悪徳ボランティアサークル編

第三十八話 元引きこもりと悪徳ボランティアサークル『Help』

 一月六日。


 俺は震える呼吸を押さえながら、半年ぶりの校舎を見上げた。


 八咫野鏡太、復学。


「……長いようで短い半年だった……」


 何でもないような顔でキャンパス内を行き交う学生たちを微妙な心持で眺めながら、俺は教室へ向かう。半年ぶりの講義だ……

 しかしこうしてみてみると、俺一人が引きこもっていたところで世界は問題なく回るんだなって痛感する……まあそんなもんか。

 ここ一ヶ月で急速にリハビリは進み、今や人込みなんてどうでもよくなっている。協力してくれた三人には感謝と憎悪の気持ちでいっぱいだ。おかげで今では数歩歩くごとに振り返って誰かが付いて来ていないか確認しないと生きていけない体になってしまった。今もほら、銀杏並木に背後に色白の人気女優のような人影が――


「いやいや! 講義に遅れちゃうから! 早く行かないと!」


 俺は極力振り返らないように教室に入っていった。



「ふう……まあなんとかなりそうかな……?」


 大学特有の講義形態が助けとなった。今はネットでレジュメも手に入るし、教授指定の教科書や参考書も大学生協で買える。講義に出ていなくてもここから奮起すればなんとかなりそうだ。なんとしてでも進級はしたいからな……


「それにしても……」


 広い食堂は人で溢れている。


「……まあ、入学してすぐ引きこもったからな」


 俺は一人で定食をつまみながらぼやいていた。

 友達が、いない……


 悲しいことこの上ないが、これは逼迫した問題だ。このままずるずる行くと四年間ボッチという最悪の事態となりかねない。

 ただでさえサークルはもう行くつもりないし――


「あら、久しぶり」


 ひじきの佃煮に手を付けようとしたその時、唐突に斜め後ろの方から声を掛けられた。

 いやいや……俺に声をかける人なんているわけないじゃん……

 危うく振り返って恥ずかしい勘違野郎になるところだった。


「無視? へえ……そんなことするんだ?」


 だが俺の予想に反して、その声の主はちらほらと空いている席の中から俺のすぐ隣の席を選んで座った。

 思わずそちらに顔を向けると、こちらを向いていた相手と目が合う。


「ひどいわね。心配してあげてたのに」


 思わず目を奪われるコバルトブルーの瞳は、ミルクのような純白の肌のせいか一層輝いて見える。そんな二つの瞳が宝石だとしたら、背中まで垂らした彼女のツーサイドアップの髪は金糸そのものだ。

 モデルも裸足で逃げ出すほどの絶妙のプロポーションを勝ち誇るように背筋を伸ばして見せつけるその姿は、あまりの美しさにむしろ目視した側の心の汚れを糾弾しているようですらある。


「テ、テレシアさん?」

「『さん』付けなんてやめてよ、気持ち悪い」


 大胆な肩だしニット姿の彼女は、長い睫毛に彩られたその目を細めた。ツンツンとした口調は半年前から変わらない。


 来栖宮くるすのみや・E・テレシア。


 見た目通りのハーフであり、俺の同期だ。高校時代はスウェーデンにいたらしく、日本の大学の入学に合わせたので実際は俺より一歳年上だ。


「久しぶりだね……」

「今までどこにいたのよ?」


 俺が緊張しまくっているのにもかかわらず、テレシアはぐいぐいと肩を寄せてくる。

 や、やめて……! なんか甘い匂いがして頭がくらくらしてるから! 

 すっごい目立ってるから! みんなこっちチラチラ見てなにか囁き合っちゃってるから!


「いや、まあ……一身上の都合で……」

「そんなので言い逃れできると思ってるわけ?」

「ほんとだって!」


 『引きこもってました』とは言いにくい。俺だって男だ、こんな美人の前で情けない姿はなるべく見せたくない。もう見せてるって? うるさいやい!


「ふーん……?」


 下から俺の顔を覗き込むようにしていたテレシアが、すました顔で姿勢を正した。


「まあいいわ。死んだんじゃないかって思ってたもの、生きているだけ上等ね」

「あ、うん……心配かけてごめん……?」


 こんな美人が俺みたいなやつのことを心配してくれているとは思えないが、なんだかテレシアは安心した風だった。


「で、サークルにはいつ来るの?」


 ぎくり……と俺は体を震わせた。


「な、なんのことかな?」

「はあ? とぼけてんじゃないわよ」


 テレシアはイラついた声で俺を糾弾した。


「『Help』に決まってるでしょ」

「うっ……やっぱり?」


『Help』

 半年越しに聞いてもすごいインパンクトを俺に与えてくる。


「というかテレシアはまだ続けてたんだ……」

「やめられると思ってるの?」

「ですよねえ……」


 あそこを抜けるのなんて『ヤ』のつく自営業から足を洗うのと同じぐらい難しいだろう。というかそのものだ。


「わ、悪いけど俺はもう続ける気ないから」

「私をおいて逃げる気なの?」

「いや、そういうわけじゃないんだけど」

「本当にやめるの……?」


 ここへ来てテレシアの態度が一転し、声音も懇願するようなものになった。俺を見る目も上目遣いだ。

 そ、そんな目で見られたら俺の決心も揺らいでしまうじゃないか……!

 ……だめだだめだ! ここで流されてはだめだ! 


「……やっぱりいやだ! 俺は戻らない!」

「本当の本当に? 与太島さんも沙汰島さんも会いたがってるわよ?」

「俺はあんな悪魔達に会いたくない!」

「……じゃあ、もう私が何を言っても無駄か」


 どうあっても俺がなびかないことを確信したのか、テレシアはふっと表情を緩めた。あきらめてスッキリした表情だ。


「ごめん……テレシアを一人で残すのは心苦しいけど、俺はもう二度とあんな地獄のようなサークルに行きたくない……」

「ええ。仕方がないわ。私が口でいくら言っても無駄みたいだし」

「うん……与太島先輩にも沙汰島先輩にも言わないでね。俺が復学してるってこと」

「もちろんよ」


 テレシアは不自然なほど自然な笑顔で首肯した。



「だって、もうバレてるもの」



「へ?」


 声を発する間もなく、俺は誰かに背後から白い布で口元と鼻を覆われた。

 この甘い匂い……まさか!?


「さっきから黙って聞いてりゃあよぉ……」

「『悪魔』とか『地獄』とか、ひどか言い方やなあ?」

「う……この乱暴な口調と博多弁は……」


 背後に佇む悪魔二人の放つ圧に絶望的な気持ちになりつつ、俺は隣のテレシアを睨んだ。


 は、嵌められた……!


「ごめんね、鏡太」


 クロロホルムによって瞬く間に意識を刈り取られる、その刹那。

 俺はテレシアのいたずらっぽい声を聞いた。



「でも、絶対逃がさないから」


 

 俺は気絶した。

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