178 さよなら、お馬さん

 うっそうと茂った深淵の森。

 自然を切り開いて作られた道。

 私たちを乗せた馬車はひたすらに走る。


 ふいに、外が明るくなったような気がした。

 幌から顔を出して外の景色を覗く。

 進行方向の左側が崖になっていた。

 眼下には一面の樹海が広がっている。


「うわあ、すごい景色」


 遥か東国まで続く木々の海。

 シュタール帝国は広大な領土の大部分が森林地帯なのだそう。

 ファーゼブルが青の国なら、シュタールは緑の国だ。


 樹海の奥に、見たこともないような巨大な長方形の建造物が見えた。

 それは天を貫くように何本も聳え立っている。

 中心には、フィリア市のお城デパートを数倍した規模のお城が建っていた。


「あれが帝都アイゼンだよ」


 ボーっと外を眺めていた私の傍らで、ジュストくんが声をかけてくる。


「あのすごく高い建物は何?」

高層棟トゥルムだね。人も住んでるし、商業施設もあるよ」

「凄い不安定で、倒れちゃいそう」


 長方形の建物は黒一色で飾り気が無い。

 代わりに、いくつもの穴が空いている。

 窓なのかな?


 フィリア市にも街外れに似たような建物はあったけど、それは機械マキナ開発の研究所で、それも精々が五階建て。

 いま目にしている建物はどう見ても三十階近い。

 それが一、二……六本もある。

 もしあの一つでも倒れたら、下にある街は大惨事になっちゃうんじゃないかな。


「輝鋼精錬を応用した建築技術で建てられているから、簡単には倒れないよ。僕がいた頃はまだ二棟しかなかったけど、これからはいろんな所に建てられると思うよ。エテルノにも建設予定はあるんだって」

「へぇ……でも、なんであんな大きな建物をわざわざ作るの?」

「縦に高ければ限られた面積に多くの人が住めるからね。建築のための労働力は市民の仕事にもなるし。高層棟の建設が始まってから、アイゼンの隔絶街は五分の一程度に縮小されたらしいよ」


