第二話 棚田クリスの姉

 翌朝、誰よりも早く棚田クリスは部室に来ていた。満月が到着した時には、一台百万はするだろうノートパソコン『プレデター』を扱い何等かのワープロソフトで小説を書いている。



「おいおい、クリス。朝からなんの自慢だ?」

「おはよう部長」



 どうやらクリスは部活の朝練以外も、自分の仕事を同時にこなしているようだった。一つのオフィスを持ち歩くようにこのマシンを使っているのだろう。

 満月も自分のノートとポメラを取り出して小説を書き始める。お互い無言でキータイプを行う中、満月は言い出し辛かったが、部長である為に切り出した。



「なぁ、クリス。お前女装癖とかあるのか?」



 満月の質問にクリスのタイプ音がぴたりと止まる。それに満月は怒らせてしまったかと思ったらクリスは自分の髪を耳にかけて少ししおらしい表情を見せた。



「まさか、部長がそっち系の趣味の人だとは思わなかったよ。もし、部長がしてほしいというなら、僕にはそんな趣味はないけど考えておくけど?」



 やってしまったという満月。当然、言い訳をする。



「いや、ごめん。昨日クリスみたいな人がセーラーを服を着ていたのを見てな……そのすまん」

「ふむ……僕はね。僕の姉さんに似ているんだ。これがその写真」



 クリスは一枚の写真を取り出した。それを受け取ってみると、確かに女性の恰好をしたクリスが写っている。それを見て青い顔をしてクリスを見つめる満月にクリスは苦笑した。



「あはは、僕じゃないよ! 後ろを見て、幼少期の僕だよ。誰もが認める妖精みたいな美少年さ!」



 満月はドン引きしながら言われた通りのところを見ると確かに小学生くらいの少年。そして確かにクリスの面影を感じる。



「成程、これがどうした? この写真から考えるにお前の姉ちゃんはもう少しいい女になっているだろ?」



 昨日見た人物は写真の中の人物であり、今や目の前にいるクリスなのだ。これは4、5年前の写真。満月が言うように女子高生ではない。それに対してもクリスはうんと笑う。



「生きていたらね。姉さんはその写真を撮影した数年後に行方不明になった。そして、僕は最近この町で姉を見かけたという情報を聞いて引っ越してきたんだ」



 いきなり、ややこしい話を言われその時に丁度ミーシャが入室。そしてコンビニで買ったパンを咥えながら茜も入ってきた。



「あっ、変態女装野郎」

「ちょっと、茜先輩!」



 茜の言葉を止めようとしたミーシャに笑ってクリスは言う。



「ふふっ、なら僕が女装をしたら茜ちゃんは男装をしてくれるかい? とっても絵になりそうだ!」



 当然、その発言に茜は怒りまくる。かといって茜お得意の暴力もクリスには通用しない。そんな中プリンターの稼働する音。



「三題噺を終えたら自由に退室していいんだったよね?」

「あぁ。もう終わったんだな?」

「うん、良ければ皆の作品を見学させてもらっていいかな?」



 満月は構わないと自分の書きかけの作品を見せる。



「『鮭』、『酒』、『割け目』のキーワードでサスペンスを書いてしまうのか、へぇ! 凄いもんだな。僕には思いつかない。しかも、この終わり方は気になってしかたないよ!」



 実に作品を楽しむ。続いてミーシャのパソコンを眺める。



「ミハイル君は、定食屋のグルメ物か……ベタな設定だけど実に美味しそうだ。ただ少し、サラリーマンの男性ならもう少し、ぶっきらぼうだったり、おじさん臭さを出せればいいんじゃないか?」



 確かにミーシャは読み返して自分の書く成人男性が子供っぽいような気がした。それで頷く。



「そっか! それが不自然さか、ありがとうございます」

「いやいや、完成した物を是非見せてね」



 続いて、茜の元へ、ここで拒否するのはプライドが許さない茜はしぶしぶ自分のパソコンを見せた。しかも、相手にかみつきそうなにらみ顔でだ。



「ははーん、そうくるか! 人間ではなく動物視線から見た冒険譚。茜ちゃんは、三題噺で創造力を組み立てる事に関しては僕も含めて一番の才能があるみたいだね」

「は? 何言ってんだ?」



 怒る茜にクリスは笑う。



「僕もプロに末席を置かせてもらっている。お世辞ではこんな事は言わないよ。皆の作品は非常に為になる。ありがとう」



 クリスが嘘を言っているわけではないので茜も矛を収める。そしてクリスは少しだけ申し訳なさそうな顔をして三人に聞いた。



「皆は、古書店『ふしぎのくに』って知っているかい?」



 もちろん知っている。そこの店主はこの三題噺をいつも作ってくれる。その為三人は間抜けな顔をして頷いた。



「あぁ、週一くらいで店には通っている。なんならクリスも今度一緒に来るか?」

「ほんとかい? 是非お願いしたいな。僕の妹もお世話になったらしいから、あとそうだ! 『ワリカタ』についてはどうだろう」



 『ワリカタ』Webで小説を書く者達の中では有名なその名称。随分前に一度、大きな事件になった。それからも何かと曰く付きなWeb小説家の遊び方。



「人狼ゲームみたいな奴だろ? 知ってるけど、俺達はやった事はない」

「そうかい。ありがとう! じゃあ僕はお先にホームルームに向かわせてもらうね。パソコンは重いからそのままにしておくよ」



 ちゃおなんて歯の浮くようなセリフを残してウィンクするクリス。それが彼だから許されてしまうのか……茜はクリスがいなくなる方向を見つめて固まるので満月は小さな声で呟いた。



