第30話 セリ5-2
秋に入って、あたしは10歳になった。秋生まれはあたしとホーリだけ、ホーリは今頃12歳になってるはず。勉強で週に1度教会に通うあたしの前にも出てこないし、ササヅキが下働きをスカウトに行ったときにも顔を出さなかったそうだが、教師様の話では元気にしてるらしい。
秋のお祝いがあたしだけなので、普段の賄いには出ない果物とカスタードのデザートがついた。ササヅキが作ったのと訊けばドゥーネに頼んで菓子パンの上の分だけ分けてもらったそうだ。確かにあの店のカスタードの味がした。
すんごい羨ましそうな教会組に一口ずつあげて、通り道にあるお店でデニッシュが買えることを教えたら苦悩しだした。せっかくのお小遣いを食費に溶かすかどうかだ。同じ道を辿ったので気持ちはわかる。ふたりで買って2つに分けてもらう方法があるよと付け加えて更に苦悩させておいた。
おかげで上機嫌なまま夜を迎えて、興奮からか眠れなくなった。ホールに向かい、上げてたイスを降ろしてボーッとしてたらササヅキが部屋から下りてきた。
「なんだ、喉でも渇いたか」
「ううん、なんか寝れなくて。ササヅキは」
「物音がするから起きてきたんだよ」
「うわ、ごめん。寝てていいよ」
「お前は寝ないのか」
「もう少し」
そうかとササヅキも隣にイスを降ろした。ホールから厨房を眺める。すっかり馴染んだ風景だ。けどササヅキは「こっちから見るのも新鮮だな」と呟いた。
あ、
いまあたしすごいしあわせだ。
おなかの奥がぶわっとして、泣きそうになる。慌ててササヅキに抱きついた。
「どうした」
「ねえササヅキ、あたし優秀だよね?」
泣き声にならないように抑えながら訊く。
「自分で言うか。まあそうだな、それが」
膝によじ登って耳の上に唇を寄せる。それから顎にも。少し怖い笑みを作ってた引き攣れはもうすっかり肌の色になった。けれど跡は残ってる。
ササヅキがびっくり顔であたしを覗き込むので吹き出してしまった。
「あたしやりたいことできたよ。ササヅキの補佐」
「補佐?」
「ササヅキの右手は料理にあげる。ササヅキのご飯好きだけど、料理には憧れない。厨房ではたいして戦力になれない。ササヅキの右を支えるのはあたしにはできないよね。だから他の裏方。経理とホール回し、接客かな。宿も手伝うよ。ササヅキって、料理はあんなに細かいのになんでベッドメイクは雑なのかなあって思ってた。あたしまだ小さいから時間はかかっちゃうかもしれないけど、客室のメンテナンス引き受けたげる。ササヅキの左手になるよ。どう?」
ササヅキが食堂に専念できるように。
「その先は役にたって稼いで借金返済して身綺麗になってから考えるよ。年少組の借り入れ、どうしたって一番嵩むし」
どうせ借金暮らしなのだ。それならもうここに専念したい。他の道を考えながら毎日消化するんじゃなくて、もっとしっかり心を据えたい。ササヅキが面倒で見ぬ振りをしているところをバックアップする権利が欲しい。
「あたし稼ぐよ。ササヅキのお店、店舗拡大でも宿屋追加も夢じゃなくすよ。だから日雇いみたいなポジションじゃなくて、もっとちゃんと仕事したい。つまりね、正規雇用してください!」
「あー、そうだな、それがいい。おっし、役に立つなら大歓迎だ。がっつり働けよ」
「うん!」
ミトラは「セリなら他に向いてる仕事あるだろに」と呆れた。
「けどまあ、ここにあたしひとりになっちゃうのも寂しいから、セリが残ってくれるの嬉しいけどね」
ノイルはまだ一緒に寝泊まりしてるけど、別の厩舎見習いで通いになってる。新年か、14歳になったらそっちに住み込みになるだろう。
「だよねー」
ふふっと笑いあって、それぞれのベッドに潜り込んだ。
「セリがホール出てくれるから、厨房に専念できていいし」
