第16話 花見(1)
本日も晴天なり。
日曜日、雲一つない青空の下を花の雲が広がっている。
午前11時、大町西公園は思ったよりも人が少ない。例年このシーズンは隙間もないほどにブルーシートが敷き詰められている。が、今は人はいるものの、何時間も前から場所取りをする必要はなさそうだった。
「混んでるねえ、ここ」
隣を歩く佳乃子がぼやく。今日は少し暑いからか、半袖に七分のパンツという出で立ちである。
「まあな。近隣住民御用達のスポットらしいし」
「他のとこはなかったの?」
「大学の敷地内に開けた芝生があるけど、あれはサークル用みたいな暗黙の了解があるしな。ここくらいしか思い当たらなかった」
あとは泉区まで行かないと知らない。
「ふーん」
佳乃子が興味なさげに返して黙り込んだ。
それにしても混んでいる。昼から一升瓶を片手にしているおっさんや新入生を応対しているらしいサークル、何しに来たのかずっとケータイをいじっているギャルなど、様々な人間が桜の木の下に集まってきている。案外見ているだけでも面白い。
「あ、ここなんかいいんじゃない?」
佳乃子が俺の肩を叩いた。指さす先は中心から外れたところで、まだ人もまばらだ。
「いいんじゃないか。ここにしよう」
そう言ってブルーシートを出して広げ、四方に荷物を置いて風で吹き飛ばされないようにする。
ブルーシートの中心へ仰向けに身を投げ出すと、雑草のフカフカ感が心地よい。俺の視界は空の青と桜のピンクで満たされている。このままうとうと眠りたくなるくらいだ。
「おやすみ……」
「こーら、寝ないの」
「まだ集まってないんだからいいだろ」
「私がつまんないもん」
「なんだそれ」
とりあえず上体を起こした。
「つっても話すことなんてないがな」
「なんでもいいの。桜がきれいとか、花見楽しみだねとか、佳乃子は今日もかわいいねとか」
「はあ」
「……ちょっと、ツッコんでよ」
「俺はツッコミが不得手でな」
小学生の頃は本気でお笑い芸人を目指していた。もちろんピンで。ここまでボッチ体質がしみ込んでいるとある意味すがすがしい。
「丹波が飲み物、金山が食い物担当だっけ」
「うん、そうだったと思う」
「じゃあ松川は直で来てるんだよな。もういると思うが……」
人混みの中を首を回して探していると、見覚えのある横顔が目に入った。人をかきわけて歩いていくと、向こうも俺の姿を認め、同時にほっとした表情を浮かべた。
「あ、先輩」
「おっす松川。おはよう」
松川はパーカーにジーパンという出で立ちで、前髪を見覚えのないヘアピンで留めていた。両手にはビニール袋を持っている。
「何持ってんの?」
「お菓子とかジュースです。先輩方に頼りっきりっていうのも悪いですし、買ってきました」
「真面目だなあ。俺なんかブルーシート一枚とこの身体しか持ってきてないぞ」
「先輩は相変わらず先輩らしいですね」
松川はくすりと笑う。
松川を連れて佳乃子の待つブルーシートへ向かう。
「松川捕獲してきたぞ」
「おっ、尾崎二等兵。ご苦労であった!」
そう言って佳乃子は敬礼した。
「何やってるのよ佳乃子」
「彩音ちゃんおはよー。すごい人混みだねえ」
「ええ。ちょっと……酔ったみたい」
「おいおい、酔うにはまだ早えぞ。宴会はこれからだろうが」
確かに松川の顔は少し青ざめている。人混みに慣れていないのだろうか。確かに佐賀県よりは仙台の方が人口も多いし、こればかりは慣れるしかないだろう。実際俺も秋田からこっちに来た当初は、あまりの人の多さに三日間悪夢にうなされたし。東京へなんて行ったら、上京して三日後には路地裏で冷たくなっているところを発見されているかもしれない。
「カバン下ろせよ、松川。ブルーシートの重しにしたいし」
「はい」
松川は重そうなリュックサックをブルーシートの隅に置いた。
