〈 side sola 〉
第一話 最後の笑顔
手を繋いだまま、涙でくしゃくしゃの
やっと、やっと伝えた。
あの時、薄っぺらなプライドで隠した、俺の本当の想いを。
あれは中学二年の夏だった。
俺と美乃梨の関係が大きく変わった一番最悪で、一番最低だった夏休み————。
******
「
おれの通う公立中学の昇降口前、屋根の下。直射日光が当たらないとは言え七月上旬の肌にまとわり付くようなジメっとした空気が不快指数を極限まで上げる。しかも今日は快晴。時刻は午後五時半を過ぎてんのに、昼間とさほど変わらない気温におれの機嫌は急下降する。
その原因の一つに、この偉そうにおれに向かって指を差す先輩も加わった。
「……またですか、先輩。何度も言いますけど、おれそういうの興味ないんで。本当、諦めてもらえませんか?」
「じゃあやっぱり、あの幼馴染のことが好きなんだ?」
「は? それ言うのマジでやめてもらえませんか。怒りますよ」
「なら何で断んのよ。あんたが素直にうんって言えば私も何度も言わずに済むんじゃない。さぁ、今日こそお願いしますって言いなさいよっ」
「うっっぜー」
うんざりして大袈裟にため息を吐くおれの前で、この三年の先輩は両手を腰に当てて仁王立ち。前髪を上げ、肩下の髪を左右で結ぶまではいい。派手めな化粧と胸元のリボンを外したかなり短め丈のセーラー服は明らかに校則違反だろうと思う。その態度は板に付くけど。
先輩から告白……いや、つきまとわれて早四ヶ月。大人っぽいとかって他の男は騒いでるけど、おれははっきり言って全然タイプじゃない。
そもそも付き合うって何だ。そんなのよりゲームとか、男同士で遊んでる方がよっぽど楽しいだろ。
中学に入った途端、周りは恋がどうだのカレカノがどうだの言い出して、
「真中君、好きです。付き合って下さい」
っておれも何度か言われた。
この先輩と違って必死な相手に悪い気はしなかったけど、誰とも付き合う気にはなれなかった。正直、女なんて面倒だし。
「先輩に向かってその態度は何っ?」って腕振り上げて怒る先輩に、これが付き合いたい相手に取る言動なのかと怪しんでいると待っていた人物の声がした。
「壮空っ、ごめんね、待たせちゃっ……て」
「美乃梨、おせーよっ」
息を弾ませ走り出て来た美乃梨の髪が、肩口でさらりと揺れる。今日は水泳があったからその後で下ろしたままなんだろう。でも、美乃梨の髪は細くて綺麗なサラサラのストレートだからか、なぜか暑苦しさを感じない。
先輩の手を片腕で制した俺を見て、笑顔だった美乃梨が微妙な顔して見つめてくる。最近、美乃梨のこんな表情を見ることが増えた気がする。たまたまかもしれないけど。
夏服の美乃梨は、この先輩ともクラスの女子とも同じセーラー服なのにカラーとスカートの紺以外の白色がより際立って、なんか眩しくて、一瞬視線が逸れる。
中学に入る前、お互い初めて見せ合った制服姿に「壮空かっこいいね」って言ってくれた美乃梨は、急に大人になったみたいで気恥ずかしくて「変」って返したらすげーショック受けてた。後で「まあ、いいんじゃね」って言い直したら喜んでたけど。
それ以来、衣替えの度に見慣れるのに時間がかかってるおれ。理由はよく分かんねー。
「じゃ、先輩。失礼します」
先輩も美乃梨も置いておれが一人で歩き始めると、美乃梨が慌てて追いかけて来る。いつものように関係ないフリ装って、校門までは早足で。
校門を出て交通量の多い通りに入ると同じ制服姿を探す。今はずっと前を歩く一年ぽい男が二人。そこでやっとペースを落として美乃梨の歩幅に合わせてやった。
微妙に離れて歩く美乃梨を意識する。薄っすら浮かんだ汗に小さく心が痛むけど、美乃梨だって周りからあれこれ言われるのは嫌だろうし。仕方ねーだろ。
登校は親の手前、二人で行くフリして途中で先に、校内ではなるべく関わらないようにして、下校は完全に別々なのが今のおれたちの関係で、少なくとも中学の間は変わらないはず。
今日だって美乃梨が懇願しなきゃ一緒に帰るつもりなかったのに。
「ね、ねぇ、壮空。あの先輩と仲良いの? 最近よく一緒にいるよ、ね?」
「はあ? 別に良くねーよ。向こうが勝手に来るだけで、おれは迷惑してんの」
「ホントっ? あ……で、でも、うちのクラスの男子にもすごい人気だしやっぱり壮空もああいう人が、す、好きなのかな……って」
「なワケねーだろ。他のやつがどうでも、おれは全っ然興味ねー」
なんか、こういう会話も増えた。おれの答えによって美乃梨の機嫌はころころ変わる。
今は……嬉しそうにしてんな。
その横顔になんか落ち着かなくて、おれはまた視線を逸らす。
今はおれの方が頭半分背が高くなったことが嬉しいのは、美乃梨には秘密。
けど、もっと伸びればいいのに。もっと強くなって、もっと大人っぽくなって。
——そしたらまた、美乃梨もおれに言ったりすんのかな……。
いつからか全然聞かなくなった、
『そらくん、だいすき』
って。
は? おれちょっと暑さでおかしくなってんな。美乃梨が三十分以上待たせるからっ。
「そっ、そもそも、美乃梨がもっと早く来れば先輩に絡まれずに済んだのに、何やってたんだよっ」
「あっ、うん。これね、調理実習で作ったんだけど……ほ、ほら、壮空、今日空手の日じゃん? だから、お腹空くかなって思って」
「ちょっとラッピングに時間かかっちゃった」って言いつつ美乃梨が取り出したのは、透明な袋に細い水色のリボンを結んだ……たぶんクッキーだな。
それで今日絶対一緒に帰ろうって?
