暗号輪舞曲~悪女ジェシカと血塗られた英国王室の謎~

結愛みりか

prologue

序章 毒の仮面舞踏会

カンタリスの毒殺①

 ターンする度に、豪華な金の燭台がジェシカの視界に幾度となく飛び込む。変哲のない仮面舞踏会の風景。壁の燭台には六本の蝋燭があるはずだが、一本、足りていない。


(そろそろ、標的カーターボルトの断末魔の悶絶(もんぜつ)が始まるはずだが……)


〝これだけでいいのか? アデラ〟


〝ええ、この分量でピッタリ一時間。苦しみを伸ばす毒なの。楽しい話になるわよぉ?〟



◇◇◇



 ジェシカ・ラインは相棒アデラ・マデリーンとの会話を思い出しながら、間もなく起こる異変を、今か今かと、深く描き込んだアイラインの入った猛禽類の氷の眼で待ち侘びた。


 今更毒死体などを心待ちにはしないが、今夜使用した毒は少し違う。名称は『カンタリス』色が真っ白な理由から〝白雪の粉〟と呼ばれている。死期までの時間を操れ、英国には存在していない。


 今後の暗殺稼業のためにも、標的を消すと同時に、症状を見ておく必要があった。


 円舞曲も終盤、ダ・カーポ。旋律の速度は途端に上がり、従いていこうとする男女の足取りもまた、速くなる中、一人の貴族がフラリと、悪魔に憑依されたような足取りで、環から外れ――

(始まった! 標的カーターボルト・ウインダムの最期が! 見逃してたまるか!)


「素敵なホールドをありがとう、ね!」


 冷静に、手頃なパートナーに別れの握手。へたくそなダンスの御礼も忘れず、高級そうな靴を踏み潰してやり、さっと視線を標的に向けた。

 カーターボルトが眼をぐるんと流転させた。全身を激しく痙攣させ、口から溢れた吐瀉物で辺りは茶色の海。一人だけの死の円舞を終え、泡を噴き、呆気なく倒れた。


 ジェシカは口に溜まった唾を飲み込んだ。


(なんという、毒……! 肉体が変態しても、神経はまだ生きている。さすがは〝苦しみを長く伸ばすため〟の毒だな。人が生み出した、悪魔の毒薬〝カンタリス〟か)


 毒を体内に含むと、内臓は焼け付き、膨張する。最後には、縦横が同じほどに膨らみ、棺桶屋が納棺に苦労するのだろう。


 堅固物と化した、重々しい物音に続く震動は、逞しいリードに揺らされ続けるジェシカの靴の鎖をも、小さく揺らした。


 毒死の末期の症状だ。――ちょうど海岸に打ち棄てられた魚だと思えばいい。完璧だ。


(なるほど、悲鳴も上げられない……か。想像以上。さて、ここまでは毒死の知る処だが)


 カーターボルトは、再びぶくぶくと口から泡を噴き始めた。顔を埋め尽くすほどの量を吐いても、泡は口から溢れ続けた。生きている。神経は生かされて、死んでいない。

 自由にならない身体に、残る意識はどのように蠢いているのか。自我は? 無念さや屈辱という心は? ――至極、興味深い。


(手の甲のキスから、ちょうど、一曲。しかし凄い。たった一舐めで人間が怪物か。英国に仇なす貴族はすべて消す。何がピューリタンの女性蔑視だ。思い知れ、女の凄さを)


 絶世の美女とホールドした幸運な公爵、カーターボルト。実際は麗(うるわ)しい貴婦人だと思っていたワルツの相手は、毒で英国の貴族を殺す、王室付き毒の貴婦人・ジェシカ・ライン。


 まだ、英国(イングランド)には〝時間差を持つ毒〟はおろか、毒性学は発達していない。毒に関しての知識は、まだまだ浸透していない以上、鬱陶しいヤードに嗅ぎつけられる危険もない。


 知識がなければ、正しい答には導かれようもないのだから。

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