第二話 憧れは真中くん

 丁度お昼時のフードコートで何とか席を確保した僕たちは、文化祭準備の間、何度もそうしたように向かい合って座る。それが学校とは別の場所で、今日が休日ってだけで、お互い私服ってだけで、ただのクラスメイトじゃ無いんだよねって実感したりして。


 でも、そんな特別な時間を差し置き、僕の意識はさっきから目の前の美乃梨みのりとは別の人たちへと注がれてる。特に、カップルで来てる……男の人へ。


柊二しゅうじ、お腹は落ち着いた?」


「う……ん」


 確かに、空っぽのお腹に温かいうどんの出汁が優しく染み渡って幸せ気分に浸った。一緒に食べた五目御飯のおにぎりもすっごく美味しかった。

 でも「あそこならすぐ食べられるんじゃない?」って美乃梨に言われるがまま選んだセルフ式のうどん屋さん。初デートでこれってありなのかなぁ?


 周りにいる仲良さそうなカップルの彼氏さんを見る。


 僕もあんな風にスマートにリードできたら。あの人みたいにオシャレな服を着こなせたら。

 名前で呼び合うことも、今日のデートだっていつも提案してくれたのは美乃梨の方。しかも割り勘。


 結局、マニュアルなんて一つも実践できていない、常にリードされてばかりで、ロングシャツのインナーにパーカーを合わせてしまった選択が、大人っぽい美乃梨と僕との距離をより拡げる気がする。

 美乃梨の隣が何の違和感も無く似合う人を、僕は一人しか知らないから。



 きっと真中くんなら、こんなこと思ったりしないんだろうな。



 もっと真中くんみたいにかっこ良くなりたい。もっと早河さんの隣にいても相応しい自分になりたい。


 あの日見た、真中くんみたいに……。



 二週間程前に僕が無理言って早河さんを家まで送って行ったあの夜。まさか真中くんが家の前で早河さんの帰りを待ってるなんて知らなくて。



 ***



 現地解散となった文化祭打ち上げ会場のお店の前で、友だちの貝原かいはらさんと話す早河さんを見つけた。時刻は午後八時。外は勿論真っ暗だ。


 僕は気付くと、さっきまで少しだけ肩の出た服を着ていた早河さんを離れた場所からボーッと見つめてた。泣きながら、僕に好きって言ってくれた気がする。薔薇の香りと共に、僕の肩に早河さんが触れた気が……って、わぁぁっ!


 カーッと顔が熱くなって、慌ててお店の柱に張り付いた。うん、冷たくて落ち着く。

 ……じゃなくてっ。


 今日こそは言いたい!


 途端に鼓動が乱れ出す。まさかの展開。もうこんな機会は来ないと思ってた。

 だから。

 数日前、真中くんにあっさり先を越されてしまった『一緒に帰ろう』を、今日からは僕も打診してみてもいいんだよね?


「はっ、早河さん!」


「佐和ー! お疲れ、またな!」


「あっ、ヤマモトくん。お疲れさま。気を付けて帰ってね」


 心臓をバックンバックン言わせながら勇気を出した僕に、ヤマモトくんが割って入った。そのまま「おうっ」って手を挙げて帰って行くヤマモトくん。


 よ、よし、改めて!


「早……っ」


「佐和くんっ、打ち上げ楽しかったよー。じゃあねー」


 今度はサトウさんたち。その後も次々とクラスのみんなに声を掛けられて、早河さんに一歩も近付けない。しかも早河さん、いろんな男子に話し掛けられてるっ?


 このままじゃまた誰かに先を越されちゃう!


「佐和、何?」


 やっと最後のクラスメイトを見送ったところで泣きそうになってた僕に声を掛けてくれたのは、その早河さんだった。


「は、早河さぁん。良かったぁ、まだいたー」


「ちょっと、何泣いてるのっ?」


 驚く早河さんと、半分泣いてる僕。


「だって、一緒に帰りたいのに全然話し掛けられなかったからぁ」


「い、一緒って……そんなことで泣かないで! も、もぉ、置いて帰るよっ」


「わぁっ、ごめんなさい!」


 あ、あれ、この構図、いつもの僕たちと変わらないよね? つ、付き合うとか、すすす、好きって話したのは夢だったのかな? でも、早河さんの手にしてるあの紙袋は、紛れもなく僕があげた花束で。あぁっ、あの時ほっぺたつねってみれば良かった! 今からじゃもう遅いよね?


「……その萌え袖、似合うからやめて。佐和、次の電車いつ? 急がなくて大丈夫?」


「えっ、えーっと……。うん、今から歩いて向かえば大丈夫だよ」


「そう……。じゃ、じゃあ遅くなるし、今日は真っ直ぐ帰ろっ。ほら、行くよっ」


「えっ? う、うん!」


「駅ってこっち?」「あ、ううん、こっちが近道だよ」あれれ、一緒に帰るのが当たり前みたいなこの流れ。これは夢じゃないよねっ? うん、痛い! わぁぁ、すーっごくドキドキするーっ!


