第二話 物語に愛された者と物語を愛した者

 ミーシャの告白を受けて、満月も茜もミーシャが言った事を信じ、そして事実を知った。なんという事はない。

 人間によってもたらされた、成長させる為に特化した餌を食べすぎた自然動物が病気で狂った矢先、ちょうどいい餌として登山をしていた学生とその顧問が襲われた。

 本来であれば被害者は一人、多くても三人で済んだところ、まともな判断ができず生存者は偶然足を滑らしたミーシャだけだった。

 全ての真実が分かってもらったにも関わらずミーシャが山を登る事を止めないのは彼のけじめだから、人食いとして見られてきた自分と決別する為の登山。

 ミーシャはもう何も怖くなかった。自分の為に命を張ってくれる先輩が二人もいる。彼らは今もミーシャの後ろをついてきてくれる。



「なぁ、さじ坊。ここに宅配ピザ頼んだら持って来てくれるかな?」

「各種宅配ピザ屋に注文して何処が一番速く持って来るかレースとかしてみたいな」



 実につまらない話をしている茜と満月に、なんだかミーシャは背中がこそばゆくなった。彼らは常にこの感じなのだ。

 小説を書いている時もミーシャに絡んでくるときも、よく行く古書店に遊びに行く時も……変わらないでいるという事の凄さ。

 真似できそうにない。

 ミーシャはもう一つの謎、自分が何故栄養失調でもなくまともな健康状態でいたのかを二人に言わなければならない。

 それはどうしてもあの登山部が惨殺ざれた現場で言いたかった。しかし、雪山軍行するには満月も茜も素人で随分時間がかかる。



「あのさ、山登る奴ってさ、何で山登るのかに対して、そこに山があるからとか答えるじゃんか?」

 茜がまたくだらない話をはじめた。

 ただ確かによく聞く言葉ではある。あれは皮肉も混じっているのかもしれない。好きな事をしているのにくだらない事を聞くなという風に。



「言いますね。実際、僕が中学生の頃、登山部にいた時にもそんな事を言ってる先輩達がいましたよ」



 その先輩たちは全員クマの血肉になったか、大地の栄養になったわけだが、ミーシャも段々この胃が痛くなりそうな場所にいながらも現実と向き合えるようになってきている。


「実際、私はそこに山があるから今登ってるんだが、なんかすごい濡れるし、寒いし、身動き取りにくいし、つまんねーな。どエムなの? ねぇ、ミーシャはどエムなのぉ?」



 茜に茶化されてミーシャはいい笑顔で振り返った。



「そうかもしれないですね」



 ミーシャのその表情はなんだか少しだけ大人に感じ、満月も茜も見とれていた。毎日のように顔を合わせていた同い年の後輩、それがなんだか少し成長したような何とも言えない気分になる。

 満月は手をポンと叩いて言った。



「茜のおっぱいに顔を埋めて、覚醒しちゃった感じか?」



 えっ?

 というのがミーシャの反応、それに茜は少しばかり恥ずかしそうに自分の身体を隠すようにしおらしく言った。



「ミーシャ……さっきのは、特別なんだゾ?」



 こんな小話を雪山でやってのける二人。それにミーシャは前を向いて、そしてたまには二人に仕返ししてやろうかとこう言った。



「満月先輩」

「なんだ?」

「茜先輩のおっぱい、すっごく柔らかくて暖かかったですよ」



 それを聞いた満月は「ジーザス」と返し、茜は「はぁ?」なんて言って怒るように恥ずかしがる。



「茜先輩、またお願いしますね」

「てめぇ!」



 顔を熟したトマトみたいに真っ赤に染めて叫ぶ茜、そんな茜にミーシャはいい顔でほほ笑む。それを見て茜は殴ろうと振り上げた手を降ろしてそのまま雪に向かって顔ごとツッコんだ。はじめてこの二人に仕返しが出来たなと思った後に広がる絶景。



