帰還

 ミュラー子爵の治める町、エイトリアムまでの移動は、ピーちゃんの瞬間移動の魔法で一発だった。ちなみに血の魔女なる紫肌の彼女の処遇については、十分に言い聞かせたので大丈夫だろう、とのピーちゃんの言葉に従った。


 二人の間にどういった交流があったのかは知らないが、こちらの世界の常識に疎い弟子は、師匠の言葉に素直に応じることにした。面識があると言っていたし、お互いに知らない仲でもないとなると、他所から口を挟むことは憚られた。


 ミュラー子爵とマルクス王子もこれに同じく。


 腐れ縁だとか、元カノだとか、義理の妹だとか、脳裏には色々と想像も浮かんだ。髪が長かったので、多分、彼ではなく彼女だと思われる紫の人。ピーちゃんとの関係が気にならないと言えば嘘になる。


 ただ、そうこうしている間に相手が逃げ出して、なにをどうすることもない。


 おかげでこれと言って、現場では揉めることもなかった。


 そんなこんなで一瞬にして、周囲の様相が見慣れた光景に取って代わる。


 瞬間移動の魔法により移動した先は、ミュラー子爵のお宅の中庭だ。これまで森の中を延々と歩き回っていた苦労は何だったのかと、頭では理解していたものの、思わず目眩を覚えた。いつか絶対にゲットしてやると、改めて誓った。


 そうして場所を移した直後のこと、ふと思い出した。


 この度の帰還は決して良い知らせばかりではない。ミュラー子爵が家を留守にしている間に、こちらのお城では色々と大変なことが重なっていた。跡目争いが勃発の上、長男と次男が死亡、腹を括った長女が臨時で家督に就いている。


 おかげでどうしよう。


 帰宅した子爵様が受けるショックを思うと足が動かない。


 見ず知らずのマーゲン帝国の兵に対しては、その全滅を受けてもこれといって心が動くことはなかった。面識がない上に、敵対国の兵という位置づけも手伝ってだろう。自身が直接手を下した訳ではないことも影響している。


 一方で知人のお子さんとなると、どうしても気になってしまうのが人情というもの。自分に対して良くしてくれた人の息子さんともなれば尚更に。直接関係はなくとも、自身にも何かできることがあったのではないか、とか。


「どうした? ササキ殿」


「いえ、それがその、ミュラー子爵が留守の間に色々とありまして」


「それはもしや愚息たちの跡目争いについてだろうか?」


「……ご存知だったのですか?」


 いやまさか、そんな訳がない。


 跡目争いが始まったのはミュラー子爵の死亡が伝えられてからだ。実際にはこうして存命であったけれど、時系列的に成り立たない。息子さんたちが争い始めた頃には、既に彼は森の中を彷徨っていた筈だ。


 そうなると、以前からその兆候はあった、ということか。


「その件についてであれば、気遣いは不要だ」


「しかし……」


「詳しい話は後ほど話す。ただ、どうか今は気にしないでいて欲しい」


「……承知しました」


 ミュラー子爵もミュラー子爵で色々と抱えているのかも知れない。


 これ以上は我々から言葉を掛けることも憚られた。




◇ ◆ ◇




 予期せず姿を現したミュラー子爵を受けて、お城は大騒ぎになった。


 つい先日までは死んだものとして扱われていたのだから、当然と言えば当然だろうか。まるで墓場にお化けでも見つけたように、誰もが声を上げて慌てる様子は、不謹慎かも知れないが、ちょっと可笑しかった。


 そして、これにマルクス王子もご一緒とあらば、てんやわんやの騒動である。


 どうやら殿下もまた、今回の戦では討ち死にが報告されていたらしい。これをミュラー子爵が身を挺してお救いしたとあらば、それはもう大変な名誉であるのだとか何だとか、お城の人たちは口々に語っていた。


