225 ◆彼女は思ったよりもすごい輝術師だった

 ♪Io volo al luogo dove e Lei.

  I miei sentimenti non cambiano anche se non e possibile a ritorno.


 森の中に少女の歌声が響く。

 上機嫌で南部古代語の歌詞を口ずさむ桃色の髪の少女。

 彼女は平時の幼さからは想像もできないような、美しく澄んだ声で歌っていた。


 木漏れ日に照らされたその姿は、まるで精霊のよう。

 きっと昨晩はよほど良いことがあったのだろう。


「ちくしょう、次は絶対に負けねえ……今度こそルー子を床で寝させてやる」


 対して黒髪の少年は疲れているのか、俯きがちにぶつぶつと何事かを呟いている。

 まあ、夫婦の夜の情事を詮索するほど俺も朴念仁ではない。


「こらこら、あまり一人で先行すると危ないぞ」


 木の上にリスを見つけ、手を振っている少女に声をかけると、彼女の歌声が途切れた。

 む、せっかくの良い気分に水を差してしまったか。


「すまない、別に咎める気はなかったのだが」

「あ、いえ。じゃなくて、たぶんエヴィルが近くにいます」

「何?」


 俺は即座に腰の件に手をかける。

 昨日の例もあるので、彼女の言葉を疑う理由はない。

 それでなくてもエヴィルの存在は警戒してし過ぎるということはない。


 はたして、森の奥にその醜悪な姿を俺も目視できた。

 頭部に二対の角を持つ、全身を真っ白な体毛で覆われた羊のような魔獣。


 プロトパンというエヴィルだ。

 比較的よく見かけるタイプだが、キュオンよりはやや手強い相手と言える。


 しかも、今回は位置関係が悪い。

 俺たちは現在、まっすぐ延びる獣道を歩いている。

 奴の強力な突進を受けては、上手く若夫婦を守れる自信はない。

 ならば、多少の危険はあるが横の森に飛び込むしかないかと考えていると。


「あの、今度は私たちも手伝います」


 少女がそう提案した。

 気持ちはありがたいが……いや、待てよ?


「君は、火矢イグ・ローくらいは使えるかね?」

「えっ、はい!」


 ダメ元で聞いてみたが、どうやら習得しているらしい。

 ならばやり様はいくらでもある。


「俺が森に飛び込んで敵を引きつける。合図をしたら撃ってくれ」

「わ、わかりました。ダイは……」

「彼は疲れているようだから、今回は休んでいてもらおう」


 体調が万全ではない時にエヴィルと戦うのは自殺行為に等しい。

 本人にその気があったとしても、無理に参加はさせないつもりだった。

 幸いにも、当人も戦える状態でないことは理解しているようだ。


「あー、任せた」

「普段はダメっていっても戦いたがるくせに!」

「オマエはベッドで寝れたんだから元気有り余ってるだろ」

 