「満月先輩、茜先輩。見てください! 凄く綺麗ですよぅ!」



 伸びなんかをしているミーシャ、精神がズタズタにやられた二人が死んだような顔でミーシャが見つめている景色を見て元気になる。



「おぉ! すげぇ」

「たーまーやぁー」



 暮れ行く空を反射した雪山。随分高いところまできたそこで、感じる命の凄さ。どくんどくんと高鳴る衝動。

 自分の血潮が感動している事を遺伝子レベルで教えてくれる。そこでミーシャは憂いを帯びた表情を見せる。

 満月も、茜もここがその場所なんだと確信した。ミーシャは地面の雪に触れる。そしてそれを掴んで捨てた。



「ここが、僕が人喰いと呼ばれる様になった場所です」



 この綺麗な景色が広がっている場所が悲劇と嘆きを生んだ場所。物言わぬ場所だからこそ、満月と茜も先ほどまでの冗談を言う事もなく黙祷を捧げていた。

 ミーシャは死者への礼を払ってくれる二人に頭を下げる。元ミーシャの仲間達、彼らが眠っているそこでミーシャも二人に倣おうとした時、もう一人の来訪者。



「……桐ヶ谷先生」



 茜に殴られた怪我は今だ感知しておらず、右腕に至ってはだらんと折れたままギブスが痛々しい。左手に持っている物は桐ヶ谷の暴力を形にしたようなボウガンだった。



「やぁ、大熊。それに満月に茜ヶ埼。少年探偵団が揃って慰霊登山か?」



 三人が思った事、桐ヶ谷はローブのような物は羽織っているが、雪山登山をするなんてとてもじゃないがありえないような軽装。

 本来であれば登山経験者のミーシャはすぐにでも桐ヶ谷を山小屋へ連れて行き暖を取るように行動していたが、今の桐ヶ谷を見ているとその考えが吹っ飛んだ。

 全てを投げ捨ててここまでやってきた。

 そんな風貌の桐ヶ谷、満月ですら動けないでいた中、茜はカッコいいからという理由だけでベルトにひっかけて持ってきた山刀に触れた。



「茜ヶ埼、それは捨てろ。銃と違ってボウガンは死ねなかったらとんでもなく痛いぞ?」

「は?」



 茜は再び桐ヶ谷をぶちのめそうと思っていたが、足が取られ普段のような動きが出来ない。数メートル歩くのに時間がかかる茜をボウガンで仕留める事くらい子供でも容易い。

 そんな事を冷静に考えられなくなっている茜を満月が制止する。



「理穂子、桐ヶ谷の言う通りにしろ。今回は分が悪すぎる」



 血が出るくらい下唇を噛みながら茜は山刀を地面に落とした。据わった目で桐ヶ谷を見つめているので桐ヶ谷は呆れた顔で言う。



「野生動物みたいな女だな茜ヶ埼」



 桐ヶ谷は引き金に指を乗せているがなんだか様子がおかしい。あの教室で会った時、ミーシャに全ての罪を被せようとした時とは違い狂気的な雰囲気は何処か影を潜めていた。それが桐ヶ谷の演技なのかもしれないとミーシャは身構える。



「大熊、お前が人食いの獣なら、獲物はこのくらいじゃないと務まらないよな? 苦しくもここは大熊が学友を喰らった場所だ」

「ミーシャはだれも喰ってねぇ!」



 茜が叫んだ。

 黙っているミーシャを見て居られなくて、ビリビリと言葉に電気でも帯びているように茜は怒号する。



「お前には聞いていない」

「……んだとぉ!」



 目の色を変える茜の前にミーシャが立った。



「ミーシャ……」

「茜先輩、ありがとうございます。桐ヶ谷先生にも聞いてもらった方がいいと思う。僕が何を食べてここで生きていたのか」



 ザッザッザと雪を踏み桐ヶ谷との距離を縮める。ミーシャは桐ヶ谷の持つボウガンの矢の前に立った。



「桐ヶ谷先生、今も江戸川乱歩の事が好きですか? その作品が、そしてそのキャラクター、怪人二十面相の事が」



 桐ヶ谷、もとい結細一成の全てと言ってもいい、そしてタブーと言ってもいいその言葉。感情的になった桐ヶ谷は平気で引き金を引きかねないが、それも承知の上でミーシャはそう聞いた。

