94 二日目の朝

「ルーチェさん、大丈夫ですか?」

「……え?」


 フォークを置いて振り向く。

 フレスさんが心配そうに私の顔を覗き込んでいた。


「具合が悪いなら部屋で休んでください。食べ易いものを作ってお持ちしますよ」

「あ、ううん。大丈夫ですから、気にしないで」


 とは言ったものの、正直けっこうボロボロ。

 昨日のランニング……

 途中、何度も転びながらも、汗だくになって走りきった。

 それは良かったけれど、体力の限界は完璧に超えた。

 足は棒のようで、呼吸もまともにできない有様。

 運動不足の身体には厳しすぎる!

 当然、その後の筋トレは全くできず。

 倒れては起き上がるを繰り返していたら日が暮れてしまった。


 翌日になっても疲れはとれず。

 頭もまともに働かない。

 とてもじゃないけれど自分だけの術を考える余裕なんてないよ。


「体を壊したら元も子もありませんよ。あまり無理をしないでくださいね」

「ありがとうございます」


 ああ、フレスさんの優しさが疲れた身体に染み渡る。

 他のみんなは出かけていて、今はフレスさんと二人っきり。

 ご飯は美味しいし、すごく気を遣ってくれるし……

 こんなお嫁さんがいたら楽だろうなあ。


「そう言えば、ネーヴェさんはどこに行ったんですか?」


 食後、私は食器を片付けているフレスさんに話しかけた。

 本当は手伝いたいけど、体が言うことを聞いてくれないので無理。

 ジュストくんは見回りで、スティは剣術の練習。

 ソフィちゃんは部屋に戻って読書にいそしんでいる。

 ジュストくんのお母様、ネーヴェさんだけ行方が知れない。

 昼間は一日中ごろごろしてたらしいけど。


「昨日のジュストとネーヴェさんを見て、どう思いました?」

「えっ? えっと、久しぶりに会ったにしては、淡々としてたような……」


 そっけなさ過ぎてびっくりしたくらい。

 冷めた人っていう印象だったけど、ああいう性格なんだろう。


「『どんな結果になろうと、お前が帰ってくる時はいつもどおりに出迎えてやる。だからいつでも遠慮なく帰って来い』」

「え?」

「ジュストが村を出たとき、ネーヴェさんが言ったそうですよ」


 ああ、そっか。

 あのやり取りに、そんな深い意味が込められていたんだ。

 素っ気ないのも愛情の形。

 お母さんって、そういうものなのかな。

 なんだか胸が締め付けられる。


「でも、実はですね……ふふ」


 フレスさんは手をタオルで拭きながら私の隣に立つ。

 それから含み笑いをして「内緒ですよ」と言ってから耳打ちした。


「ジュストってば、夜中に泣いてたんですよ。ネーヴェさんの部屋で」


 え、えええっ?


「ジュストはお母さん子だったから。本当は寂しかったんでしょうね。ネーヴェさんも普段は口にしないけど、彼のこと本当に心配していたみたいですよ」


 今度こそ本気でびっくりした。

 あんな強くて頼りになるジュストくんが、泣いてた?

 いや、でも、小さい頃に一人で村を飛び出してそれきりなんだし。

 久しぶりの再会なら、それくらいはアリかなぁ。


 カチャリ、と音を立てて目の前に紅茶のカップが置かれた。


「薬草入りの紅茶です。疲れなんか吹っ飛んじゃいますよ」

「あ、ありがとうございます」


 お礼を言って紅茶を啜ると、フレスさんはニコリと笑った。


「美味しい……」

「悪くないでしょう。姉さんもこれが大好きでした」


 姉さん……?


「あの、それって」

「ローザっていう、年の離れた姉がいたんです。もうずっと前に死んじゃったんですけどね」


 前にソフィちゃんから聞いた人だ。

 フレスさんたち姉妹の一番上のお姉さん。

 八年前に残存エヴィルに殺されてしまった人。


「淑やかで、気品があって、思いやりがあって、綺麗で、優しくて、強くて……いなくなっちゃった今でも、私の永遠の憧れなんです」


 昔を懐かしむように遠くを見つめるフレスさん。

 物思いに耽るその横顔はとても綺麗だった。

 ローザさんっていうはきっと、とても素敵な人だったに違いない。


「そうですね。ちょっと、ルーチェさんに似ているかもしれませんね」


 ……は?