「おうおう、茜さんも重工棚田の王子に虜になりましたか?」



 満月を見ずに茜は思いっきりぐーぱんを食らわせる。



「茜先輩、痛いです」



 そしてぶん殴られたのはミーシャ。茜は振り向くと「ごめん、ミーシャ」と清々しく笑った。茜が満月に物申す前に満月は二人にあるウェブページを見せた。



「おい、今なんとなく調べてたんだが棚田クリスがこの文芸部に入った理由。奴の姉に関する事かもしれんぞ」



 なんだってと二人はそのページを覗き込む。そこには『ワリカタ』オフ会をした学生達が集団催眠。さらに一名行方不明者が出たとそう記載が残されていた。

 その行方不明者の名前。


『棚田アリス』


 満月はクリスが自分の姉が行方不明になったという事を話してくれた事をミーシャと茜に伝える。



「棚田アリスは、クリスにそっくりだ。年齢はクリスより6歳程年上。俺達が見た女装をしたクリスは考え難いがアリスである可能性はある」



 現在24歳。もしかすると十代に見えなくはないかもしれない。その理由として満月はある例を出した。



「とあるOLが、日頃の鬱憤を晴らす為に休日女子高生の恰好をして街に繰り出したところ、実際の女子高生は全く疑わず同じグループとして、さらに男子学生や大学生は年上であるハズの彼女の事を全く疑わずガールフレンドとして扱った。皆を騙している事が苦しくてカミングアウトをするんだが、友人達の驚きはさぞかし凄かったようだ」



 本当にあったニュースの一例とその女性の画像を見せる。茜は内容を聞いたからか「ババァじゃん」と茶々を淹れたが、ミーシャは普段学校ですれ違う女子と変わらない事に驚いた。



「じゃあ、昨日僕等が見たのは……クリスさんのお姉さん?」

「分からんが可能性は高い。クリスは姉がこの街で目撃されたので転校してきたと俺に言った。可能性は十分にあるかもしれないな」



 一瞬にして、クリス女装説というお笑いネタが笑えなくなってきた。クリスは誰に対しても分け隔てなく異様なまでに優しく、それでいて礼儀もしっかりしている。

 重工棚田は日本を牛耳る企業の一つだ。その総帥であるクリス。もう少し傲慢であっても誰もおかしいとは思わないかもしれない。



「もしかしたら、クリスさん、無理してるのかもしれないですね。僕等に『ワリカタ』を聞いてきたのも多分、お姉さんの」



 ミーシャはなんだか悲しくなってきた。自分にアドバイスをしてくれたあの人が、心に闇を抱えているのかと……否応なしに七季いずみ、そして横山英雄、彼らを思い出す。そしてミーシャは提案した。



「僕等に出来る事、ないでしょうか?」



 ウィーンとプリンタが動く。そして茜は席を立つとプリンターに向かい、印刷されたそれを提出用の段ボール箱に放り込む。

 ミーシャと満月は普段こんな速度で茜は作品を仕上げない。何事かと思った時、茜は良い顔でこう言った。



「あいつは私等の部の仲間だ。力になってやろうや。さじ、ミーシャ!」

「おっとこまえだな。茜さんよぅ!」



 満月もまた良い顔をして、プリンターに向かうと自分の作品を取りに行く。ミーシャはこの冗談ばかりだけど、仲間想いな満月と茜に嬉しくなる。



「じゃあ、ミーシャは戸締り宜しくな」



 そしてミーシャは気づく。自分が今日の朝練最後になるという事。そしてこの場の空気に呑まれて全く進んでいなかった事。

 ミーシャはホームルームまで時間がない事に全力でタイピングして、遅刻ギリギリで教室にたどり着いた。担任の先生、もとい桐ヶ谷の良く分からない話を聞き流し、一時間目の数学の準備をしていたらアキと麗奈がミーシャの席にやってきた。しかも、非常に浮かれている。



「おい、大熊。お前の部活に棚田先輩入ったってほんとかよ?」

「ねぇねぇ、ミハイル。写真撮ってきてよ!」



 おうおう、ミーハーな事でとミーシャは苦笑する。その日は休憩時間になる度に、全然話した事のない女子と一部男子から棚田クリスについて質問。そして部室に遊びに行っていいかという学年を越えて相談にくる。

 それに対してミーシャは全員にこう言った。



「部長に聞いてください」



 満月と茜は怖いから話かけたくないという言葉に成程、それで今日は来客が多いのかと、ミーシャは異常に疲れたので部活は休む事を満月に告げる。余程の事がない限りはミーシャは部活を休まない。

 家にいるより、二人と……今はクリスも含めて三人といる時間を楽しみたかったが、異様に眠いので迷惑がかかるといけないと欠伸をしながら家路につく。



「あれ……?」



 セーラー服を着たクリス……ではなく恐らくその姉であるアリスが学校に向かって指を指す。なんだろうとミーシャは振り向くとそこは学校が当然あるだけで何もおかしな点はない。もう一度振り返った時にはその姿は既になかった。



「あれ、気のせい……ではないよね」



 ふぁああとミーシャはもう一度欠伸をして家路を歩む。

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