 ほんの一瞬、桐ヶ谷は頭に血が上ったように見えたが、冷静な表情をミーシャに見せてから小さな声で呟くように言った。



「当然だ」



 あの時とはやはり桐ヶ谷の反応も態度も違う。となれば目的もまたミーシャを貶め、殺害するなんて稚拙な事ではないのだろう。

 それがミーシャの確信していた桐ヶ谷の思惑。



「なら桐ヶ谷先生は僕をそれで撃つ事はありませんね」



 その反応は満月もキレかけている茜もしっかりと見た。桐ヶ谷は、ぎこちなくだけど確実に笑ったのだ。

 それと同時に引き金から指を外した。



「ふふっ、大熊それは反則だぞ……」



 それなりに読書をしてきた満月と茜もその意味が分かった。

 怪人二十面相は血を好まない。人殺しをしない。もし、桐ヶ谷が怪人二十面相というルールを持ってこの場にいるのであれば、桐ヶ谷は文芸部の三人を傷つける事が出来ない。



「ふふふ、ふははははは! 最高だ。お前達は最期の最期で俺と同じ感性に到達した。どんな物語も完結しなければそれは物語とは言えない。俺は、終わらせに来た。このたった一つの、『怪人二十面相になれなかった男』の物語を、教えてくれ大熊。お前がこの山で遭難した時、お前に何があった? お前はどうやって食いつないだ? 俺も文芸部の端くれ、小説より奇妙な事実を知りたい」



 桐ヶ谷が聞こうとしている事はもちろんミーシャが満月や茜にも話すつもりでいた。ミーシャは当時の事を思い出す。心音が高鳴り、吐き気を覚える。

 ミーシャの右手を茜が握る。そして左手を満月が……



「僕はこの山で遭難した時………………」



 それは声だったのか、そういうメロディを流す音楽だったのか、そこにいたミーシャ以外全員の理解を越えた。

 それはどういう意味? と聞き返そうとした時、その意味を理解した桐ヶ谷は頭に手をやり、笑う。

 それも大爆笑だ。



「そうか? そうなのだな! 大熊、お前は物語に愛された存在だ。片や俺は物語を狂おしい程に愛した人間。ふふ、それでは敵わないのか……いい冥土の土産だった」



 桐ヶ谷はゆっくりと崖に向かう、そして何の躊躇もなく足を踏み外す。満足した顔で……ミーシャはこの顔を見るのは二回目。

 最初は……好きだった七季いずみ。彼女を掴む事はできなかった。


の為にがあるなら”そんな後悔をあれから毎日のように繰り返してきた。



、そのを、前借させろよぉ! うわあああああああ!」



 ミーシャは雪を掻きわけるように飛び降りた桐ヶ谷の腕を掴む。このままだとミーシャも落ちていく。そんなミーシャの背中を茜が掴み、茜を後ろからホールドするように満月が押さえる。



「さじ、てめぇ! 何処触ってやがんだ!」

「そんな事より、はよ引っ張れ!」



 ミーシャと桐ヶ谷を引き上げると茜が特大のゲンコツで桐ヶ谷を気絶させる。桐ヶ谷は低体温で危険な状態。山小屋に連れて行き、救助連絡をする。

 一息ついたところで、ミーシャが先ほど語った事、それを満月は聞き返す。ミーシャは一体何を食べてどうして過ごしていたのか?

 それをミーシャはもう一度話そうとした時。



「もう、いいんじゃね? 人喰い小熊の物語はこれでおしまい」



 茜がそう言うので、満月は頭をかいて聞くのをやめた。かわりに疲れた顔でこう呟いた。



「これでほんとに終わりかな」



 どうでしょうとかミーシャが言うが、満月は気が抜けて眠る。満月の寝息を聞いて茜もうとうとと眠り、ミーシャは眠い目を擦りながら寝ずの番をする。手帳を出して、ミーシャは今度の小説のネタをメモする。

『文芸部と小熊のミーシャ』と。

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