「おはよう。久し振り」


夏休みを、

これでもかというほど無駄に過ごして9月。


他愛もない話をクラスメイトと交わしながら、

頭は彼のことしか考えられなかった。


私のはなしを聞いてくれるのは、

やっぱりあなたが良くて。

にこにこしながら聞いてくれる、

あなたが良くて。


大きすぎる優しさに、

また包まれたい。


そして、

今度は私もあなたを包みたいの。


でも、


「っ、」


あなたと廊下ですれ違って偶然目が合っても、

お互いスッと逸らしてしまって。


中学生の時に告白されたあとよりも、

よっぽど気まずい気がした。


9月で、まだ暑いのに相変わらず長袖のあなた。

あのときあなたが褒めてくれたとき、

笑顔でお礼を言えていたら何かが変わっていたのかな。


気になったのは。


あなたの右頬に貼られたガーゼ。

どうしたのか知りたいのに、

ケガしたの?

どうしたの?


なんて、聞くことができない。





そんなこんなで、

ゆらゆらと魂が抜けたように生活していれば、

あっという間に10月で。


ああ、成績、最悪だよ。

勉強なんて、

手につかない。


そんなある日の放課後、

友達から意外な話を聞いた。




「ねえ、


紗佳の彼、

就職するんだって?」


紗佳の彼、

を理解するのに数秒かかった。


別れたこと、

言ってないから知らないのか。


それより、


「え、就職?」


就職だなんて、

正直、

この学校ではありえない。


みんな、

当たり前のように進学するから。

当たり前のように大学に行くから。


就職という選択肢は、

この高校の生徒の頭の中には

全くない。全く。


「あれ、知らないのか。


職員室で先生が話しているのをたまたま聞いちゃって。」


言っちゃいけないことだったかな、

と、

友達の呟きを聞きながら

完全に意識は目の前の友達から反れていた。


就職?

どうして?

なんで?


志望校の話、したよね?


彼は、なんて言ってた?


たしか、

たしか、


"迷ってる"


だっけ。


あれって、

進学か就職かを迷ってるってことだったの?


そういうことなの?


どうして?

家庭の事情?



考えてみれば、

私は、

彼のことをほとんど知らなかった。


将来何になりたいのか、

好きな食べ物はなんなのか、

趣味はなんなのか、

好きな女の子のタイプも、

兄弟構成も、

その他もろもろのおうちのことも、

知らない。


彼の口から、

彼のご両親だとかの話が出たことはない。


あれ、

考えてみれば、

それってちょっと変じゃない?



彼とは付き合う前でもそれなりによく話してたから。

私は何度か家のことを言ったことがある気がするけど、

彼は全くなかった。


そして、

蘇る彼の姿。


ああ、

もしかしたら。

考えたくないけど、

もしかしたら。

そうではないと願うけれど、

もしかしたら。


私の予想が当たっていたとしたら、

私は花火大会の日、

ひどいことを言ってしまった。

そのときは何気なく言ったけれど、

彼にとっては突き刺さるような言葉。


たしかにあのときの彼は、

顔を一瞬、歪めていた。


ごめんごめん、

本当に、ごめんね。


私は今すぐ、

君に会いに行くよ。



「ごめん、ちょっと行ってくる」


友達に言ってから、

教室を飛び出した。


向かうのは、

ふたつとなりの彼のクラス。


まだ、

帰ってないよね?

まだ帰らないで!

話したいことがあるの!


教室の入り口のドアの透明な窓から、

彼の姿を探す。


いない。


教室から出てきた知らない男の子に彼のことを聞いたら、


「今日、休みだったけど。」


やす、み?


私が知る限り、

彼が学校を休むなんてことは今までなかった。




「理由は、わかる?」



「んー、なんか具合悪いみたいな?


