269 ▽挿話・船内
部屋が大きく揺れ、その拍子に夢から覚めた。
少女は暗闇の中で目を開いた。
体を起こし、手探りで手元のランプを探して火を点す。
揺れる灯りが部屋を染め、少女のやつれた顔を照らした。
仄かな灯りの中、部屋の中に残る闇を追い立てるように視線をさまよわせる。
寝台以外は小さな木机と壁際に姿見が立てかけられているだけ。
飾り気の無い煤けた木張りの部屋だった。
少女はしばらくそのまま暗闇を見つめていた。
なんとなく、見ていた夢の内容を思い出そうとする。
が、部屋がまた大きく揺れ、思考が強制的に中断された。
あらためて思い出す必要もない。
繰り返し見た夢は網膜に張り付いて離れない。
あの夜の景色は、今も鮮明に思い描くことが出来る。
また部屋が揺れた。
少女の思考はあの夜から、この船に乗るに至るまでの経過を辿り、現在に帰って来る。
どれくらい眠っていたのだろう。
この部屋には時の流れを教えてくれるような物はなにもない。
唯一、空腹を訴える体だけが、決して短くない時間を切り取ったことを思い知らせる。
空腹を意識した瞬間、虚ろだった少女の瞳が次第に焦点を定めていった。
ゆっくりと立ち上がり大きな姿見に自分の姿を映す。
村一番と言われた美貌は嘘のようにやつれきっていた。
ボサボサの髪に申し訳程度の手串を入れる。
乱れた胸元を整え、少し体を傾ける。
背後にある灯りが鏡に映った。
少女は慌てて視線を逸らす。
極力前を見ないように手探りで火を消した。
真っ暗になった部屋で、少女はしばらく突っ立っていた。
部屋を出よう。
暗闇の中を手さぐりで歩き、少女は入口の戸を探す。
特に何かがしたいわけではない。
時間潰しも兼ねて、食堂へと向かおうと考えただけだ。
※
船内食堂にやってきた。
カウンターで仕切られた、机が六つ並ぶだけの簡素な食堂。
その隅の一席、一番明かりの届きにくいテーブルに、少女は腰掛けた。
バンという、小麦で作った食べ物が運ばれてきた。
小鳥のような優しい声を持っていた少女の口も、言葉を発さなくなって久しい。
食事を用意してくれた食堂のおばさんにも頭を軽く下げるだけで、お礼の言葉も言えなかった。
食堂には少女の他にも三人組の男たちがいる。
この船団の団員であり、誰もが一目で戦士とわかる屈強な肉体をしていた。
少女が食堂に入ってくる前まで、男たちは楽しそうに談笑しながら食事を取っていた。
しかし今は気まずそうにボソボソと小声で話しながらパンをかじっている。
どうやら少女が来たことで気を使わせてしまったようだ。
少女に話しかけてくる者はいない。
彼女がこの船に乗った当初は声をかけてくる団員も少なからずいた。
東国の人間が珍しく、探索中の彼らは聞きたい話もたくさんあったのだろう。
けれど、少女が何を聞いても無反応なため、次第に話しかけられることもなくなった。
みな、少女の経験した惨状を知っている。
無理に心を開かせようとする者はいなかった。
五分ほどで食事を終え、少女は食堂を出る。
食堂にいる間、一度たりとも男たちの方を見なかった。
この船の人間には興味が無い。
少女が多少なりとも気を許せる人物は二人だけ。
少女の頭に、その内の一人の少年の顔が思い浮かんだ。
「大五郎……」
廊下を歩きながら、自然に最愛の弟の名が口から溢れる。
彼がいるはずの部屋に近づいていた。
戸の前に立ち、軽く叩いてみる。
返事は無い。
また眠っているのだろう。
弟はこの船に来てから、眠っている時間の方が多くなった。
あの夜からこの一団に拾われるまで、殆ど一睡もできなかったから、その反動かもしれない。
せっかく安らかに眠れているのなら無理に起こす必要はない。
少女は静かに部屋の前から立ち去った。
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