「ミトラは将来どうするの。ずっとここで働く?」
「んー、今はどっちでもいいなあ。ここは余所みたいな女給仕事しなくていいし」
「花街があるからね」
地方では居酒屋と宿屋が一緒で女給が姫仕事もするのだ。ササヅキは自分の店をそういうふうにはしたくなかったんだって、言ってた。
「ご飯を楽しむところ、ってササヅキのコンセプトはあたしも好きなんだよね。村でさ、年1回のお祭りでこれでもかってくらいごちそう作るの、すごい好きだった。あそこまでの盛り上がりはないけど、あれが毎日続いてるみたい」
あたしの村でも収穫祭はごちそうの日だった。新年は雪が深い冬籠の終わりなので、めでたいけどごちそうではない。マルケランカはあたしの地元より北なのに、風は乾いてキツいけど雪は少ないのだ。だから新年の祝いも盛大で楽しい。しかも祝い日は年に数回あるのだ。
「だいぶ慣れてきたけどさあ、確かに都会って人が多くて毎日大騒ぎだよね」
「うん。……いつか、弟たちにもあたしのごはん食べさせてあげたいなあ。まだ全部は任せてくれないけど、ササヅキに合格がもらえたら」
「じゃあ、軍資金貯めて、村に帰って食堂開く?」
「ふふ、あそこじゃ居酒屋でないとすぐ潰れちゃうよ」
あたしたちがいたような村じゃ、食事はどこかへ行くものじゃなくて家で作るものだ。よーくわかる。くすくすと笑いながら、いつの間にか眠ってしまった。
*
納税処理で我々銀行は定期的に帳簿の確認をする。4年前から開業した元第五王子直属特別部隊第二隊隊長の食堂はいい線いっているようだ。帳簿のごまかしも(当然)ないし別口の返済も順調だ。
(そもそもその返済も特殊だけれど)
納税課のエリドナはササヅキの隣にちょこんと座る子供に視線を向けた。融資課からの『特別申し送り』には『ササヅキが6人の少女に貸し付けてる融資は無利子無利息とし、そこに該当する銀行からの融資もそれに習うこと』という記載がある。最初は10人だったがすぐに2人減り、次の年にもう2人減った。そこからは止まったが、今年中にあと1人減りそうと聞いている。隣の少女は融資額が増える一方だが、増えるスピードはずいぶん緩やかになった。近々反転して返済が始まれば成人してからもそうかからず終わるだろうと思う。
その肩書きと上からの通達がなければどんな好色親父かというところだが、実態はどちらかと言えば災難な善人だ。その意味でもこの食堂が繁盛して彼らの生活が安定するのは上々だ。納税者が増える。
「ではこの帳簿は預かりますね。次に宿泊施設分ですが」
なぜか少女のほうが綴りを出してきた。興奮した顔をがんばって澄ましている。エリドナが受け取って帳面を開くと、仕訳帳の各項目は先ほどと同じ字だが日々の勘定科目と数字が違った。総勘定元帳もだ。少しクセのある子供のような字。
「―――え?」
眉が寄ったのが自分でわかる。
「これ、あなたが書いたの」
「ハイッ」
満面の笑みを浮かべる少女に対し、ササヅキは苦悶の表情で目を閉じている。諦めとかやるせなさがない交ぜの空気が伝わってくるが、こちらも仕事なのでコメントは控え、内容を確認する。それなりに大きい数字が動いているのに特に不備はなかった。ササヅキに念押しする。
「これは確認は?」
「してはある。直すところはなかった。ついでに言うと、
「それはそれは」
(11歳の少女が帳簿までつけますか。へえ)
思わぬ拾いものではないだろうか。正直ウチの見習いだってまだ帳簿のチェックはできない。かれらはもう2つ3つ上だ。
「それではこちらもお預かりします。来週戻しに来ます」
「ハイッ」
少女が勢いよく返事した。ササヅキの首が斜めに折れるのを見ない振りで辞去した。
*
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