そんなん帰ってからでもいいのに。大体、不器用なクセにわざわざラッピングなんかしなくたっていいのに。
期待半分、緊張半分の顔で美乃梨が両手を差し出す。
嬉しいのに、素直にそれを口にするのは恥ずかしくて、クッキーの入った袋をさも当たり前みたいに受け取った後、真反対の言葉を探してしまう。
「……美乃梨のこれ何味? チョコ? ココア? 他のやつらと色違うんだけど。ちゃんと食えんの?」
「……壮空、他の子からもクッキーもらったの? 誰から?」
急に真顔になる美乃梨。気にする部分がよく分からない。
「誰って美乃梨と同じクラスのやつらだけど名前は知らねー。けど、おれ……」
「何それ? 何人からもらったの? 壮空のバカっ。やっぱり壮空にはあげないっ。返してよっ」
今度は怒ってクッキーを奪い返そうとする美乃梨に、おれは片腕を高く上に伸ばす。
「待てって! 何、怒ってんだよ? おれは誰からも受け取ってねーよっ」
「えっ、ホントに?」
「そんな嘘ついてどうすんだよ。……っていうか、早く離れろよっ」
おれの言葉に、おれの制服の胸元を掴んで高く上げたクッキーに手を伸ばしていた美乃梨が小さく悲鳴を上げて離れた。夏なのに色白の美乃梨の顔が真っ赤になってるのが分かって、こっちまで赤くなりそうになる。
……暑さのせいかもしれないけど。
小さい頃、泣いてる美乃梨を抱き締めても平気だった自分が信じらんねー。若干乱れた鼓動に制服直すフリして手を置いた。
そのまま変な空気になるのが嫌でおれはさっさとクッキーを一枚取り出す。「えっ、ここで食べるのっ?」って赤い顔のまま焦る美乃梨を横目にもう一度そのクッキーを見る。
今日、何人かが食べてくれって持って来たけど、その中でも美乃梨のは桁違いに黒い。調理実習で一人だけ違う味ってあるか?
——これ、ホントに食えんだよな?
ゴクリと生つばを一度飲み込んでから一応確認する。
「こ、これ面白い形だよなー? 栗? 玉ねぎ? あ、三角かー」
苦笑しながら形に触れるおれは白々しいだろうか。でも、それくらいの決心つける時間は欲しい。食べるのはおれなんだし。
そんなおれの気持ちを知ってか知らずか、再び美乃梨が声を上げる。
「ハ、ハートだよっ! ……ちょ、ちょっと失敗しちゃったけどっ」
——は? ハー……。
「ばっ、かじゃねーの! そんなのおれが食えるかよっ」
「ええっ、何でっ?」
「何でもだよっ! つーか、ちゃんと味見してんだろーな? これ、すげー焦げ臭いんだけど。食って腹壊すとかおれイヤだからなっ」
「……っ!」
照れ隠しで思わず叫んだおれを、美乃梨が傷付いた顔で見つめ、俯いた。
「……して」
「え……?」
「それ返して。もういい。お父さんにあげるから……っ」
「美乃……」
小さく肩を震わす美乃梨は泣いてるんだろうか。ズキリと胸が痛むのに顔を覗き込む勇気が無くて、代わりに持っていたクッキーを自分の口に放り込んだ。
クッキーとは思えない硬質な音が響いて、美乃梨が驚いて顔を上げる。やっぱり薄っすら涙が滲んだ目元。今は気安く触れられない。
おれが、泣かせたから。
「壮空……」
「……固っ。つか、苦っ。こんなんおじさんに食わせたらかわいそうだろ。おれが代わりに全部食っとくし。……って、何笑ってんだよ」
「ううん。ありがとう。ごめんね、無理だったら全部食べなくてもいいからね」
ほら、女なんて何考えてんのかよく分かんねーし、機嫌がしょっ中変わって振り回されて。
おれは美乃梨一人相手するので手一杯だ。
でも、笑ってる美乃梨を見るとそんなの全部どうでも良くなる。
「……もっと練習しろよ。おれが味見してやるから」
「えっ? う、うん! バレンタインまでにはもっと上手く作れるよう頑張るねっ」
「はっ? バ、バレンタインて……っ、い、今から練習すんのかよ」
「あっ! いっ、今のは深い意味無いからっ。言っとくけど、あげたとしても壮空のは義理だからっ! 本命はお父さんだからっ」
「お、おれだって本命だなんて思ってねーよっ。でも、おじさんが本命って……っ、ウケるわっ」
「も、もうっ、笑わないでよ! しょうがないでしょ、他にあげる人いないんだからっ」
「しょーがねーからもらってやるよ。その代わり……義理はおれだけにしとけよ。ほ、ほらっ、作んの大変だろ」
「う、うんっ!」
思えば、これが美乃梨と心から笑い合えた夏休み前最後の会話だったかもしれない。
結局、バレンタインの日には待ってても美乃梨がチョコをくれることはなかったけど。
その年、美乃梨がおじさんじゃない本当の本命にチョコをあげたかどうかは、今でも知らない。
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