第二話 二つの間違い


「……なあ。真中ってどっちが本命?」


「は? 何」


 夏休み一週間前の放課後、いつもつるむ同じクラスのメンバー五人で集まった目の前のこいつの家。冷蔵庫前で突然切り出された。

 男五人分のジュースとお菓子を抱えかけたおれの手が止まる。


「だから、先輩と……は、早河さん。本当はどっちかのこと、好き、なんだろ?」


 またそういう話かよ。


「何? どっかの女子に聞いて来いって? そんなん断れっていつも言って……」


「オレだよっ。オレが、知りたい……」


 冗談とは思えない顔におれも真剣に見つめ返す。五人の内、彼女がいるのは二人だけ。おれとこいつを含めた三人は、恋愛なんて興味ないが共通意識だったはずだ。


「どういう、意味だよ……」


 問い返す声がなぜか自分でも緊張して聞こえる。


「……真中には聞かなきゃならないから言うけど、他のやつらには黙ってて……」


「いいから早く理由を言えよ」


「す、好きなんだ。早河さんのことっ。で、でもオレっ、真中が早河さんのこと好きなら諦めるしっ。そうじゃないならっ、その……」


「……ないなら、何だよ」


「オレ、告白、していいか?」


 一瞬、何かが胸を刺した。


 美乃梨がモテんのは昔から知ってる。おれの耳に入るところで美乃梨の噂話するやつには「くだらねー噂してんじゃねーよ」ってつっかかったこともある。


 でも、おれら五人の中では軽くいじられることはあっても、美乃梨を好きだなんて言うやつはいなかった。

 頭が真っ白になって、すぐには何も言葉が浮かばない。




 あの頃の俺は、正直何であんなに美乃梨を突き放してたのか、自分でもよく分からなくなってた。周りがうるさいからか、自分が、美乃梨を変に意識してんのに気付きたくなかったからか。


 隣に住む、誕生日が二日違いの幼馴染、早河美乃梨はずっと俺の子分みたいな感じだった。


 物心ついた頃には何でもついて回って、やれって言えばやる。たまにやり過ぎて泣かせた時には「ごめんね」って抱き締めて頭撫でてやると、「いいよ」って言って必ず泣き止んでた。おじさんまで泣き止ませて欲しいって来た時には、本当に親か? って思ったけど。


 幼稚園の頃、男だけで遊びたいのについて来た時には、公園の遊具で待ってろって嘘ついて置いてったこともある。そのまま忘れておやつの時間に家に帰るとちょっとした騒ぎになってて、慌てて公園に戻ると俺の言った遊具の中で美乃梨が一人ぐっすり眠ってた。あの時は本当に悪いと思った。


 だから次の日、テレビで憧れたヒーローみたいに滑り台の上に作った秘密基地で「ぼくがここで、ずっとみのりちゃんのことまもるからね」って約束したんだ。美乃梨は「そらくん、あかレンジャーみたいでかっこいいね」って前日のことなんて忘れて、嬉しそうに笑ってた。


 その秘密基地はすぐに片付けられてしまったけど、その記憶だけは俺の中でずっと消えずに残り続けた。


 小学校高学年になると、好きな子ほどいじめたくなるような幼稚な男子から美乃梨はよくからかわれるようになった。呼び方もお互い呼び捨てに変わってたから余計だったのかもしれない。「やめろ」って言うとケンカになったり、「結婚すんのか」っていじられたり、その度に悲しそうな顔をする美乃梨をもっと強くなって守りたくて空手を始めた。



 何もかも変わったのは中学に入ってから。



 美乃梨は昔から男女共に友だちが多い方だったのに、あいつ可愛いよなって急にモテ始めると少しずつ女子が離れて行った。

 その理由が、俺と仲良い上に他の男にもいい顔するってくだらない内容だって知った時には腹が立った。俺が庇えば庇う程、そういう女は敵対心を持つ。女なんて本当に面倒くさい生き物だ。


 でもそれ以上に、どうやったら美乃梨を守れるのか分からない自分に一番腹が立って、少しずつ美乃梨から距離を置くようにしたのが始まりだと思う。

 俺との変な噂が立たないように。


 そうだ、それが目的だったはずだ。


 今思えば矛盾した行動。でもあの頃は、日々変わってく周りの環境と自分の心に、何が正解で、何が間違いで、何が目的なのかなんて分からなくなってた。



 振り返って思うのは、この時が大きな誤りの一つ目だってこと。



「……別に美乃梨のことなんて好きじゃねーよ。いたきゃえよ」



 続く沈黙に何かを悟られそうで、気付くとそう答えてた。


 嘘はついてない。

 言い聞かせた。


 だってこいつらにはそう言って来たし。誰に聞かれても、美乃梨とはそんなんじゃねー、好きじゃねーって言い続けたおれに他に何が言える?


