292 剣鬼、再来

 すべての準備を済ませた後、私は一人で食堂に来ていた。


 村の周囲には即席の探知結界と軽い罠を張った。

 結界と言っても、自分の輝力を特定の場所に残しておく程度。

 その場所を誰かが通れば、わずかな乱れを感じることができるくらいのものだ。


 それに気付くためには、夜中でも私かフレスさんのどっちかが起きてなくちゃいけない。

 だから、こうして一人でさみしく食堂で待機してるわけ。

 ベッドのあるところにいると眠くなっちゃうからね。


 ジュストくんとビッツさんは、少しでも傷を癒やすため休んでいる。

 フレスさんは仮眠中。

 十二時をまわったら交代してくれることになっている。

 もちろん、誰かが仕掛けを超える気配があれば、素早くみんなを起こしに行く。


「失礼します」

「はいっ!?」


 ボーッとしてたら、とつぜん声を掛けられてびっくりした。

 振り向くと、さっきの女性がお盆を持って立っていた。


 また恨み事を言われのかな……

 私がビクビクしていると、彼女はお盆に乗ったスープとパンを差し出してくれた。


「あ、あの」

「こんな夜中まで、村のためにごくろうさまです」

「いえ……」

「さっきは酷いことを言ってすみませんでした。けど、やっぱり私は……」


 泣きはらした真っ赤な目を隠すように、彼女は向こう側を向いてボソリと呟いた。


「せめて、仇は取ってください」


 それだけ言って、彼女は食堂から出ていった。

 ちょうどお腹も空いていたので、用意してもらった食事に手をつける。

 昨日食べたものと同じメニューのはずなのに、なんだかとてもしょっぱい味がする。


 ぴくん。

 ふいに違和感が走る。

 そっと服の端を撫でられたような。

 気をつけていなければ見過ごしてしまうほどの。


 私はスプーンを置いて立ち上がった。

 いつものエヴィルを感知するときよりも弱い。

 隷属契約をした相手が、遠い場所で臨戦態勢に入ったときに似てる。


 私は食堂を飛び出した。




   ※


 向かう先はジュストくんたちが眠る二階の客室……

 じゃなくて、違和感があった村の端のあたり。

 窓から抜け出し、空を飛んで向かう。

 暗がりの中に人影が見えた。


「ダイ!」


 月が雲に隠れ、村の灯りが遠くに見える暗闇の中。

 武器を手に、村の外へと出ていこうとしていたダイがこちらを見上げた。


 探知結界に引っかかったのは外からの侵入者じゃなかった。

 内から外に出て行く、よく知った人の感覚。


「どこに行くの?」

「どこだっていいだろ」

「お姉さんの所に行くんだね」


 ダイは黙って視線をそらした。

 ビッツさんの言うことはきっと正しい。

 それを彼も頭では理解できてるんだと思う。


 けれど、簡単に気持ちの整理をつけられるわけがない。

 ダイはこれまでお姉さんを探してずっとがんばって来たんだから。


「自分の手で決着をつけに行くの? それとも……」

「オマエには関係ないだろ」

「あるよ!」


 私は駆け寄って、ダイの肩を掴んだ。


「私たち、仲間じゃない。ダイが間違ったことをするなら止めなきゃいけないし、もしお姉さんと刺し違えようとか思ってるなら、絶対にそんなことさせない!」

「だったらどうしろって言うんだよ! せっかく会えた姉ちゃんが人殺しになってて、オレたちが束になっても敵わないくらい強くって……なのにオレにだけは昔とおんなじで優しくて」


 私を睨む彼の目は涙で潤んでいた。


「だったら、オレがなんとかするしかないだろ……! どうせ卑怯な方法を使わなきゃいけないなら、オレが、オレだけが姉ちゃんの、姉ちゃんを……」


 言葉は途中から声にならない。

 それは彼なりの責任感か。

 だけど、


「それでも……」


 私はダイを抱きしめた。


「ばっ、なにすっ」

「私はダイに死んで欲しくないよ」


 こっちも理屈じゃない。

 ダイが死んじゃうなんて考えたくもない。

 ナコさんのことは、どうしようもなく難しい問題だ。

 けど、たとえどんな結果なっても、ダイが犠牲になるような終わりは絶対に嫌だ。


「バカ野郎……」


 腕の中でダイが力弱く呟いた。

 その直後、女の人の声が聞こえた。


「あらあら、こんなところで抱擁なんて、本当に仲がいいのですね。妬けてしまいます」


 私たちは同時に声のした方を見た。

 そこに立っていたのは、異国風の衣装を身に纏った女剣士。


「姉ちゃん……」

「迎えに来ましたよ、大五郎」




   ※


 まさかこんなタイミングでやってくるなんて。

 ナコさんが腰に差しているカタナは、以前のものとは少し違っていた。

 より本気で戦うために装飾をいじったのか、黒い紐をひし形の模様を残すように巻いた柄になっている。


 左手には何が入っているのか、怪しい大きな包みを持っていた。


 どうしよう。

 どうすればいい?


 斬られた時の恐怖が甦る。

 足が震える。

 これじゃまともに戦えない。

 逃げるべきか、みんなを呼ぶべきか。

 ぐらつく頭で必死に考えていると、


「るうてさん」

「な、なにっ」


 ナコさんが私を真っすぐに見て言った。


「あなたに話したいことがあるのですが、聞いてくださいますか?」


 一歩、一歩と、こちらに近寄ってくる。

 やだ、怖い。

 逃げたい。


 私を庇うようにダイが前に出た。

 ゼファーソードの柄に手をかけている。

 けれど、彼も震えているのがわかる。


「そ、それ以上近づくと、姉ちゃんでも――」

「昨日はごめんなさい」


 ダイと私は同時に固まった。

 いまなんていった?


 どうしてナコさんは、私たちに頭を下げているの?


「あれからいろいろ考えたのですけれど。やっぱり、私が間違っていたと思うのです」

「な、何が……」


 声が上ずって、それだけ聞き返すのがやっとだった。

 顔を上げたナコさんは、最初に会ったっときと同じような穏やかな微笑みを浮かべていた。


「いやですね。お姉ちゃん、久しぶりに再会した弟を取られてしまうかもしれないって、嫉妬してしまいました。大五郎が認めた相方さんなら認めなくてはいけませんのに……るうてさん」

「はいっ」


 思わず直立不動で返事をしてしまう。


「大五郎をよろしくおねがいします」


 ナコさんはもう一度頭を下げた。

 私はその言葉の意味が良くわからない。

 ただ茫然と、彼女の深い黒髪を眺めていた。


「それでですね、二人にぷれぜんとがあるんですよ!」


 ナコさんは顔を上げ、手をぱちんと鳴らした。

 左手に持っていた包みを地面に置きいそいそと結びを解く。

 中から出てきたのは、きれいに折りたたまれた異国風の衣装だった。


「大五郎にはこれ。あなたももう大人って言って良い年頃でしょう? 羽織と袴、一生懸命繕ったんですよ。着てみて、着てみて」

「ちょ、姉ちゃん」

「恥ずかしがらないでいいんですよ。私はあっちを向いていますから、木陰で着替えてきて下さい」


 ナコさんはダイに服を渡すと、無理やり彼の背中を押して、大きな木の向こうへと押しやってしまった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る