96 新しい愛称

 ちょっと事情があって村へは帰りたくないんです。

 私がそう言うと、先生はふもとの町の宿屋を用意してくれた。

 詳しい事情は聞かないって言ってくれたけど、少しくらい心配して欲しかったな……


 水道や輝光灯がない生活はさすがに慣れたけど、火を焚いてお風呂を沸かすのは面倒くさい。

 けど汗を流さないのは気持ち悪いので、もう一仕事がんばりましょう。


 薪をくべて、浴槽に張ったお湯を沸かして、その間に体を洗う。

 ようやく入浴できる温度にした時には、フラフラで倒れそうになっていた。


 今日の修行前、先生が私にしてくれた輝術は体力を回復させるものじゃなく、疲労や痛みを一時的に忘れさせるだけのものだったみたい。

 夕方、術を解除された瞬間、二日分の疲労と筋肉痛が襲ってきた。

 ここまで戻ってくるだけでも必死だったよ……


 ともあれ、やっとお風呂に入れる。

 今はゆっくりと体を休めなきゃ。


 浴槽に浸かっていると色々な事が頭をめぐってくる。

 フレスさんは大丈夫かな。

 修行上手くいくかな。

 勝手に出ていっちゃってジュストくんは心配しているかな。

 私いつか先生に殺されるんじゃないかな。

 お湯少し熱いな。

 明日の修行やだな。

 エヴィルをやっつけたいな。

 動きたくないな。

 このまま眠れたら幸せかもしれないな。

 ナータに会いたいな。

 お湯熱いな。

 眠いな。

 キモチ悪いな。

 熱いな……




   ※


 ばちばち。ばちばち。

 なによ、痛いなっ。


「おい、大丈夫か。聞こえてるか。生きてるか、おい、おい」


 うるさいな、聞こえてるし生きてるよ。

 せっかく人が気持ちよく寝てるんだから起こさないでよ。

 明日も修行だし、お風呂くらいゆっくり……

 お風呂?


「はっ」

「お、生きてたか」


 気がつくと、私は脱衣所で横になっていた。

 わ、私、お風呂に入ったまま寝ちゃってた?

 なんか熱いと思ってたんだけど、危うくゆでだこになるところだった!

 気絶していた私を、後から入ろうとした人が起こしてくれたんだ。


「どなたか知りませんが、助かりまし……あーっ!」

「うるせーな。大声出すんじゃねーよ」


 人を馬鹿にしたような喋り方に物珍しい真っ黒な髪。

 旅人らしく軽装な漆黒のレザージャケットに、腰と背中にそれぞれ差した二振りの剣。

 誰かと思えば、ダイじゃない!


「どうしてあなたがこんな所にっ」


 狼雷団事件以来、どっかに行っちゃったと思ってたのに。

 なんだってこんな所にいるのかこの子は。


「風呂に入りに来たらお前が溺れてたんだよ。それより早く服着ろ、見苦しい」


 服……ってきゃあ!

 私ってば、裸のままだ!


「信じられない! ばか! 変態!」


 せ、せめて、せめてタオルくらいかけてくれたっていいじゃないのっ!

 いくら年下だからって、裸を見られるのが女の子にとってどういうことか考えなさいよぉっ!


「助けてやったんだから礼くらい言えよ」

「そ、それとこれとは話が違う!」

「心配しねーでも、オマエのカラダなんかに興味ねーし」

「ばか! 超ばか! ばかばか! ファイナル☆ばか!」


 こんな無神経な奴にありがとうって言うくらいなら、恩知らずで結構だ!




   ※


「ま、まあ、ありがと」


 とは言っても、放っておかれたら知らない人の前で醜態を晒していたかもしれない。

 ダイがお風呂から上がるのを待って、一応お礼を言っておいた。

 もちろんしっかり服は着たからね。


「別に。邪魔だったからどかしただけだし」


 それにしてもコイツ、裸の私を見て少しも動揺してなかったな。

 年頃の男の子としてそれはどうなのよ。


「ま、無事でよかったぜ。ピン子の溺死体なんか見ちまったら寝覚めが悪いしな」

 

 あら、この子ってば、顔赤くしてない?

 ひょっとしたら、気にしていないわけでもないのかも。

 さっきは私を助けるのに精一杯で、照れ隠しとか――


「ピン子って誰の事だ!」


 思わず聞き流しそうになったけれど、こいつまさか私の名前を覚えてない?


「お前のことだよ。ピンク頭のガキだからピン子。いい名前だろ」


 どういうセンスだこのお子様め。


「ルーチェ。はい、呼んでみて。ルーチェ、ルーチェ。さんはい」

「ピン子」

「ばかダイ! ばかばか! だったら、私もクロすけって呼ぶぞ!」

「誰がクロすけだ! 『すけ』はどっから出てきた!」

「スケベの『すけ』だよばか! 自分も嫌なら人を色で呼ぶなっ。ルーチェお姉さんって呼べっ」

「呼びにくいんだよ。特にそのチェってところが」

「よし、百歩譲ってルーちゃんって呼んでも許す」

「自分にちゃん付けとかホント子どもだな」

「いいからルーチェお姉さんって言いなさい!」


 小さい子は好きだけど、自分が子ども扱いされるのは嫌だ。

 しかもこいつのほうが年下なのに!