 若夫婦の声を後ろに聞きながら、俺はスラリと剣を抜く。

 敵を目の前にした時の心地よい緊張感は何事にも代えがたい。


 どうやらプロトパンもこちらに気がついたようである。

 様子を見るようにゆっくりと近づいて来ている。

 俺は自ら森の中に入って敵との距離を詰めた。


 プロバトンの攻撃で最も怖いのは、勢いをつけた体当たりである。

 見た目よりもはるかに重い体重に加え、鋭く尖った角で突き刺されたら、致命傷は避けられない。


 障害物の多い森の中の方が戦うには好都合だ。

 木々の間を縫うように駆け、敵が突っ込んでくるよりも先に攻撃に出る。


「おおおおっ!」


 気合いを発しつつ、愛剣を振る。

 刃がプロバトンの額を掠めた。

 踏み込みが甘い。

 ダメージは与えられていない。

 だが、これでいい。


 即座に左側面に回り、足を止める。

 こちらを振り返った白毛の獣。

 続けて浅い横薙ぎの一撃。

 直後、俺は叫んだ。


「十秒後に合図をする、詠唱を始めろ!」


 怒りの形相にプロバトンが顔を歪める。

 地面を蹴り、猛突進をしかけてくる。


 タイミングを合わせ、横に跳びながら魔羊の横っ面を叩く。

 プロバトンは俺の横を通り過ぎ、後ろにあった大木に頭をぶつけた。

 揺らいだ図体の尻を斬りつけ、さらにオマケとばかりに蹴りをお見舞いする。


「今だ、撃て!」


 オレンジ色の光を引いた火の矢が飛んでくる。

 火の矢は正確にプロバトンの眉間に突き刺さった。


「おおっ!」


 思わず感嘆の声が漏れた。

 なんと、正確な一撃だろう。

 正直に言えば、初撃は失敗するだろうと見込んでいた。

 だが、タイミングといい狙いといい、申し分のない攻撃だ。


 威力も決して低くない。

 ちらり、と森の向こうに喜ぶ少女の姿を確認し、俺は親指を立てた。 


「グルルルル……」


 とはいえ、一撃で倒せるほどプロバトンは甘い相手ではない。

 白き魔羊は憎悪の表情を浮かべ、火の矢を撃った術師の方を見た。

 本能的な行動だろうが、目の前の敵を相手に背を向けるなど笑止千万。


「でりゃっ!」


 体の側面を、大きく線を引くように斬りつける。

 木々に囲まれた狭い空間で、障害物を利用しながら攻撃と退避を繰り返す。


 これは魔物の注意を自分に向けるのが目的だ。

 いくら綺麗に攻撃が入っても、俺の斬撃では致命傷は与えられない。

 やがて痺れを切らしたプロバトンが突進攻撃に移る兆候を見せる。


「また十秒後だ! 頼んだぞ!」


 先ほどと同じように俺は横に飛び、直撃を避ける。

 目標を失って大木に頭を打ちつけたプロバトン。

 俺はそこに後ろから追撃をする。

 そして少女に合図する。


「今だ!」


 寸分違わず、眉間に火の矢の一撃を受けた白羊の魔物は、蓄積したダメージに耐えきれず霧消した。

 後には真っ赤なエヴィルストーンがひとつ転がった。




   ※


 木々を抜けて獣道まで戻ると、桃色の少女が笑顔で迎えてくれた。


「おつかれさまです!」

「いや、君の方こそ素晴らしい活躍だったぞ」


 本来ならもっと時間がかかる予定だった。

 しかし、わずか二回の攻撃で倒せてしまうとは。

 それほど彼女の術の威力と命中率が優れていたわけである。

 はっきり言って、これは予想外の驚きだった。


「私は安全な場所から攻撃しただけですよ」

「それでいいのだ。全員が危険を冒して前に出る必要はない」


 これだけの才能を持ちながら、なぜチーム戦闘を理解していないのだろう。

 宝の持ち腐れとまでは言わないが、そんな意識では危険である。

 俺は彼女のためにも優しく語って聞かせた。


「君のような強力な輝術師が仲間にいる場合、他の仲間はそのサポートに全力を尽くすのが一番だ。そして俺のような剣士の役目は、仲間の盾として防御に徹すること。相手が単体の時に限るが、この戦法ならば、たとえ格上のエヴィルが相手だとしてもそうそう敗北はしない」

「なるほど……」


 納得してくれているのか、少女はうんうんと首を縦に振る。


「ほら、ダイもちゃんと聞いた? いっつも一人で敵に突っ込んじゃわないで、私の盾として私をサポートするといいんだって。私のために戦うといいらしいよ」

「あーはいはい言ってろ言ってろ」


 ……どうも、きちんと理解してくれたかは怪しいようだ。

 彼女たちの仲間に会う機会があれば、少し言い聞かせておくいた方がいいかもしれない。

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