290 英雄クラスの技法

 夕方近くになって改めて目を覚ました。

 机の上を見ると、コップの下にメモが挟んであった。

 フレスさんの字で『起きたら一階の食堂へ来てください』って書いてある。


 ベッドから起き上がる。

 なんだかやたらと体がだるかった。

 痛みを感じなくさせるクスリのせいかな。


 けれど、おかげで左手は普通に動く。

 閉じたり開いたり、物を掴むのも支障もない。

 包帯は怖くてまだ取っていないけど……傷痕とか残ってないといいな。


 一階に降りて食堂へ向かう、その途中。

 ドアが半開きになっていた部屋の中から、すすり泣きの声が聞こえた。


「あ……」


 ドアの隙間から中を覗き込むと、若い女性が黒い箱にすがり付いて泣いていた。


 黒い箱は、たぶん棺桶。

 その中にいるのは、きっとこの宿の女将さん。

 豪快で、お喋り好きで、村の人たちからも慕われていたって……


「ルーチェ様」


 背中から声をかけられた。

 昨日、食堂で料理を作ってくれた二人組だ。

 二人とも、とても……とても、悲しそうな顔をしてる。


「酷いですよね。女将さん、いい人だったのに……」

「あの娘、親を早くに失ってから、女将さんのことを実の母親みたいに慕ってたんですよ……」


 二人の言葉が胸に突き刺さる。

 脳裏に昨日の女将さんの残酷な死に様が蘇る。

 涙と、後悔の気持ちが溢れてくる。


「ごめんなさい、私、何もできなくて……」

「ルーチェ様のせいじゃありませんよ。そんな大怪我をしてまで、頑張ってくれたじゃないですか。あなた達がいなかったら、きっと俺たちや村のみんなも殺されていましたよ」


 背の低い方の人が、私の包帯が巻かれた腕を指差して言った。

 気に病むなって言ってくれてるんだろうけど、その優しさが逆に辛い。


「ごめんなさい、ごめんなさい……」


 俯いて、奥歯を噛む。

 無力な自分が悔しかった。

 英雄の再来なんて呼ばれて、いい気になってたくせに。

 なにがフェイントライツよ。

 肝心なときに、何もできないじゃない……


「あれ、ケイオスとかいう、人間の姿をしたエヴィルなんでしょう?」


 背の高い方の人が怒りを込めた声で言う。

 私はハッとして顔を上げた。


「怪我も癒えていない体で、辛いとは思いますけれど……」

「お願いします。どうか、女将さんの仇を討って下さい。ルーチェ様たちなら、きっとあのケイオスとかいうバケモノを退治してくれるって、俺たちは信じてますから」


 二人は腰を九十度折り曲げて頭を下げる。

 彼らの無念と本気の願いが伝わってくる。


「約束……するよ」


 私は廊下の隅を見ながら呟いた。


「必ず、女将さんの仇は討つから。今度は仲間もいるし、ケイオスにだって絶対に負けないから」


 なのに、私は嘘をついている。

 ナコさんはケイオスなんかじゃない。

 ただ病気でおかしくなってしまった、普通の人間だ。


 私はできるなら、ナコさんも救ってあげたいと思ってた。

 けれど、彼らから見ればナコさんは単なる殺人鬼。

 大切な人を殺した憎むべき敵。


 どうすればいいんだろう。

 ナコさんを助けたいと思うのは、自分勝手なことなのかな……


「ありがとう、ルーチェ様!」

「お願いします。俺たちの村を、エヴィルどもの手から守ってください!」


 二人は顔を上げて期待の笑みを浮かべる。

 私の手を握って強く振りながら、何度も「お願いします」と繰り返した。


「ケイオスはたぶん、また戻って来ます。これから仲間と作戦を立てるので、二人も家に戻って、絶対に外に出ないようにしてください。村のみんなにも呼びかけておいてくれたら助かります」

「わかりました!」


 二人は声をそろえて返事をし、急いで宿から出て行った。




   ※


 食堂には既にみんな揃っていた。

 憔悴した様子のダイは一人離れたテーブルで肘を突いている。

 ジュストくんはフレスさんに薬草を張りつけた包帯を巻いてもらっている。


「もう怪我の具合は良いのか」

「うん。ちょっと違和感はあるけど、ほとんど元通り」


 ビッツさんが気遣わしげに聞いてくる。

 私は大丈夫だと伝えるため、左手を伸ばしたり曲げたりして見せた。


「ルー、僕たちのせいで――」

「動かないで! ジュストの怪我も全然治ってないんだから!」


 ジュストくんが立ち上がろうとしてフレスさんに怒られる。

 彼はむっすりしながら浮かしかけた腰を椅子に下ろした。

 フレスさんが文句を言って落ちた薬草を拾う。

 その様子を見て私は苦笑した。


「私は本当に大丈夫だよ。それより、これからのことについて話し合おう」


 視界の端でダイがぴくりと反応した。

 私は気づかないふりして空いてる席に座る。


「まず、現状を確認しよう」


 ビッツさんが全員の顔を見渡して言った。

 特にダイをジッと眺め、彼が何も言わないことを確認した上で話を続ける。


「ダイの姉君……ナコ殿こそが、連日行われていた村人惨殺事件の犯人だった。彼女は何らかの病に冒され、精神に異常をきたしている。しかしダイに対してだけは肉親の情を失っていないようだ」


