第三十二話 ストーカーとある一日

  ......こんにちは。冬峰です。

 ......今日はわたくしの愛しのダーリンこと八咫野鏡太さまの一日に密着しようと思っております。思っているも何も、わたくしの一日は基本的に鏡太さまに密着しているので、わたくしの一日=鏡太さまの一日なのです。......ふふふ。まるで夫婦のようではありませんか。なんと幸せなことでしょう。


 ......さて、わたくしたちの一日はまずベッドの中から始まります。鏡太さまは寒がりのようですから、夜はわたくしが肌で温めて差し上げるのです。あどけない鏡太さまの寝顔、なんと愛らしい......むしゃぶりつきた――いえ、失礼いたしました、愛でたいと言いたかったのです。


 ......七時ごろになると、鏡太様は目を覚まします。口の端に少しついた涎が可愛らしいですね。そっと舐めとろうとすると、寝ぼけ眼と目が合って思いきり突き飛ばされてしまいました。……愛情表現がダイナミックなのは鏡太さまの美点です。


 ……鏡太さまの大きな叫び声で、階下からどたどたと騒がしい足音が響いてきました。むむ……これは間違いなくあの女、そう、『四季山夏南』とかいう鏡太さまにつきまとう悪い虫です

。幼馴染かなにか知りませんが、頭も胸も貧相なあの女が鏡太さまにふさわしいとは到底思えません。鏡太さまにふさわしいのは美貌と知性を備えたこのわたくしです。……それをアピールしようと鏡太さまに抱き着こうとしましたが、鏡太さまはむりやりわたくしをベッドの中に押し込めてしまいました。……素直じゃないですね。


 ……鏡太さまがお着換えをして朝食をとっているのをリビングのテレビの裏から覗いていましたところ、鏡太さんにやたらとべたべたくっつく乳のデカい女が目につきました。あれは確か……そう、『秋洲香波』です。……鏡太さまが心に傷を負って半年間引きこもっている間も、陰で見守っていたのはこのわたくしだというのに……あの女は住居不法侵入という大罪を犯しながらも鏡太さまの心を奪っていきました。……悔しい。傷ついた鏡太さまを癒したのがこのわたくしではなく、どこの馬の骨とも知らぬ女だったのが悔しい……。……のちのちになって秋洲香波が『どこの馬の骨』どころか『ペガサスの脊椎』くらいすごい出自であることがわかりましたが、それはまあどうでもよいのです。……大事なのは、鏡太さまの一番がわたくしではないということなのですから。


 ……悲しくなってテレビの裏で号泣していると、後になって鏡太さまがこっそりとこちらへ来て朝食の余りの食パンを渡してくれました。


「お腹がすくと悲しくなりますよね……ほら、ゆっくり食べてくださいね」


 ……そうではない、そうではないのです。あ、でも食パンはいただきます。鏡太さまからいただいたものなので。


 ……団らんの時間が終わり、鏡太さまのくつろぐ姿を眺めていると、わたくしのポケットのなかでスマホが振動しはじめました。苛々しながらスマホを取り出すと、画面に表示されていたのはマネージャーさんの名前でした。


「……チッ。なんですか」

「いきなり舌打ち!? あの、冷華ちゃん今どこにいるのかな~って……」

「……気安く呼ばないでください」

「すいません……冬峰さん今どちらにいらっしゃいますか……」

「……夫の家です」

「へ?」

「……夫の家です」

「じょ、冗談はやめてくださいよ……ただでさえ週刊誌が狙ってるんですから……」

「……で、なんの用ですか。わたくしは忙しいのですが」

「なんの用ですかじゃないっすよ~! 今日は生放送のグルメ番組のトリじゃないですか~!」

「……」


 ……すっかり忘れていました。


「……もちろん覚えていますよ」

「ほ、ほんとっすか?」

「……文句があるんですか?」

「ないっす……」


 ……通話を切ってから、わたくしは深くため息を付きました。


「……面倒くさい」



 ……なんとかロケ地まで間に合ったわたくしを、汗をだらだらと流したマネージャーさんが出迎えました。今年で三十六歳。三歳になる娘さんをお持ちです。


「よ、よかったあ……」

「……だから心配いらないと言ったでしょう」


 ……メイクさんにメイクアップをしてもらい、マイクを服の中に通してもらうと、いよいよカメラの前にわたくしは立ちます。

 ……来週公開される映画の宣伝の一環として、お昼の番組に出演しているのです。

 ……タレントさんについて歩き、ところどころでお店に入ってご飯を食べ、適当な相槌をうって感想を言う。これだけの簡単なお仕事です。……最後に決められた宣伝文句を口にして、今日のお仕事は終わり。


