第二十七話 空き巣と闇の底

「全員昇天させてあげるわ~❤」


 高らかに宣言した春姉ぇに、俺とお姉さんは戦慄していた。

 くっ……

 今年もまた春姉ぇに打ち負かされてしまうのか……!?


 あまりの辛さに目の前がスパークして正常な思考ができない。


「あらあら~? 休憩はなしだったはずよ~?」

「……そうだったわね」


 コンロの火に照らされたお姉さんの顔にはやはり汗が浮いている。

 しかし苦悶の表情はさきほど鍋の中身を口にした時と比べて随分和らいでいる。お姉さんは辛さに強いのかもしれなかった。


 しかしそれも「比較的」の話。お姉さんは次の具材を口に運ぶと再びうずくまった。


「は、はひぃ……!」


 見ているこっちが辛い……いち早くこの戦いを終わらせなくては……


「どんどん進めて行きましょうか~」


 一方の春姉ぇは迷いのない手つきで具材を取り出して美味しそうに食べていく。


「は~い鏡ちゃんの番よ~? 昔みたいにおねえちゃんが食べさせてあげようかしら~?」

「そ、そんな過去は断じてない……」


 春姉ぇの精神攻撃になんとか返答しながら、俺もやけっぱちで鍋に手を伸ばす。


「ッ!? い、痛いッ!」


 全身の毛穴が痛い! 体内から針が飛び出してくるかのような激痛だ。

 強力すぎる刺激物を一度に大量に摂取したことによって、俺の脳内にまるで走馬灯のようなものが駆け巡り始めた。


 過去の記憶から生存の道筋を探り出そうというのか! 俺の脳は……


 うーーーーーん……


 しかしよく考えれば闇鍋を今すぐやめればいいだけなのでは……?


 いやいや!


「!?」


 邪念がよぎるとともに、俺は重要なことを思い出した。


(春姉ぇって、そもそもこんなに辛いもの好きだったっけ?)


 そうだ……春姉ぇはいつも超人チックだから忘れがちだけど、辛いものが昔から好きだというわけではなかったはずだ。夏南ほどじゃないけど、あまり辛いものを食べると「ひ~(>_<)」って反応をするのが定番だ。


 だとすればおかしいぞ……今日は本当になんともなさそうだ……これはあり得ない!

 なにか……なにかカラクリがあるはずなんだ!


「ぐっ……!」


 机に腕をつきながら、俺はなけなしの闘志を振り絞った。

 まだ勝機はある……!


「ぎゃふん!」


 嘘みたいなお姉さんの悲鳴の後、相変わらず平然とした春姉ぇがノータイムで鍋に手を伸ばす。時間をかけないことで俺に圧力をかけてきているのだろう。

 しかしこれに惑わされてはいけない……

 思えば今回の春姉ぇは初っ端からいやに急かしてくる。これは『鍋の中を詮索されたくない』理由があるに違いない。

 辛さに支配されると人間はどうしても性急になる。これも春姉ぇの作戦の内だろう。


「つぎ……俺の番ですね……へへ……」


 俺はそれを知ったうえで箸をゆっくりと鍋にいれる。行儀の悪いことだとは分かっているが、食事のマナーを守っていてはこの勝負には勝てない。ここはもう戦場なのだ。


 ゆっくりと箸で鍋の中を調べるも、春姉ぇの表情は変わらない。流石だ……この程度で春姉ぇの牙城は崩せないということか。


 ぐ……しかしなにもわからない……これ以上はさすがに怪しまれ――


 こつん……


(!?)


 今、確実に食べ物ではない何かに箸が当たった! 春姉ぇのちょうど正面だ! これは一体……?


(まさか!?)


 未だに残る辛さでスパークする俺の脳内に、一つの天啓が舞い降りた。


 『鍋』だ! 大きな鍋とは別に、『小さな鍋』が浮かべられている!!

 そうかなるほど……その小さな鍋の中には辛くない汁と具材が入っているんだ!

 自分の番になったらそこから具材をとれば辛さの餌食にはならない! 

