第66話 葦原( 3 )


 はっきり口にすると、そうである思いはどんどんふくらんだ。たとえ桜子のもたらすものが災厄でしかないとしても、郷里を滅ぼそうとすることとは全然違うはずだ。

 そういう思いを持ってしまったら、桜子は、自分自身とは違う何かに成り代わってしまう。どういう思いを持つかが重要なのだと、桜子は優に言われて初めて理解した。


 恨みと怨恨を持てば、それはそのまま剣に宿る力となる。母の舞が神々しかったのは、鎮魂の思いが込められたからなのだ。優はフッと力を抜くように肩をすくめた。



「どうやら薫が正しいみたいだな」


 桜子はただ、目をまるくした。


「どういうこと?」


「ここに来る前に、あいつに言ったんだ。もし桜子が誘いにのるようなら、その身柄は俺に任せておけと。そうすることで桜子が安全なら、俺はそれでいいと思っていた」


「薫はどこにいるの」


 そう聞いた桜子に、優は視線を向けた。

 そして、ごく軽い調子で尋ねた。


「桜子は、薫のことが好きなのか」


 突然の問いに桜子の頰が熱くなる。

 沈黙ののち、桜子は慎重に言葉を選びながら言った。


「好き、とは違うと思う。もっと特別な宿縁があると思う」


 優は遠くの峰々を見つめるように、視線を逸らして言った。


「宿縁か。俺が桜子を助けたのは、自分の腹立ちを抑えるためだった。でも、あいつは違う。あいつは純粋に、桜子を助けたいと思っている」


「お母さんの遺言だからでしょう」


 桜子はつぶやく。

 優は首を振った。


「それもある。が、あいつは桜子に生きていてほしいんだよ。薫は水脈筋の奥にある黄泉の淵が、どういう場所であるか知っている。桜子まで、そこにとらわれるものになってほしくないんだ。その気持ちは、俺もよく分かる」


 優はそう言って、表情をやわらげた。そうしていると、さっき感じた不穏さが偽りに思えるほど、目が優しげに映る。

 優はふいに立ち上がって言った。



「薫はこの葦原を越えた先にいる。そこから里までは、そう遠くない。中食ちゅうじきになるものを用意しておくから、それを持って一緒に行くといい」


「——優さん」


 行こうとする背中に、桜子は呼びかけた。今声を掛けなければ、その機会は永遠に訪れないような気がしたのだ。


「薫には、もう会っていかないんですか。やっとこうして地上で会えたのに」


 優は歩みをとめ、首だけ桜子の方にむけて言った。


「薫も親が恋しい年じゃないだろう。だが、そうだな。あいつが桜子を守り抜いたあかつきには、またふたたび会うことがあるかもしれない」


 どこか揶揄やゆするような口調だった。

 桜子は重ねて何か言おうとしたが、優はまた背を向けて歩きだし、今度はもう歩みをとめなかった。

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