 けど、同時に。

 こいつらと一緒にいる時でも、美乃梨はいつもおれしか見てなかった。こいつの名前さえ知らないはずだ。


 そもそも美乃梨が、他の男なんて相手にするはずがない。


 そんな都合の良い考えでどこか楽観視してもいた。




 一週間後の終業式。帰りに昇降口前で後輩から手紙を渡されたところを美乃梨に見られた。半分押し付けられただけなのに、見られた動揺で握り締めた手紙をポケットにねじ込んだ。後で捨てるつもりで。


 帰る方向は同じだから、仕方なく美乃梨と少し距離を置いて歩く。この一週間、あいつのことを気にし過ぎてより冷たく当たってた美乃梨。今はお互いに無言だ。


 沈黙を破ったのは美乃梨の方。


「そ、壮空そら、さっきの子、可愛かったね……」


「は、はあ? そうか?」


「うん……。あ、あの子と、付き合うの?」


「何でそうなんだよ」


「だって、手紙受け取ってたじゃん。あれラブレターでしょ?」


「別に受け取ったワケじゃ……。つか、そんなん美乃梨に関係ねーし」


「そ、そうだけど……。別に教えてくれたっていいでしょ」


「っせーなぁ。付き合わねーよっ」


「ホントに? じゃあ何で手紙大事にしまったの?」


「は? 大事になんかしまってねーよ」


「嘘っ、しまってたじゃん。何で付き合わないのにそんなの受け取るの? いつ断るつもりなの? 夏休み中に二人で会うの? それともあの子と連絡取り合ったりするの?」


「何なんだよ、うっせーなっ。どうだっていいだろ、そんなことっ」


「じゃあ、壮空はいいのっ?」


「何がだよ」


「わ、私に、彼氏ができるかも、しれなくても……」


「は……?」


「そ、壮空は、壮空はそれでもいいのっ?」


 この時、たたみかける美乃梨になぜか苛立ちが先に来た。


 ——彼氏って、あいつのことか?


 耳まで赤くなって告白の許可を求めたあいつを思い出す。



 何でそんなこと聞くんだよ。

 何で二人しておれに確認すんだよ。


 おれに何て答えろって言うんだよっ。


 今までどれだけ美乃梨とのこと否定してきたと思ってんだ。

 美乃梨がからかわれないように。美乃梨が孤立しないように。


 美乃梨の為に。


 あいつにえって言っといて、美乃梨のこと好きじゃねーって言っといて、美乃梨に答えられることなんか限られてんじゃん。


 何で言わせんだよっ。

 何で言わなきゃならないんだよっ。



「……別に、美乃梨がいいならいいんじゃね? 良かったじゃん。これでおれも安心して彼女作れるわ。そう、だろ?」



 そう、言うしか無かった。

 美乃梨の為に。

 あいつの為に。


 自分の、為に……。


 分かんねーよ。

 本当は誰の為だよ。


 おれは何て答えれば良かったんだ。


「そう、だね……」


 そう返す美乃梨の顔は、見ることができなかった。


 それが、二つ目の大きな誤りだったのに。




 夏休みに入って一週間、美乃梨とは全く会えずにいた。おばさんは「休みだからって寝てばっかりなのよー」って言ってたけど。朝も昼も夜も、美乃梨の部屋にはカーテンが引かれたままで、それが本当なのかどうか確めようもない。


 散々突き放しといて、あんなことまで言っといて。美乃梨の部屋になんて行けるはずもない。


 おれは、美乃梨の言った彼氏ができるかもって言葉がずっと頭にこびりついて、夜中に何度も目が覚めた。

 あるはずないって信じたいけど、あいつにも美乃梨にも聞く勇気なんてなかった。気にしてることさえ知られたくなかった。



 あいつから、美乃梨と付き合うことになったって連絡が来るまで。



 予想以上にショックを受ける自分がいた。

 何だそれって。

 おれの好きなタイプ聞いてたのは、髪型や服装変える度おれの反応窺ってたのは、突き放しても突き放しても寄って来てたのは、おじいちゃんおばあちゃんになっても一緒にいられるかなって言ってたのは、あれは全部嘘だったのかよ! って。


 それから、おれとは話しもしないクセに、ほぼ毎日のように美乃梨があいつと遊びに行くのを見るようになった。


 おれが見たことない格好の時は何であいつなんかの為にってイライラして。手を繋いで帰って来た時には何でおれ以外とって。そもそも何でおれを避けるんだよって、苛立って胸が痛くて、何も手につかなくて、毎日毎日むしゃくしゃしてた。

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