第一話 サバイバーズ・ギルト

 雪を踏み固めながらミーシャは元登山部らしく先導する。ミーシャの指示通りに雪山を登るので、満月も茜も安心して進む事が出来た。満月は象印の魔法瓶に入ったコーヒーを一口飲むと、それを茜に渡す。茜も当たり前と言った風に回し飲みしているとミーシャは話し出した。



「満月先輩、茜先輩。あの時もこんな風にとっても登山日和だったんです。それがあんな事になるなんて思わなかった」



 ミーシャはそう言うので満月は話を聞こうとしていたが、茜は山刀をミーシャに見せてこう言った。



「ヒグマでもなんでもこれで捌いて喰ってやる」

「理穂子、ヒグマは北海道にしかいない」



 『ちぇっ』と言って茜は山刀を鞘に戻す。話しかけていたミーシャがタイミングを見失ったような顔をしたので満月は代わりに話し出す。



「じゃあ、とある落ちこぼれの話をしてやろうか?」



 満月が言うので、茜はつまらなさそうな顔をする。それにミーシャは興味を持った。



「それはどんな?」

「はっは、そうだな。幼稚園でワーグナーを弾いて大人達の度肝を抜かした。小学校の頃に絵画を描かせたらドイツの大罪人アドルフヒトラーを水彩絵の具で描いてしまった」



 なんだ自慢かとミーシャは思う。それは満月の子供の頃の話だろうと分かったミーシャは静かに話を聞いた。



「中学になったそいつは、期待されまくった。だけど、絵も音楽もその頃になるとそいつより才能のある奴だらけだった。知ってるかミーシャ?」

「はい?」



 満月は楽しそうに少し出し惜しみをしながらミーシャの表情を伺う。こういう駆け引きは満月はうまい。

 だから話も飽きさせずに聞かせてしまうんだが、茜は欠伸なんかをしながらサクマ式ドロップをぽいぽい口の中に放り込んでいた。

 少しの間をおいて満月は語る。



「勉強とかスポーツはやればやるだけそれなりになんとかできるんだ。だが、芸術面はどれだけやろうと、ある水準を越えなくなる。そいつはな? 中学生で気づいちまったんだよ。俺のピークは幼稚園、そして小学校だったんだ……ってな。それが分かっちまうと、どうなると思う? 生きてる意味をなくすんだぜ。でも死ぬような勇気もないから、こんな感じになんだよ」



 自分の両親指を自分自身に向けてポーズをとる満月。

 茜はその事を知っていたんだろう。だからこの不幸自慢がとてつもなくつまらない。だけど、ミーシャは自分だけじゃない。

 満月も絶望していた。ミーシャからすれば人間性も、あらゆるスペックも上位互換の満月が挫折し、嘆いていた時期があったと……



「満月先輩はどうやって、自分を変えれたんですか?」



 ミーシャの質問に満月は少し困ったように笑う。答えるかわりに満月は言う。



「おっ! 山小屋だぜ。そこでちょこっと軽食にしないか?」



 食事と聞くと茜の表情が緩む。

 登山は疲れる前に休む事が重要であるとミーシャも知っていた。それも高い山を登る時はより強く意識しなければならない。



「そうですね。休憩にしましょう」



 丁度水筒に入れた珈琲も空になったので、満月がシングルバーナーでお湯を沸かす。山小屋で水が使えるのはありがたかった。

 そして茜は山小屋を家探しして両手にカップ麺を持って戻ってきた。



「へっへー、いいもん落ちてた」



 それを見てミーシャは鞄から乾パンの缶詰を二つ、山小屋に置く。カップ麺は誰かが置いて行った非常食なんだろう。多分、ここに来た人への厚意。

 それと同じでミーシャも等価交換。

 それに気づいた茜は鞄からサクマ式ドロップを一缶トンと置いた。



「茜先輩ってそれ好きですよね!」

「火垂るの墓見てからよく喰うようになったかな」



 恐らく日本国民の大半がサクマ式ドロップを見ると思い出すあの作品に茜も影響されていた。あの物悲しい話に関して茜はどう感じるのかとミーシャは思ったが茜がお湯の入ったカップ麺が出来上がるのを待ちながら言う。



「火垂るの墓も、対馬丸とかも戦争物ってさ、ズルいよな? おもしれーもんな。面白いと思ったらダメなのかもしれないけどさ」



 恐らく、日本に認識し存在する異世界があるとしたらそれは戦時中の日本だろう。食べる為になんでもしなければいけない時代なんて誰が分かるのか?

 十にも満たない子供が煙草を咥えて博打に興じる様など存在する地獄のようにも思える。

 だが、それ故に惹かれる何かが確かにある。

 満月がねじりパンを作りながらその正体について呟く。



「それは生きているという姿を感じられるからだろ? 何処か今の人間は働いていても勉強をしていても心を失ったようだからな。そういう意味ではあの結細一成みたいな人種は人生が楽しくて仕方がなかっただろうな? まぁどんだけ楽しくてもあいつのようにはなりたかねーけどさ」



 生きるという事は辛くて厳しくて痛くて、楽しいものなんだなと、そう思いながら満月が淹れてくれた珈琲を飲む。



「話してみろよミーシャ。さっき俺達に言おうとしていた事」



 ミーシャは、あの中学生の登山で起きた真相を満月と茜に語るつもりでこの山登りを誘った。二人はそれを快く承諾し、今に至る。

 ミーシャは目を瞑る。ぼぉおとシングルバーナーの音、ずるずるとカップ麺を啜る音。遠くでは風の音。

 そして嗅覚は質のいい珈琲を捉える。



「あの日、登山部の女の先輩が胸を押さえて倒れたんです。突然の事でしたけど、顧問の先生は冷静に対処して山小屋に連れて行こうと思ったんです。そこで救助連絡をする。だけど、運が悪かった」