「誰が誰に似ているんですか?」

「ルーチェさんが、ローザ姉さんにです。外見や性格は全然違うんですけど、なんとなく雰囲気が似ているような気がします」


 ちょ、ちょっと待って。


「淑やかで気品があって思いやりがあって綺麗で優しくて強い人なんですよね」

「はい」

「私、ぜんぜんそんなじゃないですけど」」


 どう考えてもそんな素敵な人と比べられるほど立派じゃない。

 輝工都市アジールのお嬢様学校に通っているとはいえ、私は何のとりえもない平凡な学生だし。


「いいえ、ルーチェさんは素敵だと思いますよ。綺麗で、知的で、お嬢様みたいで……本当に姉さんそっくり」


 フレスさんがテーブルに肘をつき、頬を赤く染めて私を見ていた。

 その熱っぽい表情に思わずドキリとしてしまう。


「い、いやいや、それを行ったらフレスさんの方が……」


 むしろ私に比べれば、フレスさんの方がずっとお嬢様っぽいくらい。

 長袖長スカートは今の季節にはとても暑そうだけど、彼女が着ると不思議と涼しげに見える。

 ハッキリ言って、かなり美人だ。

 護ってあげたくなるタイプというか、都市に来たらすごく男の子にモテそう。


 前は何とも思っていないって言っていたけど……

 もし本当はフレスさんもジュスト君のことが好きだったら?

 心が美しくて、優しくて、面倒見が良くて、見た目も綺麗で。

 一緒に暮らした年月もずっと長い。

 そして何より、私よりよくジュストくんのことを知っている。


 本気でライバルになったら、勝てる気がしないなぁ……


 なんだかせつなくなった。

 私はため息をつき、フレスさんの横顔を眺め……あれ?


「あの、フレスさん」

「ん……なんですか」

「顔、赤くないですか?」


 熱っぽい表情というか、本当に熱があるみたいな。


「いえ、大丈夫で……」


 返事をすると同時に、彼女の身体が足下から崩れるように倒れた。

 テーブルの上の花瓶を巻き込み大きな音を立てる。


「ふ、フレスさん!?」


 私は椅子から立ち上がると、慌てて彼女を抱き起こした。

 ぶちまけられた花瓶の水が彼女の服を濡らしてしまっている。


「大丈夫ですか、どうしたんですか」

「あ……う……?」


 うつろな目で宙を見るフレスさん。

 苦しそうに胸を上下させている。

 額に手を当てると、ものすごく熱かった。


「す、すごい熱じゃないですか!」

 

 ……もしかして。

 先日の狼雷団の一件を思い出す。

 私はフレスさんの服の袖を捲った。


 肌の色は……やや色白だけど、綺麗な肌色。

 子どもたちがやられたあの病気じゃない。

 とりあえずは一安心だけど、フレスさんは意識も朦朧として立ち上がる事さえできない様子。

 どうしよう、ベッドに運んだ方がいいよね。

 でも私の力じゃ彼女を持ち上げるのは難しいし、服も着替えさせなくちゃ……


「ただい……あっ」


 あっ、スティ。

 いいところに帰ってきた。


「あの、フレスさんが」

「どいて!」


 スティがからフレスさんを引き離す。

 肩を掴んでがくがくと乱暴に揺する。

 額に手を当てて熱を測り、何度か名前を呼ぶ。 

 返事がないとわかると、彼女はフレスさんを力任せに抱き上げた。

 わあ、すごい力持ち。


「あんた!」

「は、はい!」

「姉さんを寝室に運ぶわ。水を汲んで、タオルを濡らしてもってきて!」


 強い口調で命令をして、スティはフレスさんを抱えて二階に上がっていった。

 意外とテキパキした対処に感心する。

 私は言われた通り水を汲むため、バケツをもって井戸へ向かった。

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