試験

nobuotto

第1話

 誰もが必死になってノートに書き込み続けていた。

 隆も試験官から出された課題に集中していた。机の列の間を補助員が厳しい顔をして歩いている。この状況で不正などできるはずもない。それでも補助員は毛一本の不正も通さぬという形相で歩いているのであった。

 正面には試験官が座っている。時折立ち上がって話し始める。

「人間というのは忘れやすい。忘れることも時には必要ですが、今あなた達にとって必要なのは思い出すことです。一旦記憶に焼き付けられた事は消えることはありません。忘れたと思い込んでいるだけです。思い出し、そして書くのです。記憶は記憶を引き出し、その記憶を書く尽くすこと、それが答えに到達する唯一の道なのです」

 誰もが答案を書くのに夢中で聞いている者などはいない。しかし,そんなことには一切構わずに話す。

「困難だからこそ挑戦する価値があり、困難を乗り越えることで、次に進むことができるのです」

 壁の到るところに「あきらめない」「やりぬくのは今」「さらなるステージへ」と、心を奮い立たせるメッセージが書かれている。

 また一人、試験官の審査の列に並んだ。

 隆は、誰かが椅子から立ち上がる音を聞き、列に並ぶのを見ると焦ってしまう。

 試験官はノートに目を通し、「不合格」だった者には小さく耳元でアドバイスする。そうでない者、つまり合格者の場合は「合格」と会場全員に告げるように言うのであった。

 「合格」と言われ部屋を出ていく人を見ると思わずため息が出る。逆に「不合格」と言われ席に戻っていく人を見ると気が落ち着く。自分との戦いだと言われても、やはり人の事が気になるのであった。

 隆は列に並んだ。今度こそは完璧にできたという自信があった。

 隆の番が来た。試験官は隆のノートをじっくり読み始めた。

 隆は「合格」という言葉を待っていた。しかし、試験官から出た言葉は「もう、一息です」だった。それから試験官は隆に耳打ちする。

「ほぼ正しいです。しかし、ここからここの繋がりが欠落しています。もう一度じっくり記憶を呼び起こすのです。もう少しです。あなたなら必ずできます」

 これで十回目である。だんだんと試験官の指摘箇所も減り、答えに近づいていることは実感しているが、考え続けることに隆は疲れ切っていた。

 席に戻ると隣の新人がニタリと笑った。以前の自分もそうであった。初めて問題を聞いた時は、簡単だと思い、何度も不合格と言われる人が馬鹿に見えたものだ。しかし、実際に書き始めてみると、それが如何に難しいかが分かるのである。

 あとは、こことここを繋げればいい。隆は自分の記憶を隈なく探った。そして思い出した。丁寧に丁寧に書き込んで列に戻った。

 隆のノートを読んだ試験官は「合格」と大きく宣言した。とても長い時間が過ぎたような気がする。やっとこの部屋から出ることができる。嬉しさを感じるより、頭がぼーっとして何も感じなくなっていた。

 部屋を出ると案内係りの札を胸につけた女性が「ご苦労さまでした」とやってきた。

 隆は、ここに来てからの疑問を女性にぶつけた。

「どうしてここまでやるのでしょうか」

 何度も聞かれているのだろう。係りの女性は淡々と答えた。

「自分が生を受けて死ぬまでの間の善行、そして思わず犯してしまった罪を全て書き切ることで初めて成仏できるのです」

 三途の川を渡り天国に行くのかと思ったらこの部屋に入れられた。それから、どのくらいの時間が過ぎたことか。既に死んでいるので時間さえないのかもしれない。

「書き切ると、どうなるのでしょうか」

 女性は隆の手を優しく握りしめた。

「お聞きしていいですか。あなたはご自分が何を書いたか覚えていますか」

 そう言われて思い出そうとしても何も思い出せない。全ての記憶がどこかに消えていったみたいだった。

「そうです。あなたの記憶は全てノートに入ったのです。全てを書き切ったあなたは、これで無垢に戻れるのです」

「そうですか」

 反射的に答えたものの、自分が誰かさえも思い出せなかった。

 そして隆は女性の後について次のステージに行くのであった

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試験 nobuotto @nobuotto

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