95 彼女の想い

 水とタオルを持って二階に上がる。

 私がそれを差し出すと、彼女は何も言わずにひったくった。

 フレスさんはベッドに寝かされている。

 スティが濡らしたタオルをフレスさんの頭にのせる。

 彼女の不安そうな表情は、さっきまでの剣幕が嘘のよう。


「私も何か手伝い――」

「うるさい」


 声をかけた私に返ってきたのは、そんな冷たい言葉だった。


「もうあんたはいいから。さっさと出て行って」

「な……」

「出て行けって言ってんでしょ。聞こえないの?」


 あまりのことに言葉を失ってしまう。

 そのまま突っ立っていると、スティはまるでフレスさんをこんな風にしたのが私だとでも言いたげな憎憎しげな目つきで睨んできた。


「……わかった」


 病人の前で口論するわけにもいかない。

 私は叫びたい衝動を堪え言われたとおりに部屋を出た。

 なんで、あんな風に言われなきゃいけないの?

 いくらなんでも、あんまりだよ。


「あ……スティ?」


 と、部屋の中からフレスさんの声が聞こえてきた。

 このまま出て行くのも癪なので、ドアの隙間から部屋の中を覗き込む。

 フレスさんの瞳はうつろで、頬も上気したまま。


「バカね。こんなになるまで動いてちゃダメじゃない」

「あはは、昨日の夜までは調子良かったんだけどね」

「姉さんは身体が弱いんだから。ちゃんと自分の体調くらい管理しさない」


 スティの声は私と喋っていた時とは別人のように優しい。

 フレスさんが起き上がろうとするけど、スティは彼女の肩を押さえてベッドに戻した。


「お夕飯、作らなきゃ」

「なに言ってるのよ。こんなに熱があるのに無理に決まってるでしょ」

「ダメよ。せっかくジュストが帰ってきたのに」


 熱のせいなのか、声色はどことなく涙混じり。


「一生懸命がんばって、輝士になって帰ってきたんだもん。私にはこれくらいしかできないけど、少しでも喜んでもらいたいから……」

「姉さん」

「ずっと、ずっと待ってたんだから。ジュストには素敵な彼女さんがいるのはわかってるけど……」


 胸がズキっとした。

 やっぱりフレスさんはジュストくんの事が好きなんだ。


「どうして、いつも私じゃないのかなぁ」


 涙声の呟き。

 聞いている方が胸が締め付けられる。


「そういえば、ルーチェさんは? 突然倒れたりして迷惑をかけちゃった」

「換えの水を汲んできてもらってるわ」

「今の、絶対に言わないでね。私、ジュストの大切な人に嫌われたくないから」

「……わかってる」

「あの人ね、ローザ姉さんにそっくりなの。可愛らしくて、才能もあって……私なんて、何のとりえもないもの。勝てるわけないわ」


 そう言ったきり俯いてしまう。

 スティはそんな彼女の背中を優しく撫で、布団をかけ直した。


「いいから。姉さんはゆっくり寝て、さっさと治しちゃいなさい」

「うん、わかった。ありがとね」


 目を閉じると、フレスさんはすぐに寝息を立て始めた。

 フレスさんが眠りに落ちたのを確認して、スティが部屋から出てきた。

 とっさの事に身を隠す暇もなかった。

 スティが私を睨む。


「あんたが悪いのよ。あんたがジュストにくっついてきたから……」


 スティの言葉は短かったけれど、何が言いたいのかはわかった。

 フレスさんはジュストくんの事が好きで、彼の帰りをずっと待っていた。

 だからスティは私にキツく当たっていたんだ。

 お姉さんの幸せを邪魔する私が気に入らなかったから。


「やっとジュストが帰ってきて、姉さんも幸せになれるはずだったのに」


 でも、そんなの……


「姉さんはあんたがローザ姉さんに似てるって言ったけど」

「な、なによっ」


 どうせ私は美人でもお淑やかでもないよっ。


「乱暴でガサツだけど頼りがいのあるローザ姉さんに比べたら、あんたなんて何の魅力もないじゃない。どうしてジュストはこんなやつを連れてきたのよ」


 乱暴でガサツで頼りがいのある?

 フレスさんの言っていたイメージとずいぶん違うような……。


「あ、でも一つだけ似てるところがあるわね」


 スティは今にも噛みつかんばかりの勢いで鼻先を近づけてきた。

 その迫力に気圧され、思わず後ずさる。


「ジュストを誘惑して、姉さんの邪魔するところなんてそっくりよ」

「なっ……!?」


 ゆ、誘惑なんてしてないし!


