224 ◆まさかこんなところで旧友と再会するとはな

 迷い森の手前にある、小さな村に辿り着いた。

 まだ日は高いが、今日はここで一泊することにしよう。


「なんだよ。一気に突っ切っちまおうぜ」


 黒髪の少年がそう主張する。

 やはり旅慣れしていないのだろう。

 俺は彼に、森の中で夜を迎えることの危険性を説いた。


「森に生息するのはエヴィルだけではない。野生の肉食獣や、気温の低下、天候の変化などにも注意する必要がある。野宿が悪いとは言わないが、可能な限り避けた方が懸命だ」


 どちらにせよ、夜通し森を抜けても、町に到着するのは翌日になる。

 危険と効率のどちらに納得したのかはわからないが、黒髪の少年はそれ以上文句を言わなかった。


 さて、そうするとしばらく時間が空いてしまう。

 とにかく最優先すべきは今夜のねぐらを確保することだ。


 魔動乱の頃はどんな辺境の村にも宿屋の一つはあったものだ。

 しかし、旅人自体が極端に減った昨今では、宿泊施設すら存在しない村も稀にある。

 行商人が頻繁に訪れるような交易ルート上ならばその心配はないが、ここは街道から外れた林業で成り立つ村である。

 宿がないことも十分に考えられるので、その場合は大きめの屋敷を構える有力者と交渉し、一晩の宿を借りることになるだろう。


 かく言う俺も、この村に来るのは数年ぶりなので、内情を把握しているわけではない。

 若夫婦と離れて村の中を一周したところ、入口近くに戻ってきたところで、幸いにも宿屋を発見することができた。

 看板がくすんで文字が読み取りづらいが確かに「inn」の文字が見える。


「御免。今夜の宿をお借りしたい」


 戸を潜って声をかける。

 返事はない。

 しかし、奥の方からいい匂いが漂っている。

 奥で誰かが料理をしているのだろうか。


「すまないが、誰かいるかな」


 先ほどより心持ち大きな声で呼びかける。

 と、奥から小走りで中年の女性が姿を表した。


「なんだい、悪いけどもう宿は営業してないよ」

「む。それは失礼した」


 やはり廃業していたらしい。

 だが若夫婦のためにも、今夜のねぐらはねぐら必要だ。

 どうにか部屋を貸してもらえないか交渉しようと、俺は女性の顔を見て、


「……レイナ?」


 そこに、懐かしい人物の面影を発見する。


「ヒルシュ?」


 何故か仮の名で呼ばれたが、どうやら間違いないようだ。




   ※


 彼女の名はレイナ。

 かつて冒険者だった頃にパーティーを組んでいた仲間の一人である。

 こうして会うのは実に十年以上ぶりだが、まさかこんな近くに住んでいたとは。


 俺たちは埃をかぶったカウンターに並んで座った。


「意外だな。お前がこんなところで暮らしているとは」


 淹れてもらった茶を啜りながら、俺は旧友に語りかける。


「意外も何も、ここは私の実家さ」

「ん? お前はセアンス共和国の輝工都市アジールの出ではなかったか?」

「あー、それはあれよ。ちょっと見栄張ってたのよ」


 なるほどね。

 冒険者たるもの、見栄を張る別に珍しいことではない。

 道理で以前にセアンスに立ち寄った時も、頑なに故郷の都市の名を教えてくれなかったわけだ。


「まあ、今さら気にするようなことでもない。それよりどうだ。最近は楽しくやっているのか」

「毎日毎日、森を相手に必死に働いているわよ。若いころに好き勝手やってた分、今更になってツケが回ってきてるわ。この年になっても嫁の貰い手がないしねえ」

「お前ほどの輝術師ならば、働き口はいくらでもあるだろう」


 人にはそれぞれ相応しい生き方がある。

 彼女の生業を悪く言うつもりはないが、苦手な力仕事などせずとも、少し大きな町に出れば十分に生計を立てることは可能だと思うのだが。


「なに言ってんだい。輝術なんかとっくの昔に封印処理されちまったよ」

「む……」


 言われて俺は思い出した。

 戦後の輝術師の処遇はかなり面倒なことになっている。

 魔動乱の頃、冒険者の中には輝術師が溢れかえってきた。

 輝工都市アジールでは大きく門戸を開いて輝術の習得をさせていたし、レイナのように教会で学ぶ者もいた。

 その多くが初歩的な術どまりではあるが、冒険をする上では欠かせない貴重な存在であった。


 だが魔動乱が終わると、輝術はとたんに規制対象となった。

 一定以上の能力がある者……攻撃的な輝術や、医療産業にとって邪魔な治癒の術などを使用できる人間は、大きく分けて三種類の道をたどることになる。