 なるほど、居住面積の節約に雇用対策。

 いろいろと理由があるんだね。


「高層棟については、アルディさんが詳しいんじゃないかな」

「誰だっけそれ」

「あ、ああいった技術を考えるのは、ファーゼブルの技術者だからね……」


 私を家に閉じ込めたお父さんのことなんて忘れましたよ。


 それにしても、フィリア市が機械マキナ技術研究の最先端だってことは知ってたけど、そこに住んでても知らないことっていっぱいあるんだなあ。

 技術の進歩って、凄いんだね。


「ある研究者が言うには、百年後には街全体があんな建物で一杯になっている可能性もあるって」

「それはなんかちょっと嫌かな」


 いろんな建物があるから街は綺麗なのに。

 物珍しくはあるけど、あんなのばっかりだったら息が詰まっちゃう。


「ジュストくん、詳しいんだね」

「輝士学校では専門科目で機械マキナ産業について勉強してたから」


 そういえば、ジュストくんがフィリア市に来たのも、機械マキナ技術について調べる課題をするためだったんだっけ。

 あの隔絶街での偶然の出会いから、ずいぶん遠くまできちゃったなあ。


「でも、現状であれだけの高層棟があるのはアイゼンだけだと思うよ」


 遠くに見える帝都アイゼンを眺めながら語るジュストくん。

 彼が剣術以外でこんなに楽しそうに喋るのって珍しい。

 世界一の輝工都市アジールかぁ……

 これが観光のために来たなら、どれだけいい事か。


「フレスさん、もうすぐ着くみたいだよ」

「ええ」


 本当だったら私と一緒になってはしゃいでいるはずの彼女は、アイゼンの街に見向きもせず、熱心にビッツさんを看病している。

 看病って言っても、熱があるわけでも苦しそうにしているわけでもないから、ただ見守ることしかできないんだけど。


 ビッツさんはもう二週間以上もこのままだ。

 この前立ち寄った町のお医者さんが言うには、眠っているのと変わらない状態なんだって。


「ビッツさん、はやく元に戻るといいね」

「はい。ずっとこのままなんて、可哀想すぎます」


 フレスさんは痛々しげな表情でビッツさんの額に手を置く。

 覚えたばかりの治癒の術が通じないことに落胆しているみたい。


 私も、もう少し早く、あのケイオスの正体に気づいていたら。

 もっと早く止めていたら、ビッツさんを助けられたかもしれない。

 いろいろと思うところはあるけど、早く彼を元気な姿に戻してあげたい。


「下り坂に入るぞ。しっかりつかまってろ」


 馬の手綱を引いていたダイが、幌の中に向けて声をかけた。

 私たちは彼の言葉に従い、床から出ている取っ手をぎゅっと握った。


 その途端、物凄いスピードで馬車が走り出す。

 床が斜めになる。

 すごい坂を下りてるみたい。

 外に振り落とされないだけで精一杯だ。


「ダ、ダイっ! もうちょっとどうにか――」

「おい、止まれ、止まれっ!」


 私の声は、それ以上に焦ったダイの声に掻き消された。

 ちょ、ちょっと、マジ?


「うわあああぁぁぁーっ!」


 叫び声が重なった次の瞬間、私たちの馬車は盛大に横転した。




   ※


「……ダメだな。完全に折れてる」


 無理な強行が祟ったのか、下り坂で馬が足を捻ってしまった。

 切なげにキュウキュウと泣く声が痛々しい。

 横転した馬車は輝攻戦士化したジュストくんとダイが立て直してくれたけど、ここまで私たちを引いてきてくれたお馬さんの方が完全に参ってしまったみたい。

 しかも倒れたときに尖った岩でお腹を傷つけたみたいで、かなりの出血をしている。

 幸い、中の私たちに怪我はなかった、けど。


「ごめんな、オレが無茶させたせいで……」


 悲しそうな声で馬に話しかけるダイ。

 その横でフレスさんも鼻先を撫でてあげている。

 彼女たちの言葉に応え、馬がキュウと小さく啼いた。


 急いでいたとはいえ、こんな事になってしまうなんて。

 きっとビッツさんだったらこんな風に動物を酷使したりしなかったのに。

 ごめんね……


「この先は歩くしかないか」


 そんな中、ジュストくんは冷静に状況を判断する。


「この子はどうするの?」

「運ぶのは無理だし、置いていくしかないよ」

「けど、このままじゃ死んじゃうよ。森の獣に襲われるかもしれない」

「どっちにしても、足が折れたんじゃダメだよ。街に連れて行ったところで処分されるだけだ」


 それは、そうだろうけど……


「ごめんな、いままでありがとう」


 ジュストくんは馬の耳元で囁くと、ビッツさんを背負って歩き出した。

 可哀想だけど、私たちも先を急がなきゃいけない。


「ダイ、行くよ」

「先に行っててくれよ」

「先にって……」

「まだ働けたのに、オレのせいでこいつが……」

「ダイのせいじゃないよ……」


 彼は本気で悲しんでいるみたいだった。

 普段の生意気な態度からは想像できないようなしおらしさだった。


「ジュスト、そいつら連れて先に行ってくれ。オレはコイツを……」

「わかった。先に行ってるから」

「すぐに追いつくよ」


 怪我をした馬の傍らに座り込むダイ。

 私たちは彼の背中を何度も振り向きながら、アイゼンの街へ向って歩き始めた。


「ねえ、ジュストくん。ダイが私たちを先に行かせたのって」

「……あのまま苦しませ続けるよりは、一思いに楽にさせてあげた方がいい。そういうところを僕たちに見せたくないんだろう」


 それはとても辛い。

 だけど、きっと誰かがやらなきゃいけないこと。

 このまま寂しく森の中に残されて、狼の餌になるよりは、ずっとマシだから。


「……あの子、天国に行けるといいね」

「そうだね」


 短い間だけど、ここまで運んでくれたお馬さん。

 あの子の冥福を、私は心から祈った。

 ごめんなさい……

 それと、いままでありがとう。

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