 悪魔的な発想だ……! さすがは春姉ぇ!


 これで……これで勝利の糸口を掴んだ!


 俺はその小鍋に箸を――


 そう。俺はここから具材を。 

 

 俺はそのまま小鍋をそっとお姉さんの前に移動させると、自分は普通に激辛の具材を取り出す。


 すでにダメージを負った俺では、まだ辛さが蓄積していない春姉ぇには勝てない。

 でも、お姉さんなら! 俺よりもさらに辛さに強いお姉さんなら! 今からでもお姉さんに勝てるかもしれない……!


 だからこの小鍋はお姉さんに託すぜ……


「あだだだだだだだだ……!!」


 それにしても辛い……! 辛すぎる! もうなんか痛覚を司る器官が死滅して『熱いかどうか』しか感じなくなってきた。逆に楽だ。いや噓。死ぬほどつらいです。


「…………お父様……なぜ御花畑に……?」


 ちょっと逝きかけてるお姉さんはそのまま朦朧と目の前の鍋に箸を差し込む。


 そう! そこだ! そこはちょうど小鍋があるところだ!


 お姉さんは俺の目論見通り小鍋から具を取り出すと、朦朧とした様子で口にそれを運んだ。そう、それでいい!


「…………ぐふッ!?」


 え……!?


 しかしお姉さんの反応は俺の予想とは正反対のものだった。


 回復して元気になるはずのお姉さんは、なぜか夏南のようにテーブルに突っ伏してしまった。


「な……なぜ……」

「うふふ……うふふふふふ~!」


 そんなとき、今まで沈黙を保っていた春姉ぇが哄笑を始めた。


「かかったわね~!」

「ま、まさか……!」

「そうよ~! 小鍋にはたっぷりのお酢を満たしておいたのよ~!」

「罠……だったっていうのか!?」


 完全に裏の裏を読まれた……!

 春姉ぇ……まさかこれを見越して辛いのをただ我慢してただけだってのか!?

 なんて……なんという勝ちへの執着なんだ……!


「私にも……早かったみたいね……そして……四季山……春南さん……昨日は……いろいろと……ありがガクッ……」

「お姉さぁぁぁあああん!!!」


 お姉さんが沈黙し、ついに戦場には俺と春姉ぇだけが残された。


「この時を待っていたわ~❤」

「……」


 ぼんやりとコンロの火に浮かびあがった春姉ぇの顔は、愉悦の表情に満ちていた。


 だが、俺は絶望しない。


 そう、春姉ぇにも本当はダメージが蓄積していたと分かった今。俺への精神ダメージもなくなった!


 これならまだ戦える!

 

 俺は意を決して鍋に手を伸ばした。



 そこからが本当の地獄だった。


 どちらかがギブアップするまで終わらないチキンレース。

 そして誰もギブアップするつもりがないからデスレースだ。


「…………」

「…………」


 ダイニングにはただ、コンロの火の音と咀嚼音、そしてその直後のうめき声しか存在しない。

 淡々と、ただ淡々と鍋の中身を減らしていく。


 そして……


「…………」

「……次、春姉ぇの番ですよ」

「…………」

「……春姉ぇ?」

「…………」

「……?」


 いくら呼びかけても反応がないので、俺はそろりと席を立って部屋の電気を灯した。


「き、気絶してる……」


 いつもの笑顔のまま、お姉さんは座ったまま動かなくなっていた。

 散り際まで壮絶だった。


 俺は敬意を表して戦死者三名をそっと寝かせて毛布をかけると、静かにリビングの窓の方へ向かった。割れてるけど。


「勝利とは……虚しいものだな……」


 敗者と敗者を生み出すだけとはよく言ったものだ。勝負に勝ちはしたが、しかしそれほど爽やかな気分ではない。


 火照った体を外気で冷やして、俺は何かを悟った気がした。


「もう……闇鍋やめよう」


 それが結論だった。



……その時、庭の先でなにかが蠢いた気がしたが、この時の俺がそれに深い興味を抱くことはなかった。

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