 一つは王宮輝術師を始めとする、輝術の専門職に就くこと。

 これはかなりのエリートコースである。

 組織に管理される代わりに、輝術の使用を認められ、さらには新たな術を取得することも許される。

 多くは大国の輝工都市アジールに務めることになるが、町の司祭などの例外ももちろんある。

 金持ちがコネを使ってお目こぼしを受けているという話も聞くが、真実かどうかはわからない。


 二つ目は大国の命令に従い、輝術の封印処理を受けること。

 輝工都市アジールで特殊な儀式を行い、取得した術を使用できなくするのだ。


 輝術師にとっては、半身を削られるに等しい屈辱である。

 しかし、平和な時代に、組織に属さない力ある輝術師は危険な存在なのだ。

 ほとんどの輝術師がこの道を選び、取得した輝術を忘れ、日常へと戻って行った。


 三つ目はどちらも受け入れずに野に降ること。

 これはもちろん推奨される行動ではない。

 多くが輝術師狩りと呼ばれる部隊に追跡され、罪人として強制的に術を封印された。

 一部、それを逃れた者が盗賊などに身を落としていると聞く。

 まあ真っ当な道ではない。


 そういう意味で、レイナが輝術の封印処理を受けたのは必然であると言える。


「残念だが、仕方ないな」

「気軽に言ってくれるよ。私にとっちゃ体の一部を奪われたようなショックだったんだからね。ま、さすがに十五年も立てば、輝術のない生活にも慣れたけどね」


 そう語る彼女の表情には、やはり一抹の寂しさが浮かんでいた。

 自分に例えれば愛剣を……いや。

 この湧き上がる冒険心を奪われたに等しい悲しみだろう。

 どれほどの虚脱を感じるのか、想像もつかなかった。


「そういうあんたは何やってるんだい」

「む」


 当然来るべき質問だったが、思わず言葉に詰まってしまった。

 茶で喉を湿らせ、吟味した言葉を吐く。


「……街道の用心棒のようなことをやっている。今は仲間とはぐれた若夫婦に同行し、トラントの町まで護衛する仕事を請け負っている最中だ」

「へえ」


 素直に感心した様子のレイナ。

 俺はわずかな罪悪感を覚える。


「経験を生かした仕事をしてるんだね。さすがは近隣で一番の冒険者……えっと、なんだっけ」

「何だ?」

「ああ思い出した、疾風のケインだ」

「そ、その呼び名はやめてくれ」


 冒険者としての名はともかく、二つ名までつけられると流石に少し恥ずかしい。


「照れんなって。あんたはあたしら『黄昏の聖凛団』のリーダーなんだから」

「聖凛団、か」


 そのパーティー名を他人の口から聞いたのも何年振りだろう。

 当時はどの冒険者も、自分たちに独自のパーティー名をつけていたものだ。


 黄昏の聖凛弾という名は、俺とアッシュが三日三晩議論を重ねた末に考え出した、自慢のパーティー名だった。


 なのに、改めて耳にするとどこかしら空虚な感じがする。

 行きつけの酒場の女将も、俺の話をこんな気持ちで聞いていたのだろうか……


「ん、どうしたんだ? なんか暗いぞ」

「いや、少し昔のことを思い出してしまってな」


 その言葉は半分嘘で、半分本当だ。

 魔動乱期は間違いなく俺の人生における黄金時代だった。

 こうして現実に向き合っているレイナに会って、初めて今の己を客観的に見られた気がした。


 知人の百の言葉よりも、同じ時代に生きた仲間との再会が、こんなにも胸を締め付けるとは。

 俺は……過去の栄光にしがみついているだけなのだろうか?


「ああそうだ、今夜の宿を探してるんだよな。一部屋だけで良ければ客室に空きがあるぞ」

「一部屋しか空いてないのか?」

「他は掃除してないから、使えたもんじゃないんだ」

「なるほど」


 若夫婦はそれで問題ないだろう。

 だが、いくらなんでも俺が二人と同室で夜を明かすのは気が引ける。


「あんたはうちに来ればいいよ。間借りしてる部屋だから、狭いけどさ」

「いいのか?」

「水臭いこと言うなって。久々に思い出話に華でも咲かせようよ」


 レイナは嬉しそうにそう提案する。

 彼女にとっても、あの栄光の時代は忘れがたい宝なのだろう。

 思い出すだけでワクワクがこみ上げてくる、自慢の過去。

 それは何よりも大切で……時に、今を縛る足かせにもなるけれど。

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