最近、ケガしてたしな。」


嘘、嘘。


それは、

やばいよ。


やばいことに、

なってる。



急がなきゃ、急がなきゃ。


「ありがとう」


言いながらダッシュで教室に戻って、

鞄を引っ掴んで、

急いで彼に、

"プリントを預かって、届けるように先生に頼まれたから家教えて"と

嘘のラインを送って、

学校を飛び出した。


会いたい、だなんて言ったら、

拒否されるだろうから。


今日の彼は、

人に会える姿ではないと思うから。


彼と何度も歩いた道を走りながら念じる。


お願いします、

家にいてください。

無事だよね?

あなたは無事だよね?

間に合わなかったら、

承知しないんだから。



そして、

告白も、絶対にしなきゃ。

あなたにちゃんと伝えなきゃ。

あなたはもう私のこと好きでなくても、

私はあなたに伝えたい。

感謝の気持ちと、

謝罪の言葉と、

あなたを想う気持ち。



走って走って走りまくって、

必死になると人間、

こんなに走れるもんなのか、

と思いながらも

息を切らして走って、

とりあえず電車に飛び乗って、

スマホを開いた。


『そっか。ごめんね。』


その言葉に続けて、

彼の家への行き方が書いてあった。

これなら、

けっこう近い。


彼の最寄り駅で電車を降りて、

そこからも走りまくって、

彼の家にたどり着いた。




息を整える時間すらも惜しくて、

すぐにインターホンを押した。


彼が出ますように。

お願いします、

彼が出てください。


祈るように待っていると、


『はい』


懐かしい声が、

耳を撫でた。


「私、私、」


『あ、ありがとう。


ごめん今、

俺、ちょっと外に出れないからポストに』



「今、家に他に誰かいる?」



『え、・・・ああ、いないけど』



「ごめん、それ、嘘なの、

プリントなんてない、


どうしても、

どうしても、

会いたくて、

会って話がしたくて来たの。


言いたいことがあるの、

少しでも、

話したい。

お願い、

ごめん、振られたのに急に押し掛けて、


でも、

ちょっとでもいいから、

会って話したいの。

お願いします」



『わかっ、た。


いいけど、

俺の格好、ひどいから。

嫌なもの見せちゃうと思う。

目、逸らしていいから。』




大丈夫、

予想できてるから。


とりあえず、

会ってくれるということで安心した。


深呼吸をしてから、

何をみても驚かないこと、

と自分に言い聞かせた。


まもなくして

ガチャ、とドアが開いて出てきた彼を見て、

予想以上のひどさに思わず息をのんでしまった。


「ごめん、こんなんで」


視線を宙にさ迷わせながら

少しうつむいて言うあなた。


顔中を埋め尽くす、

青紫色のアザ。

思わず目をそらしたくなるほどの痛々しさだけど、

私は

絶対に目を逸らしちゃだめ。



ごめんね、

ごめんね、

今まで何も気づけなくて。

そのうえ、

あなたを傷つけていた。


ごめんね、

ごめんなさい、ごめんなさい。


「あの、ね、」


私の言葉を彼が遮る。


「家の中で、でもいい?

そっちの方が、良いと思うから。」


あなたがどんな表情をしているのか、

よく見えない。



「うん。じゃあ、お邪魔します。」


玄関に足を踏み入れて、

すぐに彼の後に続いて廊下の階段を上った。


チラリと見えたリビングには、

物が散乱していた。

割れた食器、

破れて綿が出たクッション、

倒れたソファー、

大きな傷がついたテレビ。




ああ、

本当に、

ごめんね。



あなたの苦しみに、

私は何も気付けなかった。





「どうぞ。なんもないけど。」



彼がドアを開けて、

私を先に中に入れた。



「ありがとう」


彼の部屋の様子を観察する余裕なんて、

なかった。



私、

言うんだ、

ちゃんと、

全部言うんだ。

怖がってちゃ、だめ。


心を落ち着かせるようにして、

すうっと息を吸った。




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