「よし、じゃあルー子でどうだ。半分本名だからいいだろ」


 るーこ……


 ルーちゃんとかルーとか呼ばれた事はあっても、そんな呼び方は始めて。

 なんとか子とかいう呼び方は、この子の住んでたところでは普通なのかな?


 ルー子、るーこ。

 うん、まあ……可愛い、かな? 

 それでいいや。これ以上言い合うのもばからしいし。


「じゃあ、それでいいよ」

「いやまて。ばかばか言うから、ばか子っていうのはどうだ? そっちの方が似合ってるし、特徴を表しててわかりやす……」

「――お前いい加減にしろよ」


 みょーん。


「うおっ! 何だその目、怖えっ!」

「――るーこで妥協してやるって言ってんだよコラ」

「わかったから、そんな目で見るな!」


 まったく、どうして呼び方一つでこんなに疲れなきゃいけないのよ。

 これって絶対文化の違いとかじゃなくて、コイツの性格が悪いせいだよね。

 あれ、そういえば色々と考えてた事があった気がするけど……

 なんかもう忘れちゃったよ。




   ※


「はぁ……」

 

 お風呂から上がってもキモチが悪いのは収まらなかった

 先生に過剰に注ぎ込まれた輝力が私の中でぐるぐると渦巻いている。

 微妙に定まらない視界とふらつく足で部屋に戻り、ベッドに体を投げ出した。


「あぐっ?」


 痛い! お腹に何かあたった!

 起き上がってみると、ベッドの中に私のじゃないリュックが入っていた。


「誰よっ、人の部屋に勝手に荷物を置いたのはっ」


 別の部屋の人が間違えたのかな。

 いちいち持っていくのは面倒だし、邪魔なので放り投げた。

 部屋の戸が勢いよく開く。

 ダイだった。


「きゃっ! な、なんの用よっ」

「お前こそ、人の部屋でなにやってんだ」


 お風呂上りのミルクを手にずかずかと部屋の中に入ってきた。

 ふっ、やっぱりお子様ね。

 普通、湯上りは紅茶でしょ。

 お砂糖は二十杯くらいいれてね。


 じゃなくて。


「間違えないでよ、ここは私の部屋だよ」

「は? 寝ぼけるなよ、オレは一昨日からずっとこの部屋に泊まってんだ」


 あれ? ひょっとして私が間違えた?

 いやいや、もらった鍵でドアは開いたし。

 私が間違ってるはずない。


「ここは三号室だよ。先生からここに泊まるように言われたんだから」

「オレだってそうだ。グレイロードからしばらくここに住めって言われてる」


 ダイがポケットから取り出した鍵は、私のと同じく三号室の札がついていた。

 え、なに、それってつまりどういうこと?

 私にコイツと同じ部屋で寝ろっていうの?


 冗談じゃない! 

 いくら先生の指示でも、男の子と同じ部屋で寝泊りするなんて!


「私、部屋変えてもらってくる」


 フロントに向おうとしたけど、私はある事に気がついた。

 お金持ってないや……


「どうした。出て行くんじゃなかったのか」

「……ダイ、他の部屋に行ってくれない?」

「は?」

「私、お金持ってないから。ダイが他の部屋借りて、そっちに移って」

「オレだって金ねーよ」


 うう、だったら、どうしろっていうのよっ!

 ベッドが二つあるならまだいいけど、この狭い部屋にはシングルが一つだけ。


「わかった。百歩譲って同室なのは我慢しましょう」


 ともあれ、ここで言い争っても仕方ない。

 私が後から来たのは事実なんだから、それくらいはあきらめよう。

 こんなお子様に何かされるとも思わないし。

 あと早く寝たいし。


「私は女の子、ダイは男の子」

「だからなんだ」

「私がベッドで寝るから、ダイは床で寝てね」


 つかつかと歩み寄ってきて、ダイは私の頭をぱしんと叩いた。


「なにをするのかっ」

「後から来たクセに調子のいいこと言ってんじゃねー。お前が床で寝ろ」


 ダイは毛布を一枚床に放り出すと、私をベッドの上から突き落とした。


「ひどい! それでも男の子なのっ」

「後から来たのはお前だ。当然だろ」


 こいつの頭の中にはレディーファーストって言葉はないのか!

 疲れてるのに、体調悪いのにっ。

 あ、ダメ……怒ったらまたキモチ悪くなってきた。

 うう、なんだか泣きたくなってきたぞっ。


「おい、どうした」

「……吐きそう」

「おい、もうちょっと我慢しろ」


 ベッドから起き上がったダイは、私の肩を支えてくれた。

 介抱してくれるんだ。なんだ、こいつ結構いいところあるんじゃ――


 ばたん。

 部屋の外に出るなり、ダイは私をほったらかしにしてドアを閉めた。

 ……はい?


「どういうつもりだっ!」

「部屋を汚したくない。出すなら外でしろ」


 コイツ……本当に最悪だ。

 あう、でももう限界。言い争う余裕も残っていない。

 仕方なく私はふら付く足でトイレに向かった。

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