第9話 休日(3)
19時になり、佳乃子が松川を迎えに行く。その間俺は自室でボーっとスマホをいじる。
やがて、佳乃子が松川を連れて帰ってきた。
「ただいまー」
「お、お邪魔します」
「いらっしゃい」
俺が言うと、松川はおずおずと靴を脱いで上がる。そうして佳乃子の部屋へ。ご飯はいつも佳乃子の部屋で食べることになっている。
「じゃあ、今から作って来るから、ちょっと待っててね」
そう言うと、佳乃子はキッチンへ退場する。残される俺と松川。気まずいか気まずくないかで言えば、気まずい。なんか、曲がりなりにも自分の家で女子と二人というのは、慣れない。
「そういや、今日は楽しかったか?」
「はい、とても。やっぱり男と試合をすると、得られるものが多くて嬉しいです」
「そっか、それはよかった」
向上心があるということだ。うちのサークルには珍しい。大抵、中高で身につけたスキルでプレーする連中ばかりだから、体力が落ちても技術が伸びることはあまりない。しかし、大学生にもなって学ぼうとする精神は、称賛に値する。
「それに、やっぱり私はまだ下手なので」
「そうか? 傍から見てても普通にうまかったぞ」
実際、予想よりもはるかにうまかった。女子だから、という理由で侮っていたが、いざ対戦してみると攻守ともに光るものがあったから、気を抜いたらやられそうなくらいだった。
「いえ、先輩の方が何倍もすごかったです。というか、普段のろのろしてるのに、試合だとあんなに動けたんですね」
「余計なお世話だよ……」
こいつ、一回の会話で一回は俺を馬鹿にしないと気が済まないのだろうか。
「普段運動してないからサークルではちゃんと運動したいんだよ」
事実、サークルがない日は家と大学を往復するだけか、あるいは一日中家に引きこもっているから、健康上よろしくないと思っている。別に早死にするのは構わないけど、苦しんで死ぬのは勘弁願いたいものだ。
「なんか、おじさんみたいなインセンティヴですね」
「失礼な、俺はまだ21だぞ。お前らからすればおっさんかもしれないけど」
「冗談です」
「知っとるわ」
そこで、来客に対して何も出していないことに気づく。
「そうだ、すまん。お茶でも飲むか?」
「お構いなく」
台所に行き冷蔵庫を開けると、生茶が一本入っている。それを取り出して、家に常備している湯飲みに入れ、持っていく。
「ほい、生茶」
「緑茶がよかったです」
「文句を言うな」
憎まれ口をたたきながら湯飲みは受け取る。
「というか先輩は、佳乃子ちゃんのお手伝いしなくていいんですか?」
「いや、あいつが拒むんだよ。それに狭いから、無理して手伝う必要もないかなって」
「交代交代で料理はしないんですか?」
「俺が買い出し行ってるから料理は自分で作るって言って譲らねえの。変なところで律儀なんだよな」
「ふうーん。それって、ただ律儀なだけなんでしょうか?」
「どういうことだよ」
「いえ、別に」
つんと済ます。
やがて、台所のほうからハンバーグのいいにおいがしてきた。食欲をそそる、肉の焼けるにおい。
「そうだ、松川はハンバーグでも大丈夫か?」
「? ええ、もちろん。好物です」
「そうなのか? てっきり子供っぽくて嫌がるかと思ってたんだけど」
「先輩は私をどういう人間だと思ってるんですか?」
「しかえしだよ、しかえし」
「子供っぽいですね」
「よく言われる」
嫌味がないのでこっちも気が楽だ。
やがて、「できたよー」という声が聞こえたので、台所へ行く。
「はい、これがハンバーグ。あとご飯と味噌汁よそってくれる?」
「はいよ」
俺が茶碗にご飯を盛っていると、後ろから佳乃子が声をかけてくる。
「どう? 彩音ちゃん」
「どうって?」
「いい子でしょ」
「まあ、口は悪いけど嫌味はないから、悪い奴ではないな」
「またまた~。……真治君と似てるしね」
「どこが?」
少しは分かっているが聞いてみる。この場合、第三者の客観的な意見が有用なことが多い。
「素直になれないところとか、口調がとげとげしいところとか、でも優しいところとか、頼まれると断れないところとか――」
「オッケー、ストップ」