「わかるでしょう。フレス姉さんは昔からジュストの事が好きだったの。誰よりも純粋にあの朴念仁のことを想ってたのよ。あんたの前じゃ気を遣って言わないけどね」

「けど、私だって……」


 私だって、ジュストくんの事……


「あんな優しい人が幸せになれないなんて間違ってる。なのに、どうして遊び人のローザ姉さんや、いきなり現れたあんたが横からかすめ取ろうとするの!?」

「私だって……」


 好きなのに……


「どうしてみんな、姉さんが幸せになろうとするのを邪魔するのよ……!」


 その怒りはとても理不尽。

 それでも、スティのフレスさんを思う気持ちは本物だ。

 フレスさんはずっと昔から、それこそ長い間離れ離れになっていた間も、ジュストくんのことを愛し続けていた。


「私は……」


 フレスさんは優しくて、本当にいい人だ。

 私もできるなら幸せになってもらいたいと思う。

 お姉さんを失った過去を聞かされた後ではなおさらそう思う。


 私だってジュストくんの事は大好き。

 でも、フレスさんにとって私は、いきなり現れた邪魔者。

 八年も待って、ようやく再会した好きな人についてきた、得体の知れない女。

 優しくてそれをはっきり言えない彼女に変わって、妹のスティが私に恨みをぶつける。


「出て行ってよ、お願いだから……」


 喉から絞り出すような、小声だけどはっきりとした呟き。

 私は何も言えず、その場で立ちすくむことしかできなかった。




   ※


「眠そうだな」

「別に……」


 身体に残っている筋肉痛はまだ辛い。

 けどそれ以上に、フレスさんのことが気になってほとんど眠れなかった。

 心配なんかしてなさそうな先生の言葉を適当に流して私は修行に集中する。


「疲れが溜まってるのか」

「まあ、かなり……」

「ちょっと来い」


 先生は私の頭に手をかざして輝言を唱え始めた。

 またあれか!? と思って反射的に身構える。

 けれど、思ったようなキモチ悪さは訪れなかった。

 それどころか身体の痛みが一瞬にして吹き飛んだ。


「これ、体力回復の輝術ですか?」


 びっくりすることに、先生は私の筋肉痛を一瞬で癒してしまった。

 治癒の術は輝術の中でも難度が高く、使える人間はめったにいない。

 だから普通はお医者さんに掛かったり、薬草を使ったりするんだけど、どっちにしてもこんな風に一瞬で回復することはない。

 すごい、けど……

 これで筋肉痛を言い訳にすることはできなくなりました。




 もともと歩くのは好きなので、ペースさえ掴めればランニングは辛くない。

 問題はその後の筋トレだけど、体が慣れるまで徐々に回数を増やしていく約束をすることで許してもらえた。

 とは言っても、現状で腕立ては二回がやっと。

 腹筋背筋スクワットも十回程度でもうダウン。

 筋力のなさには心底呆れられてしまった。


「ライテル! 光!」


 そして、日が暮れ始めてようやく術の練習。

 というより、いろいろ叫んで試してみるだけだけど。

 オリジナルの輝術なんてそう簡単に思いつくわけもなく、


「うう、できません」


 考え事があるから、なおさら集中が続かない。

 ジュストくんやフレスさんのことが頭から離れず、気を抜くと余計なことばかり頭に浮かんでしまう。

 ちょいちょい。

 先生が手招きする。


「なんですか?」


 先生は近づいた私の手を掴み、輝言を唱え始めた。


「――強制注輝ニテンス


 ――っ!

 完全に油断してた。

 途端に足元がふらつき、吐き気がこみ上げてくる。


「せんせ……っ」

「集中してない罰だ。余計な事を考えてないで、そのまま続けろ」


 雪山でやられた例のやつ。

 立っているだけで辛く、とてもじゃないけど集中なんてできやしない。


「せんっ、キモチ悪」

「向こうに川があるから、出すならそっちに行け」


 うすうすはわかっていたけど、この人たぶん、とんでもないサディストだ。

 どうして私がこんな目に……

 あう、おえっぷ。

 結局、術は一度も成功しなかった。

 今日もまた辛いだけの無駄な時間を過ごしてしまいました。

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