126 ▽神話戦記

 ターニャがようやくイチゴサンデーを食べ終えた時、お店の入り口から聞きなれた声が響いた。


「ジルさーん、ターニャー、いるー?」


 ルーチェだ。

 何を買ってきたのか両手には紙袋を提げている。

 どう見ても今日購入する予定だった文房具や日用品ではない。

 彼女の後ろにはぴたりとくっつくようにインヴェルナータもいた。

 こちらも同じく両手が塞がっている。


「こっちこっち」


 ターニャがルーチェたちを手招く。

 ルーチェたちが来ることを前提に四人席を取ってあったので、もう少し遅ければ繁盛時のお店に迷惑をかけるところだった。


 ジルはちらりと壁時計を見やる。

 すでに別行動を開始してから二時間近くが経っていた。

 予定通りの買い物を済ませ、ターニャが食事を終えるだけの時間を待たされたのだ。

 喫茶店に入っておいて正解だった。


「ご、ごめんなさいっ遅くなっちゃって」


 ペコペコ頭を下げながらルーチェがやってきてジルの隣に座った。

 すでにジルとターニャが向き合う形で窓際に着席しているため、彼女がそうしなければインヴェルナータが隣に来てしまう。

 それは今のジルには到底耐えられない。

 もっとも対角線上とはいえ同席することそのものが不快ではあるが。


「すごい量だね、何買ってきたの?」


 ターニャはルーチェが脇に置いた紙袋の山を指差した。


「服とか靴とか。本当は試着するだけのつもりだったんだけど、つい買い込んじゃって」


 おかげで入学早々苦しい生活送るハメになりそうだけど、と消え入りそうな声で付け加えるルーチェ。

 試着だけして買わないのは失礼だと思うのは流されやすい彼女らしい。

 ルーチェの声を聞いていると心が和む。

 気分も多少落ち着いたので会話に入ろうとしたが、


「着てみるだけでいいって言ったのに、ルーちゃんたらすぐに『じゃあこれください』って言っちゃうんだもん。いくらお金があっても足りないわよ」


 謝罪の言葉の一つもないどころか、まったく悪びれた様子もないインヴェルナータ。

 その声を耳にして気が変わった。

 こいつが喋るだけで何とも言えずイライラする。


「そっちの袋は?」

「あ、これは……」

「ああ、いつものおもちゃ?」

「うん。巨大人型古代機械デウスマキナの組み立てキットの新作出てたから」


 ルーチェの大好きな神話戦記モノのおもちゃだ。

 本来は男の子用のものだがルーチェは何故かこれが大好きなのである。


「ルーちゃん、まだソレ系のやつが好きだったのね」


 イラ。


「初等学校の頃から好きだったの?」


 ターニャの質問に楽しそうに答えるナータ。


「そうそう。ずっと前の誕生日にあたしが中身をよく確認せず『太古の戦神』って本をプレゼントしたんだけど、それ以来なんでか興味もちはじめちゃったみたいで」


 イライラ。


「だってカッコいいじゃない」


 そうかルーチェの神話戦記好きはこの女が原因だったのか。

 まあ子供のときの話ならしかたない。


「……ジルさん、怒ってる?」

「え……?」


 窓の外を眺めながら三人の話を聞いていたジルにルーチェが気遣わしげに声をかけてきた。

 どうやらイライラが伝わってしまったようである。

 ジルはごまかすためにハタハタと手を振った。


「別に怒っちゃないよ。ちょっと考え事してただけ」

「ならいいけど……」


 人を散々待たせておいて一言も謝らないインヴェルナータは確かにイラつく。

 でも、それでルーチェに気を遣わせるのは可哀想だ。

 悪いのは全部となりの金髪女なのだから。


「ただ時間がかかるようなら一言いってくれてもよかったんじゃないのか?」


 いつものように軽くぽん、とルーチェの頭を叩く。

 経験上、何もしない、何も言わないでいる方が余計に心配をかけてしまうのがわかっているから。

 気持ちが伝わったのかルーチェはほっとした表情に戻る。


「うん、次からはそうする。ごめんね」

「いいって。待たされたくらいでいちいち怒ってたらルーチェなんかと友だちやってらんないだろ」

「あ、それどういう意味?」


 ルーチェは軽く膨れてすぐに笑顔になる。

 よかった、気を使わせなくて済んだみたいだ。

 自分もいつもどおりに振舞えている。

 うん、この感じなら自然に話せる。


「そうよ。そんくらいでいちいち怒ってるような腐った根性のバカ女、さっさと縁切っちゃいなさいよ。今すぐに」


 場の空気が凍りついた。

 冷たい、ゾッとするほど冷たい声だった。

 声の主はインヴェルナータ。

 さっきまでの明るさが微塵も感じられない。

 憎しみさえ籠もっているよう。


 インヴェルナータは真っ直ぐにジルを見ていた。

 無邪気な少女の瞳でも争いを知らない優等生の目でもない。

 獲物を仕留める寸前の野獣のような、狩人的鋭さすら持っているような暴力的な眼差しだった。


 睨み付けられているジルでさえ瞬時に今の状況を把握できなかった。

 数秒ほどして凍てついた周囲の温度に反比例するようにジルの胸のうちが熱くなる。

 沈殿したドロドロの重い油に火がつくような激しい怒りの炎が湧き上がる。


「……なんだと?」


 反射的に飛び掛りそうになるそうになる自分を必死に抑えた。

 平静を装ったつもりだけど自分でも声が震えているのがよくわかる。


「あら聞こえなかったの? 根性だけじゃなくて耳も腐っているみたいね。何度でも言ってあげるわ、あんたみたいな女が傍にいると、純粋なルーちゃんに悪い影響が出るの。さっさとどっかに行ってくんない――」


 最後まで言わせなかった。

 反射的にテーブルの上のコップを掴み、氷水をナータの顔面に引っ掛けていた。

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