第68話 遁走( 2 )
「どうしたの」
桜子が尋ねる。
薫は遠くの一点を見つめたまま、低くつぶやいた。
「稽古場の方に、人が集まっている。『月読』かもしれない」
そう言われて、桜子は薫の背後から眼下の先にある桜の木を見定めようとした。点在する黒い人影が見える。
思わず肩口を握ると、薫はそれに応えるように言った。
「このまま直進するのはまずいかもしれない。様子を見て、人が散った時を見計らって行くしか」
「さっき時間がないって言ったのは薫でしょう」
急かすように、桜子が口を
薫は前を見据えたまま振り返らなかった。
「またあいつらに捕まったら、今度こそ桜子さんは連れ去られてしまう。そしたら一巻の終わりだ。そんな危険をおかすことはできない」
噛みしめるようにつぶやく声を聞いて、今度は桜子も口をつぐむしかなかった。『月読』に捕まり連れて行かれることを、薫自身も繰り返したくないのだ。
それは桜子も同じ気持ちだったが、もう里は目の前だというのに足を踏み出せないのは歯がゆかった。
桜子は気を落ち着かせるために、一度深く呼吸してから言った。
「あの場所に意味があるのは、水脈筋に近いこととも関係があるんでしょう」
その言葉に、薫は頷いて木立に身を隠すようにひざまずいた。桜子も習うように座り込むと、薫は重々しく口を開いた。
「あの場所は、撫子さんが一番最初に剣に触れたところでもあるんだ。初めは宮司の師範が持っていたからね。その後お宮に奉納されて、撫子さんが剣の守り手になった」
「そうじゃないかという気はしていたの。でも、薫がそこまでよく知っているのはどうしてなの」
まだ生まれる前のことなのに。そう言葉を続けようとして、桜子は口をつぐむ。
薫は振り返り、さみしげに微笑んだ。
「撫子さんの影に、この手で触れたことがあるからだよ。水脈筋は、本来生身の人間が足を踏み入れてはいけない場所なんだ。審神者でもよほど修行しなければ行くことはかなわない。
『水神の剣』の守り手になることは、最後には
去り際に優の言った言葉が胸に浮かんだ。
桜子にまで、そこに囚われるものになってほしくはない——と。
それが何を意味するのか今さら実感が湧いて、桜子はぐっとこぶしを握りしめた。
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