 それからミーシャが語った話は茜ですら食べる手を止めた。元々報告された通り、クマによる獣害であった。

 体長が200センチメートルを超えるような超大型のツキノワグマが物陰から現れて、心臓を病んだ少女を連れて行った。

 ミーシャの話に満月が話を止める。



「ちょっと待て、見間違いじゃないのか? ツキノワグマの大きさって理穂子くらいのサイズだろ?」

「は? 私、そんなデブじゃねーし、死にたいのか? さじ坊」

「いや、横じゃなくて縦だよ。大体お前150センチくらいだろ?」



 ミーシャの話を信じるならヒグマサイズのツキノワグマが彼ら登山部を襲った事になる。満月は苦笑した。

 ミーシャの話を誰も信用してくれない理由。ヒグマサイズのツキノワグマがいた。これだけならまだしも、このツキノワグマに十人近い人間が惨殺された。

 全部この熊が殺したのだと……そんな折、健康状態の良いミーシャが発見された。そうなれば誰しもが思うだろう。

 このミーシャは、負傷した友人や顧問を喰ったのではないかと?

 何故なら、満月ですらそう頭の片隅にその考えを浮かべていたのだ。その時、緊張感のない茜のずるずるとカップ編を啜る音。



「うまいっ! 寒い時の汁もんの美味さは格別だな。これで化学調味料が滅茶苦茶入ってなければデブらなくて済むんだけどな」



 そう言ってケプっと可愛いゲップをしてみせる茜。ウィンクをしてに見えるのは可愛さアピールではない。

 棒に巻き付けたねじりパンを食べるわけでもなくちぎって満月は気づいた。



「……そうか、遺伝子組み換え飼料」



 山に食べる物がないので、人里まで下りてきて家畜用の飼料、それを食べ続けたクマがどうなるのか?

 家畜を太らせる為に特化したトウモロコシ、あれの大部分は輸入品に頼っている。それもこの日本は世界でも有数の遺伝子組み換え食品を輸入している国。2014年頃の輸入量は相当な物であった。



「満月先輩、どういう事ですか?」



 コホンと咳払いをすると満月は茜を横目で追う。茜は八重歯を見せて、面白そうに笑っていた。これはしてやったりという事なんだろう。

 その為、満月はまず謝罪。



「ミーシャすまん。俺も少しお前がマジで人喰いなんじゃねーかと思った。だけど理穂子の言葉でわかっちまった。お前の話は真実だ。俺は信じる」



 今だミーシャが分からないでいるから茜がお湯にココアの粉を溶かしてそれを煽ると話し出した。



「ミーシャを襲ったのは冬眠するに十分なくらい太ってデカくなったツキノワグマだったって事だよ。ただ、喰ったもんが悪すぎた。遺伝子組み換えの飼料でブクブク太ったツキノワグマ。牛や羊、ヤギとかは人間が食べる量をちゃんと調整してるだろ? だけど、野生のクマにそんな事出来るわけねーじゃん。欲望の赴くままに喰い続けた結果。病気になってんだよ。のな」



 そう言って舌を出して茜は自分の頭に指を指した。

 言わんとしてる事が分からないミーシャ、それもそうだろう。茜の語りはスペルじみている。それを翻訳するのは満月。



「多分な? お前たちを襲ったツキノワグマ、満腹中枢がイカれて腹が減って減ってしかたがなかったんだ。だから、目の前で弱っている人間がいたらから襲った。ついでに言えば遺伝子組み換え食品の健康被害について色々言われてるが、その中に精神疾患。鬱なんてもんもあるんだ。普段は大人しいツキノワグマを規格外のデカさと殺人マシーンに変えたのはなんの事はない。人間が作った遺伝子組み換え飼料ジャンクフード。引きこもったあげく暴走した人間と同じ行動だ」



 ジャンクフードがどの程度、健康被害と精神的に異常をきたすかの統計はないが、ミーシャ達はそんな狂ってしまった獣に運悪く襲われた。



「……襲われた女の子。登山部部長の彼女だったんです。彼女を助けると言ってクマを追いかけて、先生もそれ続き……残された僕等は下山をするか、先生達を助けに行くかそんな馬鹿げた相談をしている時に、あれは戻ってきて……僕は足を踏み外して、そこから少し下に落下したんです……その後、頭上で部員達の……その」



 ミーシャの目が落ち着きを失い。そしてこういった。



「僕だけが……生き残って、僕だけ、一番死んだ方がマシな」



 サバイバーズ・ギルト、ミーシャが何でも悪く考える癖や突如覚える潔癖症。それの本質がこの一人だけ生き残ってしまったという罪悪感。サバイバーズ・ギルトから来ている事を知った茜はミーシャをぐいと自分の胸に抱き寄せる。



「あかねぇ、せんぱい」

「良かったなぁミーシャ。女の胸は鎮静効果あんだぜ。まぁあれだ。私が言ってやる。死んだ奴は運が悪かったんだ。ただそれだけだ。自分を責めるな。じゃないと殺すぞ?」



 こんなに優しい『殺す』という言葉があるんだなとミーシャは思いながら少しだけ茜の温もりに甘える事にした。

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