 ビッツさんのはっきりした物言いにヒヤヒヤする。

 ダイはなにも言わずに黙ったままだった。


「我々にはいくつかの選択肢がある。一つはナコ殿が来る前に急いでこの村を去るか――」

「それはダメでしょ」


 私は即座に言葉を被せた。


「このまま放っておくなんて、できるわけないよ」

「当然だな。ダイの肉親である点を差し引いても、このままナコ殿を放置することはできない。我々は力ある者の責務として絶対に彼女を捕らえなければならない」


 今のナコさんは、ちょっとしたきっかけで躊躇いもなく人を殺してしまう。

 放っておけばもっと多くの犠牲者が出るかも知れない。


 気の良さそうな星輝士の四番星さんに、この宿屋の女将さん……

 そして、数百人にも及ぶ近隣の村の人たち。

 殺された人はもう戻らない。


「ダイ、確認しておきたいことがある」


 名前を呼ばれても、ダイはそっぽを向いたまま。

 視線も合わせようとしない彼にビッツさんは構わず質問をした。


「彼女はおぞましいほどの大量殺人者だ。贔屓目に見ても、情状酌量の余地はない」

「……ああ」

「捕らえて引き渡せば、まず間違いなく死罪、あるいはそれ以上の罰を受けることになる。それでもそなたは我々に協力できるか?」


 冷たく突き放すような問い。

 けれど、それはどうしようもない事実だから。


 ナコさんの犯した罪はあまりに大きい。

 やっぱり、彼女を救うことは、できないのかな……


 しばらく、無言の空気が場を支配した。

 やがてダイは、ビッツさんの目を真っすぐ見返しながら、絞り出すような声で言った。


「……あんなのは、オレの好きだった姉ちゃんじゃない。進むべき道を間違えたっていうなら、オレは一人の剣士としてあいつを討つ」


 それは、あまりにも悲しい決断だった。

 ダイが溢れそうな悲しみを必死に堪えているのが、私にはよくわかる。


「その言葉を信じよう」


 ビッツさんはあくまで冷静だった。

 ちょっと冷たいような気もするけれど、こうやって仕切ってくれるのはありがたい。

 これが私たちだけだったら、たぶん感情的になって、何を話してもまとまらないだろうから。


「問題はここからだ。彼女を討つにせよ、捕らえるにせよ、現在の我々の戦力では相当に厳しいと言わざるを得ない」


 私の輝術は一切通用しない。

 ジュストくんも彼女には全く歯が立たなかった。

 それなくても、フレスさん以外の全員が浅くない怪我を負っている。


 輝攻戦士でもないのに、ナコさんは恐ろしく強い。

 星輝士の中でも特に強いと言われてる、四番星の人ですら敵わないほどに。


「そもそも、あの斬輝って技はいったい何なの?」

「確かに、輝力を斬るなんて聞いたこともありません……」


 私とフレスさんは顔を見合わせて言った。

 あんな技があるんじゃ、私たち輝術師は完全にお役御免だ。


「実はミドワルトにも斬輝を使うと言われる高名な人物が存在する。そなたらも『剣舞士けんまいしダイス』の名は聞いたことがあるだろう」


 剣舞士のダイス?

 えっと、どこかで聞いたことがあるような……

 誰だっけ?


「五英雄の一人だよ」


 ジュストくんが言う。

 ああ、そうだそうだ、思い出した。


 魔動乱を終わらせた英雄の一人。

 グレイロード先生や閃炎輝術師フレイムシャイナープリマヴェーラの仲間だった人。

 五英雄の中では比較的マイナーな人だから、あまりよく知らないんだけどね。


「剣舞士ダイスは英雄と呼ばれるほどの剣士であるにも拘わらず、輝攻戦士ではなかったらしい。しかし、彼の剣技はあらゆるエヴィルを斬り裂き、輝術による攻撃も全く通用しなかったと言う。あの黒衣の妖将に傷を負わせたという噂もあるくらいだ」

「全盛期のカーディ相手に?」

「斬輝については噂に尾ひれがついた話だと思ったが、本物を目の前で見せつけられてはな」


 私たちの常識からは全くかけ離れた輝力を斬るという行為。

 ナコさんは、それを現実に行っていた。


 私の輝術は全く通用しなかった。

 輝粒子に守られた輝攻戦士に容易く傷をつけた。


「ひょっとしたら、グレイロード先生はナコさんを白の生徒にするつもりだったのかもね」


 かつての英雄と同じ技法を持つ剣士。

 東国へ渡った先生は彼女を見つけて、一体どう思っただろう?

 ひょっとしたら、やがて来る魔動乱に対抗する戦力として、大きな期待をかけたのかもしれない。


 以前にシュタールの皇帝さまがダイのことを『東国から来た勇者』とか言っていた。

 過大評価だと思ってたけど、あながち間違いでもなかったのかも。

 異境の地からやってきた、常識外れの力を持つ剣士。

 まるで神話戦記に伝わる勇者さまみたい。


「だとしても、今の彼女は狂気に冒された殺人鬼に過ぎん」

「そうだけど……」


 もしもナコさんが病気なんかじゃなく、私たちの仲間として一緒に戦ってくれたら……

 そんな風に思わずにはいられない。


 でも、彼女はすでに多くの人を傷つけている。

 手を取り合うことはたぶんもう……できない。

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