「何入ってるんだ、それ」
「ペットボトルのジュースです」
「へえー。めっちゃ重いだろ。よくこれ背負ったまま立ってたな」
実際、片腕で上げてみたがめちゃくちゃ重い。これを背負った暁には翌日の俺の肩は筋肉痛で四十肩みたいになることだろう。
「慣れてますから。筋トレもしてますし」
松川は佳乃子の隣に膝をたたんで座り、佳乃子と雑談を始めた。
女子二人の雑談についていけるはずもなく、俺は少し離れたところであぐらをかいた。
桜は満開の時期は過ぎてしまったが、まだ花はついている。むしろ地面にも花弁が数多く落ちており、こっちの方がむしろ風情を感じる。なんというか、無常というか。西行もそんなこと考えたのかな。
「ちーっす、尾崎さん」
チャラい挨拶をしながら、金山がブルーシートに上がってきた。両手には白と黄色のビニール袋をぶら下げており、背中には巨大なリュックも背負っている。
「フウー疲れたー」
金山は身体にぶら下げていた荷物を下ろした。
「なんかめっちゃ多いな。お前食い物担当だろ? こんな食えないぞ」
「まあまあいいじゃないっすか。保存のきくもの買ってきたし、余ったら持ち帰るってことで」
「……一応聞いとくが、俺と丹波がここを持つからって理由で数日分の食費浮かせるつもりで買ったんじゃないだろうな?」
金山はニッと笑って白い歯を見せ、果敢にも女子二人の話に混ざりに行った。
俺はまた一人になった。一人で桜並木を見続けた。こんな大混雑の中に、複数人で連れだって来てるのに、結局一人の心境で桜を見ているというのは、まさしく俺っぽい。
太陽の光は少し黄ばんでいて、劇的に桜を美しく仕上げているというわけではない。その点では夜桜に軍配が上がるが、それでもなお見ていて飽きることがない。泰然と構えている様は「動かざること山のごとし」といった感じだが、今この瞬間にも、花は散って地上に降り注いでいる。さっき敷いたばかりのブルーシートにも、何枚かの花弁が落ちている。
「なーに坊さんみたいな顔してんのよ」
「いてっ」
頭をガツンと殴られたので、振り返ってみると、エコバッグを提げた丹波が俺を見下ろしていた。彼女の顔と俺の顔の間には彼女の巨大な胸がそびえたっている。
「会場はここで合ってるのよね?」
「ああ。そこにいるチャラい奴が金山。チャラいけどいい奴だよ」
「ふーん。あんたはあそこ行って話に混ざらないの?」
「そんなこと俺ができると思うか?」
「そうよね」
丹波はエコバッグを下ろして、そこからプレモルやチューハイ缶、ジュースなどを取り出して並べていく。
「揃ったし、そろそろ始めるか」
「そうね」
佳乃子たちに声をかけ、各自に紙コップを配布する。
「松川は何がいい?」
「あ、なっちゃんでいいですか?」
「俺はエビスでお願いしまーす!」
「金山、お前は自分でやれ」
「もう尾崎、いじわるしないの」
丹波が缶ビールを金山のコップに注ぐ間、金山の目は彼女の巨乳にくぎ付けだった。マジでコイツ後でしばかなきゃいかんな。
「飲み物みんな持った?」
丹波の呼びかけに、俺たちがうなずく。
「よろしい。じゃあ尾崎、乾杯の挨拶して」
「え? 俺?」
「当たり前でしょう……あんたが発起人じゃない」
挨拶なんて全然考えてなかったが、一同の視線を受けたのでしぶしぶ腰を上げる。
「えー、皆さん、本日はお日柄もよく――」
「ビールぬるくなっちゃうんで早くしてくださいよー」
金山のヤジに佳乃子が噴き出した。
「……今日は楽しみましょう。乾杯」
「かんぱーい!」
皆でコップをぶつけていく中で、俺は金山からは今回の費用の半分を徴収してやろうと密かに誓った。
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