った。


 人間同士の争いも絶えて久しい時代。

 世界を突如としてめちゃくちゃにした大事件。

 ゲートは大国の領土を中心に、次々とエヴィルを吐き出していった。


 エヴィルは世界中に恐怖と混乱を振りまいた。

 遥か大昔、人間との生存競争に破れて絶滅したはずの魔獣。

 その脅威が忘れ去られて千年近く、平和な時代に訪れた試練の時だった。


 異界から来た魔獣を相手に、人類は長い間、苦戦を強いられることになる。

 戦争の時代が始まった。


 ウォスゲートは大国の領土に集中して発生していた。

 なので大国は動乱初期、輝士団を素早くゲート発生地点に派遣していた。

 エヴィルが現れてすぐに対処し、被害が拡大する前に討伐するという作戦だった。


 けれど、この時にはまだ、エヴィル相手の戦術が十分に確立されていなかった。

 無尽蔵にエヴィルを吐き出すゲート付近で戦うのは絶対的に不利。

 結果、輝士団は出撃のたびに甚大な被害を受けた。


 討ち漏らしたエヴィルは、すぐに各地に散らばった。

 どの国の輝士団も活動は消極的になり、守勢の時期が長く続いた。

 最初のゲートが開かれてかの数年間、世界は絶え間ない恐怖に晒され続けていた。


 時は流れ、今から十五年前。

 ウォスゲートを通って、五人の英雄が異界へと乗り込んだ。

 彼らの活躍によってエヴィルの王は討ち取られ、長い魔動乱はようやく終わりを告げた。


 世界は平和を取り戻した。

 だけど、人々が受けた傷跡は浅くなかった。


 異界へと続くゲートはなくなった。

 けど、残ったエヴィルは煙のように消えたわけじゃない。

 エヴィルが後に五大巣窟と呼ばれる場所に集まり始めるのはもう少し先。

 結界の外はまだ、人々が安心して復興活動を行えるような場所じゃなかった。


 多くの町や村がエヴィルによって壊滅させられた。

 反面、巨大な街壁に守られた輝工都市アジールの大半は被害も少なかった。

 そこでは危機感を持たないまま戦後を迎えた裕福な人々が土地の大半を占領している。

 故郷の町を失った人々は、肩身の狭い思いをしながらも、薄汚れた輝工都市アジールの間隙で細々と暮らすことになった。


 機械マキナ技術が発展した輝工都市アジールなら少なくとも、あり余る食料を食べて命を繋ぐことができるから。


 彼らにとって最低限の生活を保障できる場所は輝工都市アジール内の僅かな空間しかなかった。

 それはやがて隔絶街と呼ばれるようになり、彼らの苦難の日々は終戦後も長く続いた。


 その中で、あたしはかなり幸運な方だった。

 ひとり隔絶街を彷徨っていた所を、たまたま親切な老女に拾われたのだから。




   ※


 老女の名前はベルノ。

 ベルノは旧貴族の家の生まれだった。

 彼女は一生かけても使いきれないほどの資産を持っていた。


 でも、彼女には身寄りがなかった。

 主人も息子も、魔動乱で死んでしまったらしい。


 純粋な善意か、自身の寂しさを埋めるためか。

 ベルノは孤児院を経営し、自ら院長をやっていた。


 住む家を失った戦災孤児を集め、満足できるだけの食事と生活、そして教育の場を与えることが、彼女の生きがいだったそうだ。


 孤児院の子達はみな、ベルノを院長先生と呼んで慕っていた。

 あたしに今の名前をつけてくれたのも、この院長先生だ。


 彼女に拾われて孤児院に連れてこられた日のこと。

 あたしは言葉も満足に喋れず、自分の名前すらわからなかった。

 そんなあたしは、院長室の机に伏せてあった読みかけの本を、ジッと眺めていたらしい。


 本の正確なタイトルは覚えていない。

 冬のなんとかっていう名前だったらしい。


 だから、あたしは冬に因んだ名前をつけられることになった。

 冬を南部古代語に訳すとインヴェルノになる。

 でもそれじゃちょっと女の子らしくない。

 なので冬期という意味の『インヴェルナータ』という名前がつけられた。


 院長先生には感謝している。

 もちろん、名前のことだけじゃない。

 彼女に拾ってもらわなければ、あたしはあのまま垂れ死んでいた。

 それかよくて、隔絶街でマトモとは程遠い生活を送っていたはずだ。


 拾ってもらった後も、院長先生はあたしにとてもよくしてくれた。

 だから、あたしが塞ぎ込んだ幼年時代を過ごしたのは、彼女の所為じゃない。




   ※


 あたしは孤児院の周りの子供たちに溶け込めなかった。

 別にいじめられていたとかってわけじゃない。

 あたしが勝手に心を閉ざしていただけ。


 理由なんか特にない。

 ただ、他人との接し方がわからなかった。


 家族を亡くしたことでショックを受けている、と院長先生は考えたみたいだった。

 けど、家族といっても顔も覚えていないし、会いたいと思ったこともない。


 薄情かもしれないけど、本当の親がいないことを悲く思ったことは一度もなかった。

 周りの子たちの中には亡くした家族のことを思って泣く子もいたけど……

 やっぱり、あたしが変なだけだったんだと思う。


 結局、あたしは六歳になるまで、朝晩の「おはよう」と「おやすみ」、それから食事前の「いただきます」以外の言葉を発した記憶がほとんどない。


 挨拶だけはきちんとできていたのは、院長先生のお説教を受けたくなかったから。

 孤児たちの中には、魔動乱の時の経験から心に傷を負ってしまった子もいる。

 あたしは、そんな子たちみたく特別扱いされるのは嫌だった。


 一度だけ声を荒げて怒鳴ったことがある。

 孤児たちの中にも、やっぱり明確なヒエラルキーはあった。


 男の子たちのグループにはリーダーみたいな子、いわゆるガキ大将が存在した。

 名前は覚えていないけど、小太りで、憎たらしい顔をしていたのだけは記憶に残っている。


 あたしが孤児院に来てから二年くらいが経った、ある日のこと。

 いつも一人で絵を書いていたあたしに、そいつがちょっかいを出してきた。


 クレパスと画用紙を持ち出しては、いろいろなもの、時に空想の世界を描いては、一人で満足しているのがあたしの唯一の楽しみだった。


 何人かの子を従え、いつでも自分が中心でなければ満足しなかったガキ大将。

 そいつにとって自分に感心を示さないあたしは、気に入らない存在だったんだろう。


 そいつは完成させたばかりの絵――いまでも明確に覚えている。鳥と一緒に空を飛ぶ絵だった――を足で踏みつけ、破った。


 あたしは怒った。

 それはもう、逆上した。

 そいつを突き飛ばし、叫び声を上げながら、何度もそいつの顔を踏みつけた。

 もし、もう少し力があったなら、きっとそいつを殺していただろうってくらい怒り狂った。


 あたしが院長に取り押さえられ、その場は何とか穏便に収まることができた。

 けどそれ以降、あたしに話しかけようとする子は、完全にいなくなった。

 別にそれはあたしにとってたいしたことじゃなかったけど。


 おせっかいなのか。

 皆が仲良くするのが当然と思っているのか。

 その事件までは、何かとあたしに話しかけてくる子もいた。

 いつもそれを無言で追い払うのを面倒だと思っていたから、むしろ都合がよかったくらいだ。


 寂しい幼年時代だった……と思う。

 当時のあたしは、決してそれを認めようとはしなかったけれど。

 そんなあたしの凍った心を溶かす子と出会ったのは、初等学校に入学した日のことだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る