 早河さんと二人きりで歩く初めての道。と、隣を歩いても大丈夫なのかな?

 駅まではたぶん十五分。どうしよう、何を話そう。あっ、そうだ! 早河さん寒く……あれっ、いつの間にかブルゾン着てる。じゃ、じゃあ、いっか。で、でも、一応寒くないか聞いた方がいいのかな? あっ、緊張して手と足、同じ方が出てたぁっ。それより、何か話題探さないとっ。


「あっ、ねぇ、早河さんっ。貝原さんは先に帰っちゃったの?」


愛海まなみ? 愛海なら拓海たくみさんが……お兄さんが車で迎えに来てたから。私も送ってあげるって言われたんだけど、さすがに断っちゃった」


「そ、そっかぁ。良かったー」


「え?」


 だから今こうして二人で帰れるんだもんねっ。もしかして、早河さんも二人で帰りたくて断ってくれたのかな? なんて、そうだったら嬉しいな。


 僕たち二人、周りからはどう見えてるんだろう。もし今知ってる人に会ったら、彼女に送ってもらってるところです! って、言っちゃってもいいのかな? わ、彼女とか言っちゃった。恥ずかしぃぃっ。


 って……え?


「違うよ、早河さんっっ!」


「なっ、何っ? ぶつぶつ言ってると思ったら急に叫ばないで! びっくりするでしょ!」


「ええっ! 僕、ぶつぶつ言ってたのっ? ごめん、気持ち悪くてっ。……じゃなくて、僕が送るから!」


「えっ? いいよ。私の家、駅とは反対方向だし、往復してたら帰りかなり遅くなるよ?」


「そんなの気にしなくていいよ! 後で早河さんが一人で帰る方が心配だし。何より、ぼ、僕が送りたいからっ。ダメですかっ?」


「……私は佐和の方が心配なんだけど。じゃあ、佐和を送った後、私は駅まで迎えに来てもらうから。それでいいでしょ?」


 微笑む早河さんに、僕の胸がザワリと音を立てた。思わず胸に手を当てる。


 あれ、この感じ。

 知ってるようで知らないマイナスの感情。

 何だろう、すごく嫌だな。


 迎えに来てもらうのって、もしかして……。

 微かに浮かんだ顔に、僕は下を向いた。


「……僕が送る」


 言うなり、元来た道を歩き出す。


「えっ、佐和、だから……っ」


「お願いだから送らせてよっ。真中くんだけじゃなく、僕だって頼られたい」


「え、壮空そら? ……壮空には、一度も迎えに来てなんて頼んだことない。知ってるでしょ?」


 口をついて出た名前に、自分でも驚いた。


「あっ、ご、ごめんっ。あれ、何で僕……」


 静かに微笑した早河さんの顔が見られない。どうしよう。もしかして、僕が傷付けた……? どうしよう。こんな時、どうしたらいいんだろう。僕には何の知識も無い。


「そこまで言うならお願いしようかな?」


「……へっ?」


「送ってくれるんでしょ? た、頼りにするから、ちゃんと送ってよねっ」


「あっ、うんっ!」


 不安も一掃。素直じゃない時の顔をした早河さんの一言で急浮上した僕はすごく単純だ。それからの三十分間はこれも早河さんの提供してくれた文化祭の話題であっという間で、


「もうすぐそこだから」


 その時間に終わりを告げる言葉をまだ聞きたくなくて、少し前を歩く早河さんをじっと見つめた、その時。


「美乃梨! おかえり」


 予想もしなかった人の声を聞いた。


「壮空っ? えっ、わざわざ外で待ってたの?」


 仄かに照らす外灯の中でも分かる。


 スラッと高い背、明るめのサラサラの髪に、迷いのない力強さを備えた顔立ち、早河さんにだけ向けられる眩しいくらいの笑顔。羽織った長め丈のコートがさながらマントのようにも見えて、僕でさえドキドキする。


 わぁ、王子様みたいにかぁっこいいー。


 何だか頭の上に王冠まで見えそうなんてのん気に思いながら、僕は真中くんに見惚れてた。


「俺っ、美乃梨に今すぐ伝えたいことあ……はっ? 佐和? ……な、んで」


 僕に気付いた瞬間、真中くんから表情が消えた。


「あー、えーっと、あのね、壮空っ。私たち、付き合うことになったからっ。ねっ、佐和」


 え、えっ!?


 僕に何かを考える時間を与えない早さで伝えられた事実に、僕自身が舞い上がってしまった。


「あ、ううう、うんっ。そ、そう、だねっ!」


 そう、なんだっ?

 夢じゃなく、本当に僕は早河さんの、か、彼氏になったんだ? 彼氏だって言ってもいいんだ!


 再び熱くなった頰を隠しつつ、上目遣いで早河さんを見ると、早河さんも僕を見返してる。何だか急に意識してしまってお互い無言になった。

 えーと、えーと、ど、どうしよう……。



 長い長い沈黙の後、


「付き、合う……?」


 真中くんが怒ったような、自分に問い掛けるような、とにかくすごく表現しにくい声で僕を見た。

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