第67話 遁走( 1 )


 笹にくるんだ強飯こわいい屯食とんじき(握り飯)と水の入った水筒すいづつを傍らに、先ほど教えられた場所に行くと、果たして薫はそこに立っていた。


 たぶのきの幹に背中を預けていた薫は、桜子が来たのを知るとハッとして顔を上げた。その時には桜子も、両手がふさがっているのもかまわず駆けつけていた。


「傷は、もういいの」


 なんとなく先に気恥ずかしさがたって、近づくなり桜子はつぶやいた。薫は桜子の問いに首肯した。


「だいぶれもひいたよ。優が塗った薬が効いたみたいだ」


 そう聞くと安堵する気持ちが湧きあがって、次に目を合わせる時には自然と笑顔をつくることができた。


「私、お礼を言いそびれちゃった。目的があったにしろ、優さんがあの場所から助けだしてくれたのは事実だもの」


「まだ油断することはできないよ。ここを下れば結界の外に出る。たどり着くまでは気を張っていないと」


「あの日、桜の木の下に来るよう薫が言ったのは、お母さんの結界があるからでしょう。薫は、剣のもたらす災厄を知っているの」


 薫はその言葉にしばらく沈黙したが、やがて思いだすようにつぶやいた。


「本当の災厄は、ずっと後に来る」


 その言葉を、桜子はうまく聞き取ることができなかった。


「——え?」


 怪訝な顔で見つめると、薫は急に面をあげて言った。


「とにかく先を急ごう。あまり話している時間もない」



***



 優から手渡された屯食を食べ終わると、ふたりは山麓から里へ向かった。最初はどの方角へ進めばいいか皆目見当がつかなかった桜子も、薫について行くうちにどの辺りにいるのか少しずつ分かってきた。郷里までそう遠くないと言った優の言葉は嘘ではなかったのだ。


 次第に御影山の稜線を北側に、見知った田畑が谷間たにあいに見えてくると、桜子の足取りはいっそう速まった。


 ——と、いきなり前を歩いていた薫が立ちどまったため、桜子はもう少しでその背中にぶつかるところだった。


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