第87話 怪鳥
北の大地から陽が沈む頃。
その内、最初に異変に気付いたのはリティールだった。
「……来たみたいよ」
「どっちの方なのです?」
「ここからずっと西ね」
リティールに言われてレインスもそちらの方向に気配感知の網を張り巡らせる。だが、彼の探知網にはまだ何も入ってこなかった。
(俺の探知よりも随分と広い検知範囲だな……流石と言うか、何と言うか……これでも一応、勇者パーティの斥候役だったんだけど……)
羨むどころではない格の違いを見せつけられてレインスは何とも言えない笑みを内心で浮かべる。
(こういう人が本当の凄い人、いわゆる英雄なんだよな……)
特に誇るでもなく出来るからやった。リティールにとってただそれだけのことだ。そんな彼女を見てレインスは捨てたはずの栄光をつい持ち出してしまう自身の矮小さを自嘲した。ただ、そこで終わるとレインスは自身の精神衛生上あまりよくないと判断した。
(まぁ、こういう人を救えたから俺も捨てたもんじゃないと思うけど)
精神を安定させるため思考をポジティブなものに誘導するレインス。英雄的思考を持たないレインスは些細なことですぐに落ち込んでしまう。だからこそ彼は自身のメンタルコントロールの術を身につけていた。
「で、レインス。どうする? 迎え撃ちに行く?」
そんな感じでレインスが些細なことに躓いて精神コントロールに勤しんでいるとリティールが声を掛けて来た。どうやら行動選択権はレインスにあるらしい。少し考える素振りを見せてからレインスはシガーに確認する。
「……まぁ、そっちの方が
「西……森の方なら確かに、甜菜畑はないな」
「じゃあ、迎え撃つ方向で」
シガーに確認を取って移動することにした一行。怪鳥との間には少し距離があるとのことだったが、リティールが居るためそれも大した問題とはならなかった。
「【
空間に人が通れるほどの大穴を開けたリティールは少し息をついてレインス達の方を見た。
「準備はいい? 行くわよ」
「……この穴はどこに続いてるんだ?」
「その鳥が今いたところよ。凄い速度で移動してるから早く行かないと追いかけるのが大変になるわ。急ぐわよ」
「わかった」
即座に覚悟を決めるレインス。シガーはまだ少年に見える彼の年齢不相応な落ち着きぶりを見て何者なのかという疑念を一瞬だけ抱くが、それよりもリティールの能力の高さに驚き、シャリアに尋ねた。
「……リティールは君のお姉さんだったよな」
「なのです」
「……君たちは一体何者なんだ?」
「……それを一言で答えるのはちょっと難しいのです。でも、安心していいのです。ちゃんとシガーさんを助けるのです」
シャリアはそう言うと既に大穴の中に入ろうとしている二人の下へ駆け寄り、二三話すと穴の中へと入って行った。シガーはそれを半ば呆然として見送るだけしか出来なかった。
「寒っ……何だ?」
「レインス! あの鳥、私たちが来てから速度を上げたわ! 急いで追うわよ!」
「え? あ、あぁ……」
「逃げられると思ってんのかしら!」
レインス達が飛んだ先ではシガーがいた場所と打って変わって吹雪が吹き荒れていた。レインスは異常気象に気を取られるがリティールはそんなことは気にせずにすぐに怪鳥を追いかけ始める。
「レインスさん、大丈夫なのです?」
「ま、まぁ……仙氣を回せば……シャリアたちは大丈夫なのか?」
「魔晶石のお洋服なら環境が変わっても大丈夫なのです」
やっぱりレインスの分もシャーブルズで用意しておくべきだったと呟くシャリア。確かに、そこまで高機能であれば作ってもらうのもアリか。しかし、既にサーベルを貰っている上で、それ以上厚意に甘えてもいいものかとレインスが思っていると怪鳥の気配がこちらに近づいているのが分かった。どうやら、リティールが術式で先回りしたので彼女から逃げてこちらに来たようだ。
「……結局、俺も戦う羽目になりそうだな」
「だ、大丈夫なのです。私がやるのです!」
「……多分だけど今みたいに魔力を隠匿してる状態ならまだしも、魔力を出したらアレ、逃げると思うよ」