 おかげでお通夜さながらであった雰囲気は、一変してお祭り騒ぎである。


 取り急ぎ我々は客間に通されて、どうぞごゆっくりお休み下さい、とのこと。ミュラー子爵とマルクス王子は他に色々とやることがあるからと、二人でどこへとも出掛けていった。また夜にでも、とのことである。


 そこで自分とピーちゃんはハーマン商会に向かった。


 副店長さんを尋ねると、応接室に通された。


 そこで彼にミュラー子爵が無事であること。また、子爵様がマルクス王子を戦場から助け出したこと。更にはマーゲン帝国の軍勢が一夜にして消失したこと。自身が知る限りの情報を、ピーちゃんの存在を除いてお伝えした。


 商人であれば、多少なりとも嬉しい情報だと考えた次第だ。


 すると彼は両手を震わせながら、感謝の言葉を口にした。


「ササキさん、ありがとうございますっ」


「いえいえ、自分も偶然から居合わせただけでして」


「この商機は大きいですよ! 絶対にモノにしてみせますっ!」


「それはなによりです」


 来週には首都に向けて発つと語っていた彼だから、こうして捕まえることができて良かった。もしも出発してしまっていたら、話をすることも難しかっただろう。こちらの世界を訪れて間もない身の上、町の外は完全にアウェイである。


「早速ですが首都に向けて早馬を走らせようと思います」


「では、私は失礼しますね」


「お待ち下さい、情報の対価をお渡ししなければ」


「それは結構ですよ。近いうちにミュラー子爵から流布される筈です。そうなれば誰もが知ることとなるでしょう」


「その僅かな差が大変重要なのですよ」


「なるほど」


「それではこうしましょう。私はこの機会で大きく儲けてみせます。その儲けに見合った額をササキさんにお支払いします。こちらの町の仕組みに不慣れなササキさんに、今の時点で情報のお値段をお聞きするのは、フェアではありませんからね」


「お気遣いありがとうございます」


「それでは私は急ぎますので……」


「ああ、そういうことでしたら、明日またよろしいでしょうか?」


「それは構いませんが、何か急ぎのご用でしょうか?」


「明日、マルクス王子とミュラー子爵を首都までお送りする予定になっています。詳しくはご説明できませんが、手紙を届ける程度であれば、私がお持ちしましょう。その方が馬を走らせるよりも、幾らか早く届くかと思います」


「それでしたら、私どもの早馬と大差ないのでは?」


「いえ、明日中には首都まで到着する予定ですので」


「……明日中、ですか?」


「ええ、明日中です」


「いやしかし、それは……」


「そうでないと情報の鮮度が落ちてしまいますから」


「……なるほど」


 どうやらこちらの意図を察してくれたようだ。


 早馬より早い移動方法だと、たとえば飛竜なる生き物がいるらしい。小型のドラゴンを飼いならして家畜化したものだとピーちゃんが言っていた。魔法を使えない者でも、これに乗れば空を比較的速く移動できるそうな。


 それでも一両日中に到着するというのは、なかなか困難な行いであるように思われる。ただ、そうした何かしらの手立てについて、こちらの副店長さんはお口にチャックをしていて下さる人物である。


 それがハーマン商会の利益に関わってくるともなれば尚の事。


 そして、彼が利益を得ることは、自分やピーちゃんにとっても益のある話だ。しかも今回はミュラー子爵の他に王族であるマルクス王子が一緒なので、彼の存在をだしにして、第三者からの協力を匂わせることもできる。非常に都合がいい。


 手紙は明日中に届く。


 その事実だけが、ハーマン商会さんにとっては大切だ。


「いかがでしょうか?」


「そういうことであれば、是非お願いいたします」


 副店長さんは笑顔で頷いてみせた。


 満面の笑みである。


「承知しました」


「すぐに用意しますので、少々お待ち下さい」


 そう言い残して、マルクさんは駆け足で応接室を出て行った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る