ホラー・オカルト

Who is ?

 瞼を持ち上げると、眩いばかりの閃光に私は包みこまれた。宙に浮いた白い円盤状の物体が、淡い光を両目の隙間から侵入させてくる。ゆっくりと目を開き、重い身体を持ち上げると無機質なモノトーンの室内が私を現実へと迎え入れた。

 部屋の中には白で統一された調度品の数々。天井に設置されたシーリングライトがそれらを幻惑的に照らし出している。

 私は大きな欠伸を一つする。

 隅に設置されているごく有り触れたデザインのウォーターサーバーから透明で柔らかいプラスチック製のコップを取り水を注ぐ。一息に飲み干すと冷えた感触が唇を伝い、乾きかけの喉を潤した。美味いと呟く。

 顔をベッドとは反対側の方向へ向けると、金属製のドアが目に入った。小窓や鍵穴の類は一切見当たらず、ドアノブや取っ手すらない。壁の窪んだ一部分に巨大な分厚い鉄板がはめ込まれているようなものだ。このドアは自らの意志で開けることは不可能であり、なんらかの手法もしくは外部からの操作によってのみ開閉する仕組みになっている。最も、これらはただの憶測に過ぎず、詳しいことは何一つ分かっていないのだが。

 そこまで思考した時、ふと室内に軽快なアラーム音が鳴り響き、金属板が静かに横へとスライドした。通路の入り口の上部に設置されたディジタル時計は午前七時を示す文字列を表示している。朝食の時間だなとぼんやり考えながら通路に出て、そのまま食堂へと向かう。

 もはや歩き慣れた道のりだ。私は食堂に入り指定された座席に腰掛けると一息つき、ぐるりと周囲を――狭い室内を見回す。食堂といってもあるものは大型の机と椅子が四つ、それと少し離れたところにぽつんと置かれた小さな机と簡素な椅子ぐらいで調理場は影も形もなく、奇妙な昆虫の絵のほかテレビなどの文明の利器は一切存在しない。付け加えるならばどの机の上にも共通して大して美味そうに見えない陳腐な食事が並んでいることぐらいか。

 少し待つと白い服を着た三人の人間が入ってきた。互いに簡単な挨拶を済ませる彼らはそれぞれの席に着く。小さな机のところには誰も座ろうとはしない。

「それでは、いただきましょうか」

 一つの机に四人の人間が集まったのを確認すると私は静かに両手を合わせて言った。他の三人も同様に、いただきましょうと口にする。これが最後の朝食になるのかなどと考えながら乾燥した棒状の栄養食品を掴み、それに齧りつこうとしたその時だった。

 部屋に、一人の男が入ってきた。薄気味悪いとしか形容しようのない男である、身に着けている服は私や席を共にしている三人と同様に洗い立てのような清潔感のある白い上下の服であるがその顔つきは非常に憔悴しきっており、髪はぼさぼさで両目は狂気を帯びていた。

 その男の出現と同時に、にわかに周囲の人間に僅かな緊張が走る。

 我々の、私の、この場における仕事とは。この男を無視し続けることである。

 そもそも何故私がこのような空間でこのような仕事を行っているのか。話は数日前に遡る。

 ギャンブルに溺れて貴重な金をドブに捨ててしまった私に対し、友人が社会復帰の一環としてとある仕事を紹介してくれたのである。

 曰く、五日間で六十万円稼げるバイトだという。そんな美味い話があるはずがない。不審に思った私が詳しいことを尋ねると、友人は更に情報を提供してくれた。

 これはとある心理学者の理論に基づいて実施される一種の臨床試験であること。背後には有名なある製薬会社を始めとする多くの企業が関わっていること。試験時、被験者と他の参加者は共同の生活スペースで五日間過ごすこと。試験を実施する場所の詳細は一切伏せられ、期間中の外出及び外部との連絡は制限されること。五日間ごとに被験者を除く全てのアルバイト対象者が入れ替わること。危険の多い仕事のため何があっても責任はとれないこと。そして、実験期間中他の参加者は決して被験者と会話してはならないこと。

 案外ボロい仕事だよと笑顔で話す友人に勧められるままに私はこの仕事に参加した。不透明な部分も多かったが、とにかく今は純粋に金が欲しかったのだ。

 妙な黒服の男たちに連れられて案内されたのは、やたらに無個性的な部屋が立ち並んだ施設だった。所持品を全て没収され、白い服を着せられると、先にいたアルバイトの参加者と思しき三人の男が私を出迎え、そのまま私は初めて施設内での食事を行なった。そしてそこで、試験の対象者という扱いの、醜い人物の目を見た。

 そして今もなお、その爛々と光る瞳が、私をジッと見つめている。努めて冷静に、スティックを齧ると、パサパサとした感触が口の中に広がった。お世辞にも美味いとはいえない味だ。

「私を見ているな?」

 ふと、しわがれた、だがどこか威厳を漂わせるような声で男はつぶやいた。否、つぶやいたのではない。その声は確かに私へと向けられて発せられたものだ。

「私の声が、聞こえているな?」

「ねえ皆さん、今日は大事な話があるんですが、聞いてくれますか」

 テーブルの上にあったコップの水を一息に飲み干し、周囲に助けを求めるように呼びかける。他の三人はすぐに私の話に耳を傾ける姿勢を見せてくれる。

「実は皆さん、知っての通り、私は今日で五日目を迎えます。その為皆さんとはこの朝食をもってお別れとなります。短い間でしたがありがとうございました」

 周囲から小さく拍手が起きる。数日前までは私もその中の一人だった。五日目の最終日を迎えた参加者は朝食の席で簡単な挨拶を行ない、後から現れる黒服の男たちに連れられて施設から退場する。友人が言うにはその後預かられていた物品を全て返却され、約束の一千万を渡されるという。どこまでが事実なのかは疑わしいが、とにかくこの胡乱な狂人から逃れることはできるはずだ。

 実のところ、私は怯えていたのかもしれない。なんせこの男は五日の間いつも隅で何かつぶやくばかりで、直接私に向けて話しかけてくることなど無かったのだから。

「逃げる気か! この臆病者め!」

 不意に男が叫んだ」。他の参加者たちは驚いたのか、びくりと身を震わせている。私はといえば、あまりの迫力にただ呆然と突っ立っているしかなかった。

 そんな私の胸ぐらを男が唐突につかみ、喚き立てる。

「私が見えているのだろう! 私の言葉が通じているのだろう! 私はここにいるぞ。存在しているはずだ。何故ならお前は私を観測している。五日前から今この時に至るまでにお前は必ず私の眼を見た! 言語に対する反応も見せた! つまりお前は私を認識している。さぁ、言え! 私は誰だ! 私は、誰なんだ!」

 男の声が耳の中で鳴り響く。気が付けば私は両腕で男の身体を突き飛ばしていた。

「黙れ! 黙れーッ!」

 今度は男が驚きの表情を浮かべる番だった。その隙を見て私は食堂を飛び出し、無我夢中で走り出す。

 しばらく廊下をがむしゃらに走り続け、私はふと立ち止まった。目の前には二人の黒服が佇んでいる。

「お疲れ様でした。ご自宅までお送りさせていたただきます」

「ありがとう」

 私は黒服の後について歩き始める。ようやく仕事が終了する。これで借金も無事返すことができるだろう。ただ気がかりな事が一つだけあった。私は最後にそれを尋ねる。

「あの男は一体……何だったんだ?」

「ただの狂人ですよ」

 男は笑ってそう答えた。

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