思ったよりも共通点があるらしい。
「まあ、そういうわけだから、付き合うと結構うまくいくかもね?」
「馬鹿、お呼びじゃねえよ」
「またまた、照れちゃって~」
いつの間にか色恋に関する冗談も言うようになったようだ。時間の流れを感じる。
それに、これは本心だ。俺はパートナーを幸せにできる自信などさらさらないし、する気も起こらない。残念ながら、生来面倒くさがりなのだ。万が一この先恋をしたとしても、「俺と一緒になるよりも他の誰かといた方がもっと幸せになれるだろう」と身を引く、それが俺だ。多分へたれとか意気地なしとか言われるだろうが、この根性は21年の観察と自省で得られたのだから、容易に覆らない。
「ま、あいつなら来月には男の一人ぐらいできてるだろ」
「うわ、他人事っぽい……」
「他人事だよ」
「そんなこと言ってたらさ、一生独り身で終わっちゃうよ?」
「そうなったらそうなるんだろう」
運命愛が俺の基本スタンスだ。起きてしまったことは受け入れる。パッシブだが、生きやすい。
「ま、そうなったら私が一緒にいてあげてもいいよ?」
「冗談言うな」
「ひっどーい」
佳乃子には佳乃子の人生があるんだし、手を煩わせたくない――と言おうかと思ったが、「冗談に何マジで答えてんの?」と馬鹿にされそうなので、言わなかった。
そんな会話をしているうちにご飯と味噌汁の準備ができる。配膳は俺の仕事だから、皿に盛られたハンバーグと茶碗とお椀を佳乃子の部屋へ持っていく。
「いただきまーす」
「いただきます」
「いただきます」
………………。
「そういえば、松川はあの後講義に出てみたのか?」
「はい。結構ゆるめの雰囲気の教科ばかりだったので、あのまま履修登録しようと思います」
「え、なにそれ! ちょっと、私にも教えてよ!」
「お前まだ時間割決めてなかったのか?」
「今週は友達と回ってみたんだけど、なんかだいたい人がいっぱいでさ。抽選もあるっぽくて、別の講義受けようかなって思ってる」
「まあ全学だしな。普通の先輩から教えてもらった楽単科目っていうのは、数年間ずっと楽単として語り継がれ広まっているから受講者も多くなるんだ」
「じゃあ尾崎先輩は普通の先輩じゃないんですか?」
「自慢じゃないが、己の気の向くままに受講してたまたま全部楽勝だった」
「教えて!」
「しょうがねえな。後で飯奢れよ」
「何それ、彩音ちゃんにも奢らせたの?」
「そんなわけないだろ」
「じゃあなんで私からはお金とるの⁉」
「冗談だ」
………………。
「彩音ちゃん、かっこいい男子とか見つけた?」
「え? 私?」
「うん。フットサル行ったんでしょ?」
「ええ、まあ……」
「フットサル男子、どんな人がいるのか気になる!」
「ここにいるぞ」
「真治君はノーカン」
「失礼だな……」
「でも、別にかっこいい人はいなかったけど」
「えーほんとー? つまんなーい」
「てかかっこいい男子を見つけてどうするんだ?」
「別に、話の種にするだけだよ」
「なんだそれ……」
「だって恋愛には別に興味ないし」
「それじゃあ大学生活エンジョイできんぞ」
「それ、真治君が言う?」
「返す言葉もございません」
………………。
「彩音ちゃん、明日はどこかサークル行くの?」
「私は、フットサルだけ入ればいいかなーって」
「えー軽音楽行ってみない?」
「今日行ったんじゃないの?」
「何個もあるんだよ。まだ一個しか見てないから」
「でも、私歌とか楽器とか苦手だし……」
「まあまあいいじゃん! 行くだけ行くだけ! お菓子とかジュースとか飲めるかもよ?」
「興味ないし――」
「真治君もなんか言ってよー」
「法学部は絶対数が少ないうえにクラス概念も希薄で、サークルで友達つくるか自分のコミュ力で話しかけに行かないと全然友達できないぞ。ありていに言えば、俺みたいになる」
「……私、行く」
「よく言った!」
「……………ま、頑張れ。新歓なんて行って損はないんだからな」
そうして一人加わった食卓は、変わらぬゆったりとした時間を湛えながら過ぎていく。
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