「いやあ、今日もよかったよ冬峰さん」

「……そうですか」


 ……スタッフさんのそんな言葉を、わたくしはどこか他人事のように聞いていました。



 ……打ち上げなども終えて家に帰ると(※八咫野家)、すでに皆さん夕食を終えてめいめいの時間を過ごしていました。具体的には鏡太さまを巡って秋洲香波と四季山夏南がゲームで争っていました。

 ……二人と比べると闘争心が薄い鏡太さまは、がっちりと二人に脇を固められてもうげんなりとしています。ここはわたくしの活躍のしどころでしょう。


「甲羅投げつけてんじゃないわよ!」

「そういうゲームだから!」


 ……醜くも闘志をむき出しにする貧乳と巨乳が画面に食いついている隙に、わたくしはソファの裏からこっそりと鏡太さまをひっこぬきました。

 

「はい勝った! ここでパックンフラワーはもう逃げきりよ!」

「バカね。後ろから飛んでくる青甲羅が見えないのかしら!?」


 ……まだ気づいていないようです。

 ……わたくしはヘロヘロになった鏡太さまを自室にお連れすると、そっと喧騒から離れるように部屋のドアを閉じました。


「た、助かったよ……」

「……いつでもお助けしたいと思っております」


 ……ベッドに座った鏡太さまが、ほっとしたように言いました。こうしてちゃんと話すのって、実は初めてでは? ……考えると悲しくなるので、わたくしはそこで思考を止めました。


「あ、そうだ冷華さん」

「……はい?」


 ……げんなりした様子から一転、鏡太さまはかがやいたまなざしでわたくしのことを見ています。


「お昼の番組見ましたよ。すごいよかったです……やっぱりスターなんだなあって思って、それで――」

「………………」

「泣いてる!?」


 ……ああ。なるほど。わたくしはたくさんの人のために働いているつもりでしたが。そうではなかったのです。

 ……思えば、仕事に対する熱意をいまいち醒めていたのは、わたくしがそもそも『たくさんの人のために働きたい』という性格ではなかったからなのかもしれません。

 ……わたくしが女優の道を選んだのは、今はいない祖父母がそれを喜んだからです。ですから、映画に出る時もテレビ番組に出る時も、ただ祖父母のためだけに働いていました。二人が死んだと同時に、わたくしが努力する動機もなくなってしまったのです。

 ……そこに現れたのが鏡太さまでした。たった一人、愛する鏡太さまのためだけに演じる。それこそが今わたくしにできることなのかもしれません。


「え、ごめん! なにか嫌なこと言ったかな!?」

「…………違います」


 ……あたふたとする鏡太さまを前にボロボロと涙を流していると、鏡太さまがいないことに気が付いた二人が部屋に乱入してきた。


「鏡太くん!? 逃げるなんて許さな――あれ?」

「コイツなんでまたいるのよ! ……って、泣いてる……」


 ……見つかってしまいました。これは折檻を受けてしまうでしょう。


「鏡太君、よくわからないけど女を泣かせる男は最低よ」

「いくらストーカーだってそれはいけないよ……」

「え!? 俺が悪い感じになってるの!?」


 ……と思ったら鏡太さまに矛先が向いています。二人に責められている鏡太さんを見つめながら、わたくしは二つの決心をしました。


 ……これからは、また今までのように真面目に仕事に取り組もう。

 ……そして、今までよりももっと積極的に鏡太さまに尽くそう。



 ……固い決意を胸に、わたくしは今日もクローゼットに忍び込みました。

 

 

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