リティールから逃げながらもレインスのことをターゲットとしてこちらに猛進して来る首の太い駝鳥のようなシルエットをした怪鳥。それがレインス達に近付くにつれてその全容が明らかになった。
「何だアレは……?」
「ギ、ギャァアアァァァァアッ!」
レインスの呟きに呼応するかのように吠えた大きな嘴からどろどろに腐った黒い体液が滴り落ちる。目は四つ、羽の外に巨腕を有し、捻曲がった角を生やした成人を大きく上回る巨大な怪鳥の姿。それを見てシャリアがレインスの前に出た。
「この距離ならもう逃げられないのです! 【
怪鳥の前に炎の大蛇が召喚される。それは巨大な熱量を以て怪鳥を焼き鳥に変えようと身を躍らせた。
だが、大蛇と怪鳥の間に巨大な氷塊が生み出された。しかし、シャリアの大蛇はそんなちゃちなものでは止まらない。
「む、そのまま飲み込んじゃうのです!」
「ギャァアァァアアァアッ!」
耳障りな咆哮を上げる怪鳥。氷塊は一瞬にして溶け、そのまま気化した。しかしその一瞬の間に怪鳥は炎の大蛇の攻撃範囲から身を翻すことに成功する。そして怪鳥はそのままレインスのいる方向に飛び掛かって来た。
(俺相手なら勝てると思ってのことだろうな……)
魔力を感じさせない自分であれば勝てると踏んでのことだろう。怪鳥の短絡的な思考が透けて見えた。
「……【仙氣発勁】」
レインスは小さくそう呟くと迫り来る怪鳥に憐憫の眼差しを向けて軽やかに攻撃を回避した。そしてそのまま伸び切った首を鋭く切りつける。
「天相流-水ノ型-【弌雨】」
素っ首を切りつけたレインスだが、怪鳥の長い首はまるで硬いゴムのようで浅い傷しかつけることが出来なかった。
「チッ……」
舌打ちをするレインス。だがしかし、ぼさっとしている暇はない。すぐ傍に巨大な熱量が控えているのだ。レインスは地面の雪をものともせずにすぐにその場から跳ね退いた。
「あなたの相手はこっちなのです!」
その声と同時に炎の大蛇が怪鳥を襲う。怪鳥は即座に回避を選択。ただ、完全に避け切るには時間がなさ過ぎた。怪鳥は半身を焼かれながらその場から退避。
そのままこの場から逃走を図るように無茶苦茶に走り始めた。その光景を油断せずに見てレインスはシャリアに声を掛ける。
「……どうする?」
「もう遅いのです。後は……」
シャリアの視線の先には怪鳥の先回りをしていたリティールの姿が。彼女は不敵な笑み……というよりも、どちらかと言えば怒りの笑みを浮かべて両手を天に掲げていた。その両手の先には巨大な炎塊があり、吹雪を嘲笑うかのように周囲の気温を上げている。
「よくも私をコケにしてくれたわね……! あんたにはこれがお似合いよ!」
「レインスさん、私の後ろに」
「【
明らかに怪鳥を焼くには大き過ぎる炎の塊が地に墜ちた。その余波で周囲の雪が解けていく。
「レインスさん、大丈夫なのです?」
「あ、あぁ……シャリアのお蔭で」
「ならよかったのです」
敵のことよりも自分の心配をしなければならない有様にレインスはリティールについて少々評価を改めなければならないと思いつつピクリとも動かなくなった怪鳥相手に勝利宣言を行っていた彼女に近づいた。すると彼女は顔を上げてレインスに応じる。
「これで文句ないはずよ。レインス、早く【
「あぁ、うん……まぁ、討伐成功として首でも持って行くか……」
上機嫌なリティール。自分のためにここまでやってくれているとなると何とも言えずにレインスは魔力による抵抗がなくなった怪鳥の首を落とした。
「それじゃ、戻るわよー」
戦利品として怪鳥の首を勝ち取った一行。彼らはリティールの術によってシガーの下へと戻るのだった。
極寒の吹雪が吹き荒れる森の中。
「……お腹、空いた」
ある存在の帰りを待つ美女が一人。
「……でも、我慢しないと……今度こそ……」
空腹を訴える彼女はそう言いながら虚ろな目をして森の中で動かずにいることを決める。
……だが、その心とは裏腹に体は何かを求めて森の中を彷徨い始めるのだった。
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