第三十六話 引きこもりの夜明け

「予想はしてたけど……」

「渋滞だね……」

「大晦日なのになんでこんなに混むのかしら……」

「…………(絶望で半透明になっている)」


 目的地までの中間地点を越えたところで、俺たちを乗せた車は大渋滞を迎えた。これでは到着時間の予想はまったくつかない。間に合う確率はかなり低いだろう。


 果たして放送開始までに新鮮な冷華さんをスタジオにお届けすることはできるのだろうか……


「こうなったらもう、遅刻してでの登場も考えなくちゃいけないわね……」


 お姉さんが冷華さんを慰めながらそう呟いた。

 まあ放送事故にはなるがそれもまた仕方ないことだろう。苦肉の策というわけだ。


「…………今日はサプライズ出演で絶対に遅刻できない」

「あちゃー……」

「なんでそんな大事な番組忘れちゃったの!?」

「……鏡太さまが好きすぎて……」

「まあそれは鏡太君が悪いわよねえ……」

「仕方ないよね……」

「なんで!?」


 社会人なんだからちゃんと予定は確認しておきましょう。


「というかいよいよやばいかも……」


 もはや車はピクリとも動かない。うーんこの気持ちは先行してるんだけど体は進まない感じ……たまに見る悪夢みたいだ。



「渋滞は抜けたけど……」


 後部座席でお姉さんが呟いた。

 なんとか渋滞地帯は抜けたものの、消費してしまった時間はもどらない。正直かなり絶望的な状態だ。


「でも制限速度ぎりぎりで走ればまだなんとか……」


 素晴らしいハンドルさばきで前を行く車をどんどん追い越していく夏南。

 ナビに表示された到着予想時刻の針が少しずつ巻き戻っていく。これはもしかしたらがあるかもしれない……

 ……しかし、ほんの少し希望が持てたところで突き落されるのがこの世の定め――


「……あ、あれ? 踏んでも進まな――あっ!」


 車の速度がぐんぐん落ちていく……! これは……


「ガス欠だ……」


 まあ半年間使ってない車だからそうだよね……

 俺たちは路肩に車を止め、冬の夜空の歩道に降り立った。


「………………(光に包まれている)」


 なんだかもう冷華さんが天に召されようとしている。

 無理もあるまい。ここまできてガス欠はどうにもならない。言いたくはないが絶対に間に合わない。


「タクシーも駄目ね……どこも車がもうないわ」


 電話をしていたお姉さんも苦々しい表情だ。年末だしそれも仕方のないことだろう。


「……もういいのですみなさん。わたくしはこれまでのようです」

「冷華さん……」

「……やはりわたくしはその程度の人間だったというわけなのです……ぐずでどじでまぬけでどうしようもないにんげ――」

「あきらめるなッ!」


 俯いて悲しげにつぶやいていた冷華さんに、夏南が渾身のビンタを食らわせた。

 いやうん……喝を入れたい気持ちはわかるけど、冷華さんは華奢だからお前が全力を出したらそういう風にきりもみ回転しながら吹っ飛んじゃうよ?


「あたしたちがまだあきらめてないのに、あんたがそうやってしょげてちゃ何のためにがんばってるか分かんなくなるでしょ!」


 ビクンビクンと地面で痙攣をおこす冷華さんを見下ろして、夏南はアツい表情で檄を飛ばしている。そういうところは体育会系なんだよなあ。


「沢山の人が待ってるんでしょ!? それに……くやしいけどきょーくんだって楽しみにしてるよ……!」

「……鏡太さまが、ですか?」

「うん。もちろん。冷華さんのことはいつも応援してるよ」

「………………そう、ですか」


 俺の何気ない言葉に、地面で震えていた冷華さんはピクリと反応した。


「…………もう迷わないと決めていたのに、これでは元の木阿弥ですね」


 小鹿のようにぷるぷるとしながらも、冷華さんは確かに自分の両足で地面に立った。大丈夫かな? 完全にさっきのビンタで三半規管のあたりが破壊されてそうな気がする……


「……いきましょう」

「え?」


 解決策はもう見つかったとでもいいたげに、冷華さんは歩き出した。


「行くって、どこにですか? 車はもうないですし、歩いていくには遠すぎますよ?」

「……いいえ、車ならあります」


 迷いのない足取りでずんずんと進む冷華さんについていくと、やがて『ソレ』が見えてきた。


 ま、まさか……



 ……7時55分。某テレビ局前。


 猛スピードで局の正門前に近付いてきたのは目を見張るような装飾の20トントラックだった。

 

 そう、あのとき冷華さんが向かった先止まっていたのは、銚子港から鮮魚を運送してきた大型トラックだったのだ。


 どうするのかと思って見ていたら冷華さんはムッキムキのトラック野郎のおっさんに臆することなく話しかけ、おっさんの方は一も二もなくトラックを貸してくれた。いいのか……? 保険とかコンプラとか大丈夫なのか……?


 どうも冷華さんの大ファンだったらしく、彼女もトラックを運転できることがめちゃくちゃ嬉しかったらしい。おおらかな人だ……


 そんなわけで、我々五人はおっさんのトラックに乗り込んで、なぜか冷華さんの運転でテレビ局までやって来たのだ。

 めちゃくちゃかっこよかった……

 巨大なハンドルを細い体で見事に操る冷華さんが、なんかアンバランスな魅力を発揮していた。そういう役とかやらないのかな? 今度の活躍に期待ですね。


 当然だがテレビ局前には「何事か!?」と人が集まってきている。

 この展開は予想できていたので、素早くおっさんを運転席に移動させ、助手席から冷華さんを下ろす。


「冬峰さん!?」


 テレビ局前の人だかりから飛び出してきたのは眼鏡をかけた男性だ。うん? マネージャーさんかな?


「……すいません」

「すいませんじゃあないっすよ!? もうあと五分もしたら出番ですよ!? メイクもなにもしてないのに――」


 さて、このくだりも予想済みだ。冷華さんが怒られるのも当然だろう。だからこそ今はあの人の出番だ。


「ちょっといいかしら?」

「だれです……? 今ちょっと忙しいんで――」

「私、こういうものなんですけど」


 トラックから降りて行ったお姉さんが、洗練された動きで名刺を取り出す。完全に社交モードだ。


「は? ……秋洲香波? 『秋洲』!? スノヤの!?」

「そう、今日は冷華ちゃんも呼んで新年を迎える会を催していたんだけど、まさかお仕事があったなんて知らなくてね」

「……秋洲家のお誘いを断れなくて……」

「ちょっと怖がらせてしまったみたいなの……ごめんなさいね」

「あ、いえいえ……冷華をかわいがってもらっているようで……」

「そうねえ、次の新商品のCMとかも冷華ちゃんを是非……なんて考えてるんだけど、どうかしら?」

「! それはもちろん! ありがたいっす! ほんとに! いやあこの度はどうも! じゃあすいません……番組の収録があるんで! 冬峰さん! 行きましょう!!」

「……はい」


 慌てた様子で、マネージャーさんは何度もペコペコとお辞儀しながらビルの中に冷華さんを伴って入っていった。


「……なんとかなったな」

「これで一件落着だね……」


 トラック内で、俺と夏南は胸を撫でおろした。



 おっさんを見送って、俺たち三人はスタジオからすぐの海辺に来ていた。


「あ、ちゃんと出てるわよあの娘」


 三人でベンチに並び、スマホで番組を確認していると、お姉さんが感心した風に呟いた。


「にぎやかな大晦日になっちゃいましたね」

「ほんとだね……」


 夏南はもうへとへとだ。あれだけ車を飛ばしてきたんだからそれもしかたがないだろう。


 真っ暗な海にはポツポツと明かりが浮かんでいる。


(すごい一年だったな……)


 大学に入って、親が急に死んで、それから半年も引きこもって、そうかと思ったらお姉さんが窓をぶち破って家に侵入してきて、なぜか同棲生活が始まったとたん夏南が押しかけてきて、それから……お姉さんが実家に連れ戻されて、夏南と喧嘩して、春姉ぇに手伝って秋洲家に忍び込んで、お姉さんを連れ出して、夏南と仲直りして、そしてストーカーを発見して、最後に今に至る。


「波乱すぎる……」


 でも今年の総決算が、こうして三人(冷華さんを入れれば四人?)で並んで海を見ているこの状況なのだとすれば、それはきっと幸せなことなんだろう。


「二人とも、本当にありがとうね」

「え?」

「急にどうしたの?」

「ううん。なんでもない」


 きょとんとした表情でスマホから顔をこちらへ向ける二人に、俺は首を振った。




 人の少ない海辺のベンチで、俺たち三人の大晦日は静かにフェードアウトしていった。



  

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