第63話 VSアバイゾ 2


 バンッ、という音は強く鼓膜を振動させた。

 命の終幕を告げるには、あまりにも呆気ない音だ。


 刹那の恐怖感で、命を刈り取る凶器。

 痛みさえ覚えなかった。それほど刹那の出来事だったのだろうか。


 周囲から物音がしない。それだけで、自らが天に召されたと思うには十分だった。

 だが、次の瞬間。その考えは打ち消された。


「うぐっ……」


 微かに届いた嗚咽のような音。それに続き、コータの頬に生暖かい液体が触れた。

 恐る恐る手を持ち上げ、謎の液体に触れる。水、というにはどこかドロっとしたような感触がある。

 銃口を向けられている恐怖から少しでも逃れようと、伏せていた目を開いてそれを確認した。


「……血ッ!?」


 毒々しい程に真っ赤のそれは、間違いなく血だった。


「バカだなッ!」


 それを確認したとき。至近距離から発射された轟音に、おかしくなっていた聴覚が機能を取り戻した。

 そして、高笑いに混ざって放たれるアバイゾの言葉が耳朶を打った。


「あれほど人間を劣等種だと嘲笑い、我と手を組み人間を陥れようとしたお前がッ! まさか人間を庇ってくたばるとはッ」


 眼前に転がる無情なロイの骸。

 目を剥き、心臓部からは鮮血が流れでている。

 流れ出た鮮血が、綺麗な金色の髪を朱に染め上げていく。


「ロイ!!!」


 腹部が痛かったことなど忘れたかのように、コータはありったけの声量で眼前で無情な姿を晒しているロイの名を呼んだ。しかし、返事が来るわけがない。

 大地を這いずるようにして、ロイの元へと行く。ロイの元へと寄る途中、鮮血を踏みズボンが朱に染め上げられていく。だが、そんなことは気にもならない。


「頼む……」


 僅かでも息がある。一縷の望みに賭けて、顔をロイの元へと近づける。しかし、呼吸が感じられない。


「無駄よ……」


 ――心臓マッサージをすれば。


 どうにかしてロイをこちらの世界に引き留めようと考え、実行しようとするコータ。そんなコータに、静かな声が投げかけられた。


「諦めるのか!」

「私だって諦めたいわけないじゃない!」


 今にも溢れだしそうな涙がこぼれないように力を込めて。コータは何もせず俯くミリに叫んだ。それに呼応するかのように、ミリは張り裂けそうな声で返した。


「ならどうして……」


 ミリの声音に圧倒されるかのように、コータは掠れた声でそっと聞き返した。すると、今度は涙色に濡れた弱々しい声で、ミリが答えた。


「私が……、契約者だから……」


 コータにはその意味が分からなかった。諦めることと、契約者であることに何の関係があるのか。 

 それが分からなかったのだ。


「契約者と契約主は一心同体。どちらか一方の命が消えてしまえば、契約は無効となり破棄されるの」


 ピクシャは瞳を伏せて、静かに説明する。


「じゃあもう……」

「そうよ。どれだけ手を尽くしたところで死者は生き返らない」


 嗚咽交じりにミリは呟いた。目の前で息を引き取ったロイに、何もしてやれなかったことを悔やむように。

 ミリは小さい体をくの字に曲げて、崩れ落ちた。


「茶番はもういいか?」


 ドスの効いた声で放ち、銃口をコータに向けるアバイゾ。

 つい先程撃ち殺したばかりのロイには、目もくれず銃に魔力を通す。

 魔力が弾に変換され、発射準備が整う。


「調子に乗んなッ!」


 そう叫び、大地を強く踏みつけ、蹴り飛ばす。地面が抉れ、体が風に乗るかのように加速してアバイゾに向かう。

 月の宝刀を握る手に力が入る。


「その程度で我が止められると?」


 口端を釣り上げ、ニヤリと嗤うアバイゾは脚を振り上げた。

 振り上げられた脚は、その威力を殺すことなくコータの右頬を捉える。

 ゴキっ、という音が響き、自らの体は近くの樹まで吹き飛ばされる。


「うゥ……」


 木に体を打ち付けた際に、脳が震えたのか。立ち上がろうとすると、視界がグルグルと周り、しっかり立つことが出来ない。

 そこへアバイゾの押し殺したような笑い声が届く。


「危ない!」


 定まらない視界では、自分がどのような状況に置かれているかが分からない。

 そこへ張り裂けそうなミリの声音が耳朶を打った。


「我の邪魔をするな」


 少し苛立ちを覚えた声が響き、銃声が轟いた。

 音と同時に体を屈める。だがそれでは弾を避けるには遅いはずだ。だが、弾が体を穿った様子はない。

 そうしているうちに、ようやく視界が回復した。


 周囲を見渡すと、うずくまっているミリの姿があった。

 コータは急いで駆け寄る。すると、ミリの右羽を銃弾が貫通して穴を空けていた。


「ミリッ!!」


 自分でも驚く程にひび割れた声で呼びかける。


「だ、大丈夫……」


 ミリは弱々しく、今にも消えてしまいそうな声音でそっと呟く。

 ――大丈夫。

 誰がどう見てもそうでは無い様子だ。


「クソッ」


 コータは自分の不甲斐なさに吐き捨てた。何もできずに仲間が撃たれた様だけを見ている。

 自らの弱さに嘆き、奥歯が折れるほどの力で噛み締める。


「所詮は人間なんだ」


 短い言葉の後に、アバイゾは距離を縮めてくる。右手を引き、勢いを乗せた拳を振るった。

 コータは後方に下がりながら、それを受け止める。

 だが、それでも受け止めきれずに体は弾かれる。

 すぐさま剣を地面に突き刺し、つっかえ棒とする。


「小賢しい」


 コータの動きに青筋を浮かべるアバイゾは、右脚を大きく振り上げた。


「今だッ!」


 短く吐き捨て、コータは剣を後方に構え体を屈めた。

 全ての力を剣に乗せるように。全意識を剣に集中させた。

 ミリが痛みを堪える音。それを介抱するかのように、隣にいるピクシャの呼吸。それから、空を斬るアバイゾの脚の動き。

 全てが手に取るように分かる。


 《称号:感知者『圧倒的な集中力の下で、周囲の状況を把握できる者。風魔法の使い手の上位者』を獲得しました》


 瞳を伏せている暗黒の世界で。文字が浮かんで見えた。

 その文字を一瞥し、コータはすぐにそれを意識の外へとやった。

 少しでも集中力を切らしてしまえば、今感じているアバイゾの動きが感じられなくなるからだ。

 圧倒的な速度で迫る脚。それを返せるタイミングは、本当に刹那だ。

 そこを逃せば、コータがダメージを受けることになる。

 より一層、集中を研ぎ澄ませて。コータは居合斬りをするかの